夏休み

 田上ティーチャーには、やはり手紙だけでは手ぬるい。ちゃんとわからせてあげるために、アパートのドアのところに張り紙をしに行こう。

 なぜか、そんなことを考えるに至ったのは夏休み中のある日のことだった。

 P高校の名簿がいくつかあったので見ていたら、年度の新しいものには、田上ティーチャーのアパートの住所が書いてあった。たぶん実家を出てアパート暮らしを始めたのだろう。もしかしたら、今も同じ場所にいるかもしれない。

 自分言いたいことを書いた張り紙を作りそれを持って、とりあえずそのアパートに行ってみよう。ということを思いついた。

〈しかし自分も、もの好きだなあ。なんのためにそんなことをするんだろう〉

 とも思うのだが、どうにも止まらない。

 今日は、暦の上では平日だが、学校は夏休みで自分も夏休をとって休んでいる。が、幸子ちゃんは、普段通り勤務先の病院にいっている。

 幸子ちゃんに見つかると、気を使わせるので、いない時にした方がいい。今日がチャンスだ。

 まずは、パソコンを使って張り紙を作ることにした。

 どんな文言にしようか。

 やはり「ヒステリックに怒鳴りあげるやり方は、怖かった。ああいうやり方はよくない」という趣旨の言葉は外せないであろう。

 それから「『耳に痛いことは、相手に発言させないで自分が聞こえなくなればそれでいいんだ』という安易な考えはよくない。真面目に受け止めるようにしてもらいたい。真面目に受け止めることでまともな人間になる可能性が出てくる」ということも知ってもらいたい。

 「まともな人間になる可能性が出てくる」なんて上から目線みたいだけど、本当にそう思うのだから仕方がない。人間、正直が一番。

 あれやこれや考えてできた文言がこれである。


 田上先生のようなヒステリックにゆがんだ凄まじい形相で怒鳴って怒鳴って怒鳴りあげるやり方はよくないと思います。

 ああいうやり方だと、周りの人はまともに話をしても無駄だと思い、いつもいつもバカにしてなんでも「ハイハイ」と言うことを聞くしかなくなる。他のやり方をとることができなくなる。

 それではお互いによくありません。もう少し普通の話し方で落ち着いて話し合いをするようにすれば、まともな人間やまともな教師になれる可能性が出てくると思います。

 田上先生の顔が世にも醜いのは、やはり、心の醜さが表に現れているからだと思います。

 だから、心の醜さを顔に出さないようにいろいろと工夫を重ねていけば、世にも醜い顔が、多少は見られた顔に変わる可能性もゼロとは言えないと思います。


 これらの文言をA4の紙二枚分に大きな字で打ち、そして印刷した。

 印刷されたものを読んでみると、とても露骨な文言であり相手に対して上から目線のような雰囲気があるのだが、確かに自分の考えたことを正直に表現してある。

〈まあ、こんなものだろう〉

 と思ったが、大切なことに気が付いた。名前を書くのを忘れていたのである。

 もう一回印刷するのも面倒だし、自分の名前だけサインのように手書きにするのもいいかなと思い、文の最後に「沢田恭二郎」という名前をポールペンで書き入れた。

そして、鞄の中にその紙を入れて、家を出た。

 電車の中では、時々鞄から紙を取り出して、それを見てにやけていた。

 「よしよし、ちゃんと書いてある。大丈夫だ。」

 それから、ドアに貼るためのセロテープも忘れずに持ってきたのをも確認した。

 田上ティーチャーのアパートの最寄り駅に着くと、携帯でパソコンの画面を撮った地図の写真を見ながら目的地に向かった。

 閑静な住宅街だ。

 真夏の雲一つない快晴の昼。さすがに熱く、汗がタラタラ出てくる。

〈なんで自分は頼まれたわけでもないのにこんな炎天下を歩くのだろうか〉

 なんだか、報われないことを一生懸命やっているなあ。と思うのだがどうも止められない。

 しばらく行くと、ホットファイブの5人のメンバーに会った。

 相変わらず黒っぽいスーツを着て、「怒鳴って怒鳴ってどなーりまくり…」という例の歌の合唱をしている。真ん中にいるのは、前と同じで頭が禿げあがりメガネをかけたおじさん。朗々と響く声で抒情的に歌っている。

 お辞儀をしながら通り過ぎようとすると、五人声を合わせて「頑張ってください」と激励してくれた。

 ぼくは思わず「ハイッ」と小学生みたいに元気よく答える。

 それからしばらく歩くと、今度は坂田の金時さんまたは銀時さんらしき人にあった。

 以前と同じように赤ら顔で、Tシャツのお腹のあたりに書いてある文字を見ると「金」と書いてある。

「金時さんですね」

「その通りじゃ」

「昼間でも現れるんですね」

「夜に登場するのは銀時。わしは、昼間に現れるのじゃよ」

 そして、「これを進ぜよう。がんばるのじゃよ」と渡してくれたのは、金色の斧だった。

〈今度はオレンジ色じゃないから本物の斧だろう〉

 と思い、「ありがとうございます」と頭を下げてうやうやしく受け取った。

 なんだか変な人によく出会う日だなと思ったが、ここまで来て今更引き返す気にはなれない。

 携帯電話の画面にある地図を見ると、そろそろ目的地だ。あたりを見回すと、さきほど家でグーグル・アースを見ていた時にパソコンの画面に出ていた光景と似ている。

 目的地の番地は「X1―15」。電信柱にある番地の表示を見ると結構近いことがわかる。「X1―13」から「X1―14」、さらに歩いていくと「X1―15」になった。

〈このへんにあるのだろう〉

 あたりを見回すと確かにアパートらしき外階段のある灰色の建物がある。

 住所を確認すると「X1―15―3」で、名簿に出ていた住所と同じある。

 名簿に出ていた部屋番号は205。見ると外階段があるので、それを上がっていくことにした。

 勇気を出して階段を上がる。トントントンという、錆びた鉄の階段に靴が当たる音が低く響く。

 そして、部屋番号を確認しながら外廊下を歩く。「201」「202」「203」そして「204」がなくて「205」。

〈ここだ〉

 鞄から例の紙を取り出した。

 A4の紙が2枚。それからセロテープも取り出してまず、2枚をセロテープでつなげた。

 ドアに貼ろうか、それとも郵便受けに入れようか。

 紙を作った時はドアに貼るつもりだったが、誰かがいたずらしてはがすと困るので、郵便受けに入れるのでもいいかな。どうしようか。

 と迷っていると、突然ドアが開き、田上ティーチャーが顔を出した。以前同じ学校にいた時と同じ面長・馬面で目が大きく顔全体が大きい。そして、女性にしては大柄でガタイがいい。

「どうも」かろうじてそれだけ言うと、「どうして来たの」と聞かれた。

「いえ、あの…、渡したいものがありまして」と言って、例の紙を渡した。

 田上ティーチャーは、それを受け取ると同時に読みはじめ、そしてたちまち怒りが顔中に充満する。

「まあ、参考になったら参考にしてください」

 と怯えつつ言うと「参考になるわけないじゃない。何でこんな変なことばかり書くの。単なる嫌がらせよ」と言いすごい目つきでにらみつけた。

 怖いので思わず金時さんにもらったマサカリを握り締めると、田上ティーチャーは、すかさずその手を蹴りあげる。

 マサカリは、手を離れてブーメランのように回転しながら空高く飛んでいく。太陽の光を浴びて金色に光りながらどこまでも飛んでいく。

 どこまで飛んでいくのだろうかとあっけにとられながら感心して見ていたが、ふと田上ティーチャーの方を見ると、顔が変形して、丸顔になる。それは、自分の母の顔だ。

 それは確かに、あのとろろ芋を本棚に投げつけた時の母の怒りの形相である。とろろ芋をちぎっては投げちぎっては投げる凄まじい場面を思い出した。

 どこかから「おばさんに養ってもらっているわけじゃないんだからね」という叫び声が聞こえてきた。

「あー」

 ぼくは、泣き声のような声を出し、恐怖のあまりすごい勢いで外廊下を走り、階段を駆け下りて、道路を走る。ひたすら走る。炎天下、汗をかきながら走る。体中が熱く走らずにはいられない。

 その時、ホットファイブの歌のイントロが流れ始めた。

 「わわわわー」というコーラスが聞こえてくる。

〈ホットファイブじゃなくてクールファイブだったかな〉

 頭が混乱してどっちだったかわからなくなった。


「沢田さんの番ですよ」

 Rちゃんの声で目を覚ますと、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」という歌のイントロが流れていて、すでにマイクも用意されている。

〈やっぱりそうか。どうも、現れるメンバーが夢の中でしか会えないような不思議な人ばかりだったからなあ〉

 うすうす気がついていたような気がするのだが、夢であった。なんとなくそんな気がしていたのに今まで目が覚めなかったのが不思議である。

 Rちゃんは今日もにやけているが、「今日もにやけているね」と言う前にイントロが終わってしまったので、ぼくは、Uという演歌歌手の物まねふうにうねりのある歌い方で歌い始めた。

 

 帰り道を歩いていると、ばくは今日も歌が歌いたくなった。

 だが、例の田上ティーチャーのテーマソングみたいない歌は、シュプレヒコールがついているので、警察官の職務質問を受ける可能性がある。あれはやめた方がいいであろう。

 金太郎とマサカリの歌も、変な幻を見る恐れがあるのでやめるのが無難であろう。

 他にもいろいろと歌いたい歌はあるが、歌わない方が警察官の職務質問やら変な幻やらに出会う可能性は減るような気がする。

〈歌はやめておこう〉

 今日一日を振り返りながら歩くことにした。スナックから家まで約15分。泥酔していなければ、若干物事考えたり、一日を振り返ったりしながら歩くのにちょうどいいくらいの距離である。

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