一学期
一
4月には、例の自己申告書という書類の提出締め切りがあった。
年度当初の提出時には年間の計画及び目標を書く。それについて、教育活動が計画通りできたか、予定通り目標が達成できたかを翌年の3月に書いて提出し、それを基に管理職と話し合うという。途中、2学期の10月頃に管理職に中間報告を行う面接もある。
自己申告書については、あまり教員のパーフォーマンスの向上には役に立っていないのではないかと考えている教員が多く、「形式的に書類を整えることが優先されて、実際の教育活動と無関係なものになっている」という批判が根強いのだが、一向に廃止される気配はない。1回始めたことを廃止するのは楽をするためにやるみたいな感じがするので、よほどちゃんとした理由がないと難しいのかもしれない。
自己申告書には、授業や分掌の仕事について書く欄の他、研修計画を書く欄がある。5月のどこかの日曜日にX県内の大学で英語教育の研究会があるので、ぼくはそれを書くことにした。参加目的は、一応正直に「講演及び出品された教材に触れることで、自己の教育活動にどんな問題点があるのかを探る」と書いておいたが、管理職から何か言われたら、言われた内容や言い方にもよるけど、直してもいいかなと思っていた。
提出して3日くらいして、案の定副校長に呼ばれた。
「研修会というのは、『こういう問題を解決したいから、こういう講演を聞きに行こう』というふうにちゃんとした目的があって行くものなので、そういう方向で書き直してもらいたい」
「そーですか、でも、あらかじめどこに問題があるのかわかっていることというのはそんなに大した問題ではなく、どこに問題点があるのかわからないことを考えていくことが一番大切だと思っているのですが…」
副校長は貧乏ゆすりを始めた。
「いや、そうではない。『こうこうこういう問題があって、その問題を解決するためにこういう講演を聞きに行こう』というきちんとした見通しがないと自己申告書という公の書類に記入する研修としては認められない」
「それは、県の教育委員会にそういう指針があるんですか」
「指針があるかどうかは知らないが、そんなことは常識だ」
副校長は黒縁メガネに手を当てたり貧乏ゆすりをしたりして、少し怒気を含んだ声を出している。
ここで、「常識どおりのことしか言えないようでは、真面目に教育について考えているとは言えないんじゃないですか」と言いそうになったが、それでは副校長をさらに怒らせてしまいそうでどうも気がすすまなかったので、これは言わなかった。でも、長い目で見ればこうしたことは率直に言っていく方がいいのかもしれない。確かにこの場面で「常識どおりのことしか言えないようでは~」という言い方は少し率直すぎて無理筋かもしれないが、何かソフトに表現する方法を見つけて聞いてみたいところだった。
例えば、「『常識というのはどういう常識なのか』『どうしてそれが常識になっているのか』などについて考えていくことも大切だと思うので、もう少しわかりやすく説明するとどうなるか教えてもらえませんか」くらいの言い方を用いてもう少しこの線で話を続けるように試みてみた方がよかったかもしれない。でも、そういう言い方は思いつかなかった。
実際には次のようなことを言った。
「繰り返しになりますけど、どこに問題点があるのかわからないことについて、問題点を探ることが大切だと思います。真面目に考えてそう書いたのだし、そう悪いことではないと思うのですが…」
「そう思うのは勝手だけど、自己申告書にそんなことを書くのは駄目だ」
あんまりしつこく言うと怒られそうなのでこのへんでやめることにした。
「わかりました、それでは書き直しておきます」
副校長はほっとしたような表情になった。
それにしても、自己申告書なんてわりあい形式的なものだと思うのだが、やはり予定調和的な世界からはみ出した文言が存在すると気になるのだろう。「なかなか真面目な副校長先生」と言えば聞こえはいいが、「柔軟性がない」という言い方もできる。
とにかく副校長は、県の教育委員会の人が見る書類に関しては並々ならぬこだわりを持っているようだった。
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