第10話 アリス、がんばります

 それからハルトとわたしは、王族や貴族などそれぞれの思惑が蔓延している婚約披露会場へと向かった。思惑が蔓延しているとハルトが言っていたので、先にそれを言うということは、わたしに失言をさせないようにとの配慮だと思う。


「アリスは笑顔で会釈するだけでいいよ。質問には俺が答えるから、アリスはなにもしゃべらないように。ただその人物たちを観察するだけでいいからね」


「わかりました。あの……以前に借りた扇をまた借りてもいいですか?」


 ハルトから扇を手渡される。

 これで口の部分を隠せば、ちょっとはわたしの表情が読まれない、と思ったのだ。



 *



 結果、なんとか公爵とか、もじゃもじゃ男爵とかわけがわからない人たちとたくさん会ったのだった。そんな貴族の地位については、まったくお手上げだった。


 わたしが解った事柄は、王家と呼ばれるのは、王様とお妃様、それとハルト以下の弟妹たちだけで、その他の親戚については王族と呼ばれているということ。


 もちろん王族の方々の名前は覚えれなかったし、王家と言われるハルトの弟妹については、昨日会ったアイリス以外は覚えていなかった。



「しょうがないよ、年齢や立場でこの場に出られない弟妹たちもいるからね。ゆっくり覚えるといいよ」


 とハルトは優しく言ってくれた。




「……お疲れ様でした」


 ターフェがゆっくり休むようにと、ハルトとわたしを部屋へ案内する。


 その部屋はさっきまでわたしがいたピンクの部屋ではなく、屋敷の最上階にある広めの豪奢な部屋であった。床は落ち着いた青い色。アクセントカラーは白と金色で統一されていた。そして、どこかのホテルのスイートルームを思わせるような、広い部屋が何個か繋がっているところだった。


「ここは……?」


「俺の部屋。まずはアリスのここでの立場を教えないといけない、けど……」



 ターフェがハルトとわたしの洋服を持ってきた。


「急いでお着替えくださいませ」


 その洋服は、ここに転移してくる前に来ていたリクルートスーツであった。


 別室で手早く元の世界の洋服に着替えたわたしは、ハルトの目の前へ行く。



「よし、じゃあ移動するから、しっかり目をつぶっていて」


 そういうとハルトはわたしをさっと抱き上げた。

 同時にここに来るきっかけになった、懐中時計のオルゴール音が聞こえる。


 目をつぶっているのでよくわからないけど、わたしの頬にハルトの息がかかる。


「~~~~~っ!」


 わたしの顔は、きっと真っ赤だ。


 クスッというハルトの声が聞こえたあとすぐに、自分の身体の感覚がなくなっていくのを感じた。



「もう、いいよ」


 ハルトの声を合図に、わたしはそおっと目を開ける。

 そこは会社の給湯室だった。


「転移する前と時間は進んでいないから長丁場で悪いが、普通に勤務していてくれ。それと――」


 お茶汲みの仕事だけで済ます気はないから、覚悟しとくんだね。とハルトはわたしに耳打ちした。息が耳にかかってドキッとする。


 そのすきに、ハルトは給湯室を出ていった。その顔は……いつもの小花沢さんだった。



 *



「あ、杜若くん、ちょっといいかな」


 お茶を間違えなく配り終えて自分のデスクへもどったところで、藤山部長にわたしは呼ばれた。



「はい、なんでしょうか?」


 傍には興味津々の梨花先輩たちがいる。

 その梨花先輩たちの視線から逃げるように、藤山部長はわたしを打ち合わせルームに来るように言って去っていった。



「ね、何の話かな? アリス、ちゃんとお茶入れた?」


「はい……間違いはなかったはずですけど……」


 梨花先輩は、きっとなにかミスしたのよ~! とわたしにコソコソ言った。

 その梨花先輩の発言でわたしはものすごく不安になり、おどおどと打ち合わせルームに入った。



「失礼します」


 顔を上げて打ち合わせルーム内を見ると、そこには藤山部長と……ハルトがいた。

 少し顔が緩むものの、藤山部長の手前、申し訳なさそうな顔を作る。



「ああ、杜若くん、すまんね」


 わたしに、目の前にある椅子に座るように指示をする。


「我が社の方針で、これから女の子にも営業に出てもらおうという話があってね……希望を聞かなきゃいけないんだけど」


 そのあと、藤山部長はぼやくように言った。


「実はね、杜若くん以外は内勤でいいと断られているんだ。だから出来れば杜若くんに営業の仕事を覚えてもらってだね……」



 ……そっか、梨花先輩たちは営業の仕事を断ったんだ。


 この会社は福利厚生がしっかりしていて、さらに女子には過酷な仕事をあまりさせないということで人気が高い会社だった。さらにわたしにはお茶入れの仕事以外、まだなにも決まっていない状態なのだ。


 ここに来てから一週間はずっとコピーを頼まれたり、資料作りなどのお手伝いをしている段階だった。それで、新しく営業に出る女子ということで仕事を抱えていないわたしに、白羽の矢が立ったのだった。



「営業の仕事を教えるのは、小花沢くんだから、杜若くんは付いて仕事のやり方を覚えてほしい」


 断れない空気。

 でも、わたしはハルトと一緒に仕事をするなら、経験のない営業の仕事でもやっていけると思った。



「わかりました。これからよろしくお願いします。小花沢さん」


「ん、こちらこそよろしく。杜若さん」


 優しく笑うが、その顔は異世界でみたハルトの顔ではなく、やっぱりキリッとしたこっちの世界の小花沢さん、の顔だった。

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