第16話 アリスの作戦

「すみません。予約を入れていないのに」


「いえ、今日は空いていたのでちょうどよかったですよ」


 優しげなシェフが、わたしをハルトと食事した席へ案内する。

 つい窓に梨花先輩がいるかどうか気にしてしまって、ジロジロと小窓を眺めてしまった。大丈夫。今日は梨花先輩は覗いていない。


 ふう、とため息をついて、わたしは改めてゆっくりと外の景色を楽しむ。

 わたしが住んでいる街なのに、ここのレストランから眺める景色は少し違っていて、とても綺麗な景色に見えるのは、やっぱりハルトから紹介してもらったお店だからなのかな。


「今日のメニューは簡単ですが、パスタなんです。混ぜて楽しんでみるのもおすすめですよ」


 淡いピンク色のソースと合わせてあるもの、緑色のソースと合わせてあるもの、クリーム色のソースと合わせてあるものの三つの味わいのパスタが大きなお皿に可愛く乗っている。

 予想していたのは全部同じような味わいのものだろうなぁ、と食べる前は思った。でもそれぞれに濃厚さ、風味そして味わいと食感が全然違っていて、飽きないパスタだった。


 ピンク色のパスタは薄い生ハムが膜のように上に乗せてあって、中は桃の風味のパスタ。食べた瞬間に甘い桃の香りがふんわりと広がり、生ハムの塩味ととてもよく合っていた。

 緑色のソースのパスタはアボカドを丁寧に裏ごしして、生クリームと合わせてあるこってりとしたソース。上に乗せてあるトマトの酸味が効いてサラダ感覚で食べれるパスタ。

 クリーム色のパスタはオーソドックスなカルボナーラだったけど、麺の感触が少し違っていた。


「あの、この麺は……?」


 お水を給仕に来てくれたシェフにわたしは質問をする。

 するとシェフはいたずらっぽくにこっと笑った。


「そのパスタはこんにゃくから出来ているパスタなんです。どうですか?」


「ええ、とっても美味しいです。でもびっくりしました。パスタだと思っていたのに違うもので、なんだか概念が変わったみたい」


 どうやらわたしの感想はシェフが狙っていたもののようで、今度は楽しそうににんまりとした。


「小さなお店ですが、やはりいろいろ挑戦してみることもいいかなと思いまして、毎日試行錯誤ですよ」



 そのシェフの言葉で、わたしはカレンさんの件について一つだけひらめいたことがあった。そうか、直接やり合わなくても手は、ある。


「こちら、デザートです」


 大きなお皿の上にケーキとアイスが綺麗に飾り付けられていた。

 一口づつ食べるとケーキだと思っていたものがレモンのアイスで、アイスだと思っていたものはムースだった。


「これ、見た目だけではわかりませんね。でも、おいしい」


「今日はちょっと遊びが過ぎた料理でした。こちらに伝票を置いておきますね」


 そう言うとシェフは厨房に戻っていった。


 一人での外食は初めてだったけど、物思いにふけるには良いかもしれない。それにカレンさんに対抗する術のヒントをなんだか貰ったような気がした。



 *



 会社に出勤したわたしは、行かなければいけない場所があった。

 それは『システム開発室』なんだけど……知り合いが居ないから、部屋の前でためらってしまった。


「なにやってんだよ、暴れ馬」


「え、広谷くん?」


 ノックしようか迷っていたところを、大学時代の同級生の広谷ひろたに 正博まさひろくんが声をかけてきた。でも、わたしは正直会いたくなかった。だって『暴れ馬』のあだ名をつけたのはコイツだったから。


「ていうか会社でまで暴れ馬っていうのはやめてよね。もうそんなことはないはず……だし」


 広谷くんは少し困った様子のわたしを見て、意地悪く笑ったように見えた。ああ、なんでこんな奴と同じ会社なんだろう。


「まあいいや。じゃあ……アリス? ウチの部署に何か用なわけ?」


 くせ毛をいじりながら、軽薄そうに広谷くんがわたしに話しかける。うん、やっぱり軽そうなコイツは苦手だ。しかもいきなり名前で呼びやがって。

 でもそんな気持ちをグッと我慢し、わたしは昨日考えたことを広谷くんに伝える。


「どうかな? 出来そう?」


「このぐらいの物ならすぐにできると思うよ。確認も含めて一週間かな。俺さ、ちょうど案件が終わったところだから、ちょっと上司と打ち合わせしてすぐ作るわ」


「じゃあお願いします。使用についてはわたしから報告したほうがいいかな?」


「いや、上司同士で話をしてもらうから、アリスは動かなくていいよ。あ、ただ細かいことを打ち合わせるから、あとでアリスの直属の上司と一緒に来てほしいけどね」


 直属の上司といったらハルトだよね。

 ハルトならわたしが説明しても問題ないだろうし、大丈夫かな。


「わかった。ではお願いします」


 話は終わった様子なので、わたしはそそくさと広谷くんにお辞儀し、自分の部署へと戻ろうとした。


「……ちょっと待ってよ」


 グッと二の腕を捕まれ、わたしは広谷くんに振り返る。誰もいない廊下で抱きとめられるように広谷くんを目の前にする。ちょっと、近すぎる。


 その広谷くんの瞳は、燃え上がるような赤い色だった。

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