午後からの研修は、例の教職員研修センターで行われた。10年経験者研修という名前の研修で、その名の通り教員になって11年目の人のための研修なので、初任者研修の時に会ったきり約9年間会っていない人に会えるのがとてもうれしい。

 その時の研修は、指導主事1人と教員4人が、一つのグループをつくり、教員が書いて来た生徒指導に関する事例を検討するという形式だった。指導主事は柳田さんという40歳位の地味なスーツを着た女性にしては大柄な人であった。

 ぼくは次のような事例を書いて持って行った(謹慎というのは校則に違反した生徒の登校を禁止したり教室ではなく個室で自習させたりすることで、謹慎解除は、そういう状態を解除して普通に授業を受けていいことにすること。合同部会というのは、生活指導部と学年の担任団が協議する会議。「見極め」とは謹慎を解除していいかどうか生徒の様子を観察するなどして判断することである)。

 

 謹慎及び謹慎の解除についていくつかの事例を見ていきます。

 どこに問題点があるのか。どういう角度から考えたらいいのか。というところからみなさんの意見を聞きたいと思うので、まずはできるだけ正確に、過去に自分がいた学校で起きたことを記述し、そこから問題点や着眼点などを探っていきたいと思います。

 A君という生徒がいました。この生徒は勉強のよくできる生徒であると同時に、大人の顔色を見たり相手に迎合したりするのが巧く、やや悪賢いところもありました。

 この生徒がある時バイク登校でつかまって謹慎に入り、規定の5日になる前日に学校に登校して、学年と生活指導部の教員が見極めを行いました。この時見た教員の感想は次のようなものでした。

「確かに頭がいいので教科の課題もちゃんとこなしているし、反省文もきちんと書いている。しかしあまりにもただただマニュアルどおりにやったというだけで、謹慎期間がなにかの役に立ったという感じはない。ただ単に今までも知っていた処世術を発揮したというだけで、謹慎期間中に何かを学んだということはないだろう。しかし、ちゃんと基準を満たしているのだから解除しないわけにはいかないだろう」

 私も見たのですが、Aという子は確かに勉強するのがそれほど苦にならないようで、教科の課題もほとんど完璧にこなしていた。反省文や反省日誌には「反省した」「もう2度とこんなことはしないと心に誓った」「どうしてこんなことをしたのかと激しく後悔した」等どこかで見たようなまさにマニュアルどおりの文が並んでいました。質問すると、「バイクに乗って登校すると自分が危険であるばかりでなく、制服を着て乗ったということでY校のイメージを損なうことになり学校のすべての人に迷惑をかける…」等すらすらと模範的な答えを言いました。

 でも、これでバイク登校をやめてくれるかと言えばどうも心もとありません。もしかしたら本当にやめてくれるかもしれませんが、これからはもっと見つからないようにやる可能性が高そうです。でも、見つからないやり方を工夫するのだって、多少の教訓にはなり得ていると言えないこともありません。

 教員集団には、あんまり晴れ晴れとした気持ちの人はいなかったと思われるのですが、話し合いの結果、規定の最低日数で謹慎を解除することにしました。


 次のB君の場合について見ていきます。

 この子もバイク登校でつかまり謹慎に入りました。

 B君はA君と違って大人の顔色をうかがったりするのは苦手です。そして幸か不幸か自分の考えを表現することに意欲のある子でした。文章を書いたりマンガを描いたりすることが好きで、現代の高校生には珍しく哲学書や文学書をよく読んでいました。

 「見極め」の時に書いてきた反省文はそれまでに見たことがないような独特のものでした。「…朝起きて時計を見た時に、私は狼狽した。普通にバスに乗って登校しては1時間目に間に合わないことに思い至ったのである…」「ドアをあけ、自転車置き場のところにいった。そして自転車に乗ってみた。するとあることに気が付いた。…」「自転車が壊れていることに気が付いた私は、今日だけオートバイに乗って学校に行くというとんでもないことに思い至ってしまったのである。…」といった小説調でした。ふざけているのか真面目なのかわからないような文章なのですが、本人と話してみると至って真面目に反省しているようでした。

 合同部会では、解除するのは少し様子を見た方が良いという意見も出されたが、「もう少し頭が悪く本など読まない子なら『バイクなんかに載ってなんて馬鹿なことをしたんだ』とそればかり訥々と書くしかないのでそれが胸を打つが、Bは頭が良いがゆえにかえってこんな文章になってしまう。しかし、本当は反省している。Bの場合は頭が変な方向に回転するので、人と同じような平凡なことを書くのが嫌だという性質がありそれで損している。本人にもそのことはよく話したので、ここは解除の方向でお願いしたい」と担任がBを弁護し、Bは解除になった。

 この生徒にとっては、「世の中には、誰でも書けるような平凡な文章とか誰でも言えるようなごくありふれた表現方法が必要な場合があるものだ」という教訓が得られたのでしょう。


 C君という子はまたA君やB君とは全然違うタイプで、大物なのか少し鈍いのかわからないような子でした。

 まず反省日誌が傑作です。謹慎中に1日ずつ何をしたか書く欄に、正直に「昼寝」とか「休憩3時間」などと書いています。馬鹿なのか正直なのかわからない子どもですが、これでは真面目に反省しているとは見なせません。

 個室に入れて置いて「見極め」に見に行くとなにやら落ち着きがない。こちらがお説教している最中に「今行けばすいているからパン買ってきていい?」などということをさりげなく言います。

 どうも何を考えているのかわからない子でした。憎めないところがあるのですが、いったい何を言えばいいのかこちらが迷ってしまうようなところがありました。

「謹慎期間というのは悪いことをして怒られている期間なのだから神妙にしていないといけないんだよ」

「そんな素朴な態度でいたらいつまでたっても授業に出られないから、もっと先生に気にいられるようにするにはどうすればいいのか考えなさい」

 などという馬鹿みたいな当たり前の幼稚な処世術みたいなことを言ってお説教するのですが、聞いているのかいないのかよくわかりませんでした。その点は、他の先生の感想も似たようなものでした。

 でも、いろいろな先生が行ってお説教するうちに、少しずつ反省しているような演技や自分が悪いと思っている演技ができるようになっていきました。知能が低いわけではなく、今までのんびりとした環境に育ってきて人間関係で苦労することが少なかったのでしょう。根性がひねくれているわけではないのですが、どうしたら相手に合わせられるかという問題意識に欠けているようでした。

 謹慎期間は普通の子より少し長めでしたが、謹慎は解除されました。

 

 D君はサッカー部で熱心に活動している性格のさっぱりした好少年でしたが、やや軽率なところもあり、ある時バイク登校でつかまりました。

 正直に事実を認め謹慎に入り、「見極め」の時に持ってきた反省日誌・反省文の内容は「もう2度とやらないことを心に誓った」などと実にマニュアル的でよさそうなことが書いてありました。

 しかし勉強することが苦手らしく、教科の課題をこなした量が少ない。一方反省日誌の1日の行動を書く欄に1日に10時間くらい勉強したように書いてありました。C君のように「昼寝」「休憩3時間」などと書くよりはましなのですが、10時間勉強したにしては全然勉強していません。

 担任の先生から聞いたのですが、それに対してこんなやりとりが行われたのだそうです。

「本当にこんなに勉強したのか」

「ちゃんとやりました」

「しかしそれにしてはあまり勉強した形跡がないなあ」

「すみません」

「こういう場合どういうふうに書けばいいかわかるか」

「……」

「確かにちゃんと勉強しているように書いて先生に気にいられようという心がけは悪いことでもないが、1日に10時間も勉強したようなことを書いて全然証拠がないのでは片手落ちだ。こういう場合は『家の手伝い』という欄を増やせばいい。そうすれば親だって早く子どもが謹慎解除になって授業に復帰して欲しいと思っているから、そんなにやってなくても、『よく手伝ってくれています』と書いてくれるだろう。そうすればそれが証拠になる。もちろん本当はちゃんと書いてあるとおりのことをしていた方がいいのだが、もしさぼってしまったら、その時は少し頭を使え」

 といったごく当たり前の処世術みたいなお説教をされてD君は謹慎解除になった。


 こうして見てくると、規則を破った生徒を謹慎させるような生徒指導も教科指導と同じ学校教育の一環なのですが、教科指導に比べると世渡り・処世術とか演技する能力を勉強させる面があります。高校にはB君のように「人に気にいられよう」「相手に自分の言いたいことなどが通じるようにしよう」という問題意識に乏しい子。C君のようにあまりにも素朴過ぎて世の中に出たらどうなってしまうのか心配な子。D君のように、悪気はないがすぐにばれてしまうような嘘のつき方の下手な子。これらはごくわずかな例なのですが、高校にはいろいろなタイプの大人の社会に入ると損な目に遭いそうで心配な生徒が多くいます。そうしたところをうまく直してあげるということは、あまり表だって言うのを嫌がる先生もいるのですがこれはこれで大切なことだと思います。「影の目標」とでも言ったらいいのかもしれません。

 ここには、高校教育と受験指導中心の塾や予備校での教育との違う面がよく現れています。もちろん受験でも「出題者の意図を読み取るように」「採点者に気にいられるように」というような一種の世渡り的な考え方は学ぶのですが、答案用紙を通さず直接生徒の言動がチェックされる機会はほとんどありません。ここに、高校教育は塾や予備校にはない特徴があります。

 4つの事例を通して考えてみると、建前だけでなく本音もうまく交えながら生徒と対話をしていくことが大切だと思いました。


 上記のようなレポートを書いていき、事前に担当の柳田指導主事に「4つの事例を並べてみて、比較して見ていくことで問題点を考えていくという内容でいいですか」と話したところ「事例は4つもいらないので1つでいい」と言われたので、発表のときは「D君の事例」及び「最後のまとめの部分をD君の事例しかなくても通じるように書きなおしたもの」だけを発表した。

 発表を聞いた柳田指導主事は、「客観的に見ているだけで全然問題意識がない」「解決策が書いてない」と言い、いかにも嫌そうな顔をしていた。

 ぼくは、「客観的」という言葉が否定的な意味で使われているのを聞くのは非常に稀だったので、新鮮な感じがした。

 そして、この場合の「客観的」というのはどういう意味合いなのだろうかと考えた。「客観的」という言葉は「実証的」あるいは「合理的」という言葉と類似的な意味合いで使われる場合と「第三者的」あるいは「俯瞰的」という言葉と類似的な意味合いで使われる場合があるように思うのだが、この場合は「~全然問題意識がない」という言葉と結びついているのだから「第三者的」という言葉に一番近いかもしれない。「傍観者的」といった方がよりニュアンス的に感じが出ているだろうか。

 一言で言えば、学校現場の中で働いている教員なのに、学校現場を教育社会学の対象のように見ている面があったのが問題視されたのだろう。「世渡り・処世術とか演技する能力」といった言い回しに眉をひそめている雰囲気があった。

 ぼくは、この今回のテーマに関しては、まずできるだけ多くの関連のある事実を集め、そしてそれをできるだけ正確に記述して、それをいろいろな人の目で見て問題点を探ることが大事だと思っていた。問題点がわかれば一番いいが、わからなくても「どんな視点から見るのがいいのか」あるいは「方法論について考えるためにはどんな方向性があるのか」等をあれやこれや複数の教員・指導主事の目で見ていき話し合うことに価値があるのだと思っていた。

 それは、学校現場で働いている教員は、教育社会学的な視点とか傍観者のような第三者的な視点も持った方がいいという立場である。もちろん、それだけでいいとは考えていたわけではない。

 でも指導主事の感覚は、教科書的に問題点を見つけて解決策を出すところまでを短い分量でワンセットで書かないと気持ちが悪いらしかった。自分はどちらかと言えば、そういうのはヤラセみたいでうさんくさいのから嫌だという気持ちが強いタイプで、どこに問題点があるのかわからない問題について、いろいろな方向から問題点を探っていくことがとても大切だと思う。

 自分は、それが必要な作業だと思うのだが、柳田指導主事はそういうものを予定調和的な狭く小さな安心できる世界に対する脅威のように見ていたのだろう。

 他の教員の評判も悪かった。特に、商業高校で10年くらい教えている村井先生という男性の先生は「いや、私の生活指導の大変な学校にずっといたけど、これは違うと思う…」と批判的な意見を言い、特別支援学校で10年くらい教えている山川先生という女性の教員も柳田指導主事と一緒に非常に熱心に文句を言っていた。

 自分では、他人がそんなに熱心に批判する気になるような内容だとは思っていなかったのだけど、学校の教師や教育委員会の指導主事をしている人にとっては、非常に気になる内容だったようだ。D君の事例の発表の中にあった、「…ごく当たり前の処世術みたいなお説教をされてD君は謹慎解除になった」というあたりが、教員の仕事の限界とかむなしさとかいったものを露骨に示していて感情を刺激したような気がする。批判してはいたのだが、とても熱心な様子だったので、やはり何か「気になるところ」「惹かれるところ」「無視できないところ」があったのだろう。

 5人の教員と1人の指導主事のチームで研究が行われ、3時間の間に5人が発表しそれに対する質疑応答をするというスケジュールだった。自分の順番が最初で、10分程度の発表をしたら、それに対して批判的な質疑応答が1時間半くらい続いた。そのため他の4人の発表・質疑応答時間がかなり短くなり、1時間20分くらいの時間で4人分の発表を駆け足で行った。

 他の教員のレポートを見ると、わりあい当たり前のことを当たり前に書いていて、それで何か新しいことがわかるという感じはしなかった。が、指導主事はそれの方が好ましいと考えているようだった。小じんまりとした固定的・予定調和的な世界観が展開されていると落ち着くのだろう。

 「0を1にするにはどうすればいいか」ということはほとんど眼中にないのか、あるいは故意に見ないようにして、「7が7であることを確認する」というところに関心があるようだった。

 全員の発表が終わり、お互いの発表について手短に感想を書いた紙を交換した。

 ぼくは、他人の発表を聞いて可もなく不可もない当たり前の内容だと思ったが、特に文句を言うべき内容でもないと思ったので比較的高く評価する内容のものを書いた。

 他の人がぼくの発表について書いてあるものを見ると、村井先生のものは「いい加減な学校にいましたね」と書いてあり、山川先生は「問題意識もなく、中身がない」という辛口の内容だった。もうひとりの高校の先生の書いたものも山川先生と似たような内容だった。それ以外に若い小学校の女性の先生が書いたものがあり、それはそれほど否定的な内容ではなく、「高校生の生活指導は大変だと思った」と書かれていた。

 この研修は次回も同じテーマで行われるので、最後に帰るときに指導主事の柳田さんから、「次回はちゃんと解決策を書いて下さいよ」と言われた。

 自分が指導主事だったら、「今回は沢田さんが書いたようなものもあった方がよい。いろいろな形式のレポートが出てくる方がいろいろな角度から生徒指導について考えることができる。問題点がどこにあるのかを探っていく視点とか方法論などについて考えることも非常に大切だ。柔軟性を持って取り組むことも大事だ」などと言うだろうが、それは教員の世界では珍しい考え方なのだろう。主に形式的・儀式的な観点から見て一定の狭い範囲内に収まることが半ば公然と求められていたようだった。

 ぼくは、10年以上前に教員採用試験の小論文の通信添削を受けていた時のことを想い出した。あの時も、真面目に考えて「問題点を探るためにはこういう視点から考えるといいのではないか?」なんて自分の考えたことを正直かつ真面目に書いたら点数が低くて、「ここに問題点がある。それを解決するためにはこういう方策をとるとよい」などとヤラセみたいな馬鹿に楽観的なことを書いたら、急に点数が高くなって思わず苦笑したことがあった。

 今回のことも含めて、これまでの教員になってから経験してきたことを想い出したり考えてみたりすると、どうも教員の世界とか地方公務員の世界が自分には合わないような気がしてきた。

 どうして、こうなのか考えてみると、大学が教員養成系の大学でなかったこと、大学院の頃に教育社会学を学んでいたこと、大学院修士課程を修了してすぐに教員にならずに塾や予備校の講師を5年くらいやっていたことなどに思い至る。

 大学院にいったのであれば学者をめざすのが一番いいが、オーバードクターが溢れていて大学や研究所に就職するのが難しそうなので修士課程修了後、博士課程にはいかなかった。確かにその頃の仲間でずっと大学や研究所に就職できていない人もいるから、それなりに現実的な判断だったのかもしれない。そして、塾や予備校講師になったが、人気講師にはなれず学校の先生になった。大学院修士課程修了後すぐに学校の先生になっていたら、少し違っていたかもしれない。

 また、大学院時代に学んだ教育社会学という学問も、教育現場を外側から比較的批判的・第三者的・傍観者的にとらえることが多く、学者やジャーナリストとして教育問題を考えていくのには向いている学問なのだけど、教員になる人にとってはかえって害になりやすい学問だと思う。

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