十一
その日は、午後から二人でプロレスを見に行くことになっていた。幸子ちゃんはプロレス好きで、自分も時々つき合わされる。
臨床心理士とプロレスってなにか関係がありそうな取り合わせのような気もする。が、よくわからない。
頭の調子は大いに変かもしれないが、別に体調は悪くないので、予定通り行くことにして、二人で家を出た。
プロレスの試合中、幸子ちゃんは手に汗を握り興奮して見ていたが、ぼくは一応喜んで見ているふりをしつつ、自分の母親のことを考えていた。
たぶん、朝、幸子ちゃんに言われたことが気になっていたのだろう。
ぼくが、小学校2年か3年くらいの頃に、親戚のおばさんが家に遊びに来た時のことだ。
親戚のおばさんは、太り気味でなにかと言えばウヒャヒャヒャという豪快な笑いを繰り出す明るくて面白い人で、自分たち兄弟には人気があった。一方、母は真面目で落ち着いた感じの人だった。
おばさんは、帰る時「何か欲しいものがあったら買ってきてあげるわよ」と言った。ぼくと妹は「とろろ芋がいい」と言い、おあばさんは「そんなものあるかしらねえ」と言いながら帰っていった。
その30分くらい後で、「ついに見つけたわよ」とにこやかに言い、買ってきたとろろ芋を置いていってくれた。
ぼくと妹は大喜びだったが、母はいい顔をしなかった。
「私はつくらないからね。食べたければ自分で料理しなさい」
そこぼくは、台所でおろし器を出して自分でとろろをすりおろし始めた。
やってみると意外と面白いもんだと思いつつ、サクサクと音をたてて楽しそうにすっていたと思う。
その様子を見ていた母は、イライラしている様子だったが、ついに怒りを爆発させて、「台所でこんなことをされたら邪魔」と鬼の形相で怒鳴った。そして、とろろをひったくり「うちはね、うちは…、おばさんに養ってもらっているわけじゃないんだからね」と大声で叫びかつ泣きながらおろしかけのとろろをちぎっては投げちぎっては投げして、その部屋にあった本棚にたたきつけた。
妹とぼくは、その凄まじい様子にあっけにとられていた。
その後、母がすべてのとろろをなげ終わると、ぼくは本棚のところに行き、とろろの汁がたれているところに指につけてはなめることを始めた。それを見た妹も、マネをして同じことを始めた。
母は「あなたたちそんなにとろろが食べたかったの。もういいでしょう」とあきれながら、雑巾で本棚を拭き始めた。
見方によってはほほえましいエピソードなのだが、あの時の母の鬼の形相は怖かった。田上ティーチャーの怒った時の顔と確かに似ているかもしれない。
ふと気が付くとプロレスは終わっている。
幸子ちゃんが喜んでいるので、応援している側が勝ったのだろう。
「どっかで食べてから帰ろうか」
「でも、この辺にある店は高いわよ」
「それもそうだね」
結局、家の近くの居酒屋で食べたり飲んだりしてから帰ることにした。
まずは、生ビールで乾杯。
昨日は、自分の頭の中だけで起きた事件なども含めると、変なことがいろいろと起きた一日であった。
まずは、落ち着いてビールを飲むことにした。そして、焼き鳥が来たので、それを食べ始めた。
「朝、言い忘れたんだけど、人間、一般的には『現在の状況に問題があると、過去の似たような困ったことを思い出しやすくなる』という場合が多いんだけど、今の職場にも田上先生みたいな人がいる、なんていうことはないかしら」
「まあ、何をもって似ていると言うのか難しいけど、英語科の場合、試験問題を共通問題にする場合が多いから、どこの学校に行っても、それをめぐって似たようなこと、教員同士のちょっとした摩擦みたいなことはありがちだね」
「ふーん」
「まあ、あきらめるしかないんだけど、田上先生の場合には、怒り方があまりにも強烈だし、話を進め方が異常だからなあ。あそこまですごい人はめったにいないと思うな」
「そーお」
なんだか疲れ気味だが、もっと飲めば疲れがとれるかもしれないと思い、生ビールをもう一杯注文することにした。
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