三学期及び退職後
一
その年度の冬には、スキー修学旅行の引率で冬山に行った。
管理職では山田副校長がついて来た。
副校長は、最初と最後だけゲレンデに行ってインストラクターや山小屋の人に挨拶しただけで、それ以外は一人で宿舎に籠っていた。パソコンで書類を作ったりしていたのだろうか。それとも休んでいたのだろうか。
前の副校長は、よくゲレンデに来て生徒たちの様子を楽しそうに観察していたが、どうも様子が違う。
夜は、教員の飲み会があるが、その時も食事だけして部屋に帰ってしまう。前の副校長は、教員と一緒に飲んで、生徒の様子や教員とインストラクターの動きなどについていろいろと話をしていたが、山田副校長はそんなことはしない。教育活動に関心がなさそうなのだ。
「教育活動に関心がない」という言い方は副校長先生に対してどうも失礼なような気もするが、これはこれで正しいと思う。他の言葉を探すと、「ひきこもっていたい人である」という言い方もできるだろうか。
心の体力が不足しているような印象を受け、食事だけしてそそくさと自室に下がってしまう様子は寂しげだった。
というふうに同情的にとらえることもできるのだが、副校長の様子を見ているとどうも真面目に教育活動をする気が減じてくる。だんだんとこういう管理職が増えているらしい。
その後ぼくは、「なんだか疲れたなあ」と思いあっさり退職することにした。
最近の学校のあり方とか学校の教員という立場などが自分に合わないようにも思うし、教員同士とか管理職との人間関係がどうにも疲れる。学校よりも塾の方が向いているような気がするし、高校生よりも小学生を教えるのが向いているような気がするし、英語よりも算数を教える方が向いているような気がする。
それと、かなり前の教員になりたての頃のことだけど、やはりあの対教師暴力事件に出会ったことがかなり心にこたえているような気がする。西田君や西田君のお父さんと対面した時に不条理な世間を代表するような立場に立った時のなんともいえない居心地悪い感触を、かなり時間が経った今でも時々思い出す。
それについて、同僚の先生などと話すと、あんまり気にしない人やそれなりに気にするけどそういう立場にならないようにうまくかわしている人などが多く、やはり自分はそういった面でも学校の先生には不向きなのかもしれない。
そんなふうに、「転職した方がいい」という方向を支持する見方が次々と頭の中に浮かんできた。
できるだけ冷静に考えてみると、というか、正確に言えば冷静に考えたつもりになってみると、「退職する方が自分のためだし、現任校とかX県の教育のためにもなるのだろう」という結論になった。
それを山田副校長に話したら、「沢田さんは辞めることができていいですねえ」「私なんか、家族がいるから辞めたくても辞められない」とうらやましそうに言った。
その時、副校長のかけている黒縁のメガネが光ったような気がしたが、気のせいだろうか。
〈いきなりこんなふうにうらやましそうに言うかなあ〉
〈これも山田副校長らしい言葉だ。正直で野暮な人なんだなあ〉
辞めようとしてはいるものの、今のところまだ組織の中にいる人間にこんなことを言う人は珍しいのではないか。単純に「正直なのはいいことだ」と言えるかどうかは大いに疑問だけど、嘘を言うのが下手な真面目な人であることは確かだ。
幸子ちゃんは、退職することには特に反対しなかった。普段から学校の様子とか、自分がおかしいと思ったこととか、愚痴や弱音でも言っておいた方がいいと思ったこと、感じたこと・考えたことなどをいろいろと話していたので、それなりに理解されているようだった。
うつ病などになるより前に、合わない組織は早めに辞めてもらった方が本人にとっても周りの人にとってもいい。と思っているようだ。
幸子ちゃん自身、病院のカウンセラーである程度の収入があり実家もある程度裕福で、子どももいないし、経済的な心配が少ないことが大きかったのだと思う。
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