今日もどうも楽しめないことがいくつかあったので、例のスナックに行くことにした。

 いつものように、「かっこいいポーズだ」などと言いつつわけのわからない変なポーズをしながら入っていった。残念ながら、今日はRちゃんがいないので「かっこいい」というわざとらしい言い方を聞くことができなかった。

 カウンター席に座り、隣の人と話をした。その人はこの店に初めて来た若い男性で、ニューヨークに留学していて、日本に戻ってきてこのあたりにアパートを借りて住み始めて3か月くらい。現在、家の周りにどんなものがあるか探っているところだ。と言っていた。

 「ニューヨークに何を勉強しにいったのですか」と聞いたら「英語」と言われ、やや予想外だったが、少し離れた席にいた常連のYさんから「ニューヨークにドイツ語勉強しにいくわけがあるかあ」と関西弁で突っ込まれた。その人は、濃い顔をした40歳くらいの男性で、いつもカウンターにいて周りの人の言ったことに対しやたら突っ込みを入れる人。ぼくはやや苦手である。

 黙っていても仕方がないと思い「でも、ニューヨークだったらニューヨーク大学で国際法を勉強したり、ジュリアード音楽院でピアノや作曲を勉強したりする人もいるんじゃないですか。英語だったら別に日本にいたって、オーストラリアかフィリピンにいったって勉強できますよ」と言ったら、Yさんは途端に不機嫌になってそっぽを向いてしまった。

 いきなり思いついたことを一通り言ってしまったのがいけなかったのかもしれない。「まあ、それもそうなんですが、ニューヨークに行くと言えば、ジュリアード音楽学院で音楽の勉強をするとか、もしかしたらそういった人もいるかもしれないと思ったんですよ」くらいの方がよかったかような気もするが、それでもあんまり変わらないだろうか。結構うっとうしい場面で、自分にも不満が残らず相手も不愉快にならないうまい言い方というのが悩ましい。

 例えば、「なるほどー、『犬も歩けば棒に当たる』といいますからね」と関係あるのかないのかわからない変なことわざを言ったり、「ドイツという国を思いつくところがすごいですね」とほめているのか皮肉を言っているのかわからないことを言ったりするようなやり方がいいのかもしれない。とにかく、今回は真面目に答え過ぎてしまった。

 スナックにはスナックの人間関係があり、教員社会とは一味違う難しさがある。言われっぱなしでも腹が立つし、あんまり真面目に反論したりすると、機嫌を悪くする人が出てくる。

 学校の職員室に比べれば、校長・副校長みたいに制度的に偉い人がいないぶん、相対的に見れば気楽と言えば気楽だけどかえって難しいところもある。お金を払っているからと言って完全に何も考えないでいたら、全然楽しめない立場に追いやられるだろう。それなりに書かれていないルールらしきものがある疑似共同体のような場所だと思う。

 以前、幸子ちゃんと一緒に来たことがあって、その時は後で「男性のおひとり様で来ている人がいっぱいいて、その人たちの間で興味深い会話が行われていた」という感想を言っていた。

 確かに、あまり飲まないでよく人々の話を聞き後で思い出すならば、それらは興味深い会話だろうと思う。それと、女性の視点から見ると特に面白い、と言う面もありそうだ。でも、自分に関しては、スナックに来ると結構飲むし、疲れていて記憶力が低くなっている時に来ることが多く、あまりそういうふうに面白いと思ったことはない。


 その後あの変な夢を見て、起きてから少しして店を出た。

 幻を見たりするといけないので、歌は歌わないで歩いた。道路工事はもうやっていなかった。

 今日は帰り道に変な幻を見たり、警察官の職務質問を受けたりすることもなく、普通に家のたどり着くことができた。やはり、歌を歌わなかったのが正解だったのだろう。

 寝室をのぞくと幸子ちゃんは寝ている。でも、今日は誰かに電話しようという気分にもならない。

 不愉快なこともあったが、そんなに強烈ではなかったからなのであろう。

 ちょうど眠くなってきたので、そのまま寝ることにした。

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