第12話 ジェムボックス

「いらっしゃいませ」


 ふわふわの赤い絨毯の整然としているオフィス。

 美人の受付嬢のお姉さんにわたしたちは挨拶される。



「十一時からアポイントメントを取っている小花沢と申しますが、社長はいらっしゃいますか?」


 今は十時五十分。

 アポイントメントの時間は十分前厳守なんだ。


「はい。こちらへどうぞ」


 すぐ脇にある大きな赤い扉を開けるとそこに居たのは、婚約の儀のときに騒いだアガーテという女の子を止めていた男性だった。



「あ、あのときの……」


「はじめまして……ではなかったですね。アリス様。僕はブルーノと申します。よろしくお願いします」



 ハルトはいたずらっぽく笑っている。


「ハルトは、知っていたんですか?」


「もちろん。まあ最初の営業は、知り合いのところで練習するほうがいいかなと思ってさ」


 営業、そういえばなんの商材をブルーノさんに売るのか、全然聞いてなかった。さっきの喫茶店のときにゆっくりお茶をするんじゃなくて、きちんと何を売り込むのかしっかり打ち合わせしておかなきゃいけなかったんだ。


 全然……わたしは仕事ができていなかった。



「ごめんなさい。まだ自分が営業としての自覚がまったくなかったです。だから練習させてください」



「……うん、よくできた。すまないねブルーノ。これからアリスに現実世界こっちでの仕事を覚えてもらうから、その練習に付き合ってもらえないか?」


 ブルーノさんはキョトンとするものの、そのあと優しげにわたしに微笑む。



「わかりました。アリス様はこれから王妃として采配を振るっていかなければなりませんからね。僕でよければお教えしましょう」


 ペコリとおじぎをするブルーノさん。

 わたしも慌ててお辞儀をし、名刺がまだないことを伝える。



「僕のところは、会社で使うほとんどの品物を小花沢さんから卸しているんだよ。原材料から備品まで、全てね」


 ブルーノさんはこちらの世界ではアメリカから来日している会社社長として、日本で成功した人物と評される人であった。


 もちろん本当の国籍はアメリカではなく、異世界。

 ハルトがこちらの世界へブルーノさんを連れてきたようだった。



 そして、わたしはブルーノさんの会社へ飲み物を卸す担当になった。売れそうな商材はもちろん、社内で使用するコーヒーや紅茶などもわたしが調べ、選んだものを無条件で仕入れてくれるそうだ。



「ドリンク類を全て任されるとは、責任重大だね。アリス」


「は、はい。でも……頑張ります」



 *



 ブルーノさんの会社から戻ってきて、わたしは手渡されたデータから必要なものをピックアップし、いいと思われるものを提案書にしていく。不明なところはインターネットやメーカーに電話をし、出来るだけその商品の売りを具体的にまとめていく。



「おつかれ様、アリスぅ~」


 キーボードを叩く手を少し休めたとき、梨花先輩がお茶を持ってきてくれた。


「あーあ、アリスも内勤だったら、お茶くみの仕事やってもらうのになぁ。またわたしがやるようだわ」



「す、すみません……」


「あぁ、いいのよ。約束だもんね。小花沢さんのこと、教えてくれるって」



 ヒエッ! なにを教えればいいんだろう。

 まさか異世界に行って、そこで婚約してきました。なんて言えないもんね。


「さ、さぁ……まだ一日目ですし、お得意先へ打ち合わせに行っただけで、特に私事は話さなかったですよ……?」



 わたしはどきどきしながら、梨花先輩の質問を躱す。


「なぁんだ。小花沢さんってやっぱり、あまり自分のことを話さないのよね。だから余計に気になるっていうかさぁ。だからっ!」


 アリスの立場で情報をバンバン仕入れて頂戴!! となぜか激励された。いや、気合いを入れて情報収集せよ、ということなんだろうな。



「はい……」


 わたしは、死んだ目で返事をするしかなかったのだった。




 そのあと、パソコンとにらめっこしていたわたしに、小花沢さんが問いかけてきた。


「大丈夫? あまり根を詰めないようにね」


 そのあと外回りをしてきたらしい小花沢さんはドトーバックスのコーヒーをわたしにくれた。



「最初から飛ばすと、あとに響くから無理は厳禁。それとね」


 今日の帰り、打ち合わせを兼ねて夕食を一緒にしたいということだった。


「わかりました。どこで待ち合わせすればいいですか?」


「そうだね。アリスの家の駅近くのお店でいいところを知ってるから、そこでどうかな? 七時半に駅で」



 ジロジロと梨花先輩の目線を感じる。


 それとまた違う……冷たい目線も別の方向から感じた。

 その先にいたのは、カレンさん。


 どうやらわたしとハルトが仲良く会話していることに、なにかがあるようだった。

 わたしは慌ててハルトにオーケーの返事を出す。



 それをみてハルトは「じゃ」と言い、忙しそうに仕事へ戻っていった。

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