第13話 蕪木 梨花
わたしは七時半ぴったりに、駅の出口に立っていた。
小さな駅なので出入り口は一つしかなく、少し暗めになった出入り口の脇にいる。ちょうど帰宅ラッシュが収まったようで、人通りは少ない。
「おまたせ。少し遅れたね。ごめん」
七時半を少しすぎたあたりで、小花沢さんがやってきた。
そして小声で、
「申し訳ないけど、少し急いでお店にいこう」
といい、わたしの手を取って……ダッシュした。
「ちょ! どうしてぇぇぇ!」
*
ハァ……ハァ……。
ものすごく、走った気がする。こんなに走ったのは中学校で遅刻しそうになったとき以来だった。
「すまなかった。なんだか後をつけられていてね。なんだっけ、ほら……
梨花先輩だ。
毎回こんなことしてたのかなぁ。
「あ、なんか小花沢さんのことを、やたら気にしていましたよ」
ハァ、とため息をついて、尾花沢さんはネクタイを緩める。
歩いているのは、わたしのアパートの近く。ちょっとした公園があるのだが、そこの一角にひっそりと小さなフレンチレストランがあった。
「へぇ。こんなところにレストランがあったんですね。気づきませんでした」
「ん、俺もお客さんに教えてもらったんだけどね」
と、慣れた感じで小花沢さんは店内に入る。
「いらっしゃいませ」
感じのいいシェフが挨拶してくれた。
ウェイトレスはおらず、狭い店内の中にはテーブルセットが3つ。そこには誰もいなかった。
「ほぼ予約制でね。今日ここを取れたのはラッキーだったよ」
どうやらここにはメニューがなく、そのときの新鮮な食材を丁寧に料理するところだったらしく、すぐに前菜が運ばれてきた。
「お酒は大丈夫かな? ここはワインがオススメだけどね」
「はい、大丈夫です」
異世界ではラーメンだったのに、現実の世界はおしゃれな料理だった。そのアンバランスさに私は笑ってしまう。
ん? とハルトはわたしを見てくるので、
「昔のフランスみたいな感じの異世界ではラーメンだったのに、こっちでおしゃれな料理だなんて少しおかしくて」
「ああ。向こうでは最初、大変だったけどね。調味料も塩しかなかったし」
と、ハルトから詳しく転移したときの話を聞いた。魔王を倒すために旅をし、無事倒したけど、それからの王子としての義務も。
「魔王を倒すということに関しては、目的があったから難なくこなせたんだけど、それからのことはね……。俺一人じゃどうにもならないことが多いよ」
ふぅ、とため息をつきながらハルトはワインを飲む。わたしも話に夢中になってしまっていたので、ハルトに合わせワインを口に含んだ。今まで飲んだことのない、フルーティな香りと少し甘めのワインはとても美味しかった。
「いきなり転移してすぐに王子! って呼ばれたときは面食らったけどね。そのへんはそういう設定だったのか、それとも本物の王子と入れ替わったのかと思って焦ったよ。こっちは仕事を抱えていたし」
ハルトの説明によると、ある程度の設定はしてあり、魔王を倒す旅から始まる、という感じだったらしい。立場は大国の王子であり、周りには小国がいくつかある。大国と力が拮抗していた魔王の領土があり、それを打ち倒した、という。
「で、これからが大事な話」
とハルトが言ったところでメインディッシュが運ばれてきた。鴨肉の赤ワイン仕立て、らしい。
ハルトが食べているところを見よう見まねでわたしも同じように食べる。
「アリスは向こうの世界で、俺と一緒に内政を行ってもらいたい。魔王が倒れたことによる混乱が収まりつつあるが、今度は激しい権力争いだ。あの貪欲さには呆れる。そして男には出来ない部分があるから、そこをアリスに担当してもらいたいんだ」
「わ、わたしにそんなこと……出来るんでしょうか?」
「ん、大丈夫。君はグラナティスの乙女だから」
また出てきた。グラナティスの乙女。
婚約の儀のときに魔法みたいな現象が起きたけど、それ関係だよね。
「あの、グラナティスの乙女ってどういう意味ですか?」
ん、そうだな……。とハルトは考えて言った。
グラナティスの巫女、グラナティスは
「困難を跳ね返す力が大きい人物を指す。もちろん練習すればいろいろな魔法は使えるとは思うけど、得意な分野は透視や心の感知能力。内政するにはうってつけの力だよ。それと、折れない心かな。見分け方はいろいろあるらしいけど、俺の場合は直感。アリスを見たときにこれだ! と思ったんだ」
だから妃になる人はグラナティスの乙女が望ましいとされているとのことだった。
どうやらハルトは、周りの小国からグラナティスの乙女と称される姫を結婚相手にと、たくさんの書状が来ていたらしい。これは権力争いの一環とも言えるもので、人としての中身よりも
「はぁ、めんどくさそうですね」
「まあね。でも異世界に行き来出来る能力を俺が持ったことで、向こうで安泰で暮らせるならこっちの世界を捨ててもよかったんだ。でもあの内政の状態ではどっちも苦労するからね。ってアリスを強引に向こうへ連れて行って……迷惑だった?」
ジッとハルトに見つめられ、わたしは即答してしまった。
「いえ、わたしにしか出来ないっていうなら、やります」
「こっちとお互い行き来をするようだけど、それでも?」
「あの転移は少し、恥ずかしいですけど……」
フフッとハルトは笑い、安心したような笑みをわたしに見せた。そして顔を近づけてこそっと言った。
「ところで、言いづらいんだけど……蕪木さん、だっけ。あの人こちらを覗き込んで睨んでいるけどどうする?」
テーブルの脇の小窓には、お化けのような顔をした梨花先輩がわたしとハルトを睨んでいた。
「ヒエッ……」
その顔はものすごく恐ろしかった。
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