土曜日の午後、彼女と映画を見てから居酒屋に行った。

 彼女は良子ちゃんという名前で、去年の初任者研修で知り合った。最近は、組合の青年部の活動で知り合うよりも初任者研修で知り合ってカップルになる人が増えていたようで、自分の場合もその例にもれない。国の教育行政やQ県教育委員会の狙いが成功して、組合の力が衰えてきていることの現れの一つなのかもしれない。

 Q県では初任者が底辺校に行くことが多く、良子ちゃんも自分と同じような底辺校に勤めていた。

 ぼくは予備校講師からの転向組だが、良子ちゃんは私立高校から進路変更して県立に来たそうだ。 

 映画はインド映画で、変な音楽に乗って美女やお笑い芸人踊ったりする恋愛コメディーミュージカル映画だった。

 高校生くらいの年代の若い俳優も出ていたので思ったのが、「インドの高校でも、生活指導などは大変なのだろうか」ということだった。インドの高校進学率はたぶん日本よりは低いだろうから、今自分が勤めているような底辺校はないかもしれない。でも、多民族国家だから日本の高校よりももっと難しい問題があるのだろうか。

 などと、映画とは直接関係がないことを考えながら見ていた。

 映画を見終わると、良子ちゃんと居酒屋に行きビールで乾杯した。

「インドの女の人は豊満ですね」

 と、良子ちゃんはしきりに映画に出てくる女優の容姿のことを話していた。

 そのうちにお互いの学校に話になり、現在自分が巻き込まれている暴力事件の話になった。

 一通りこれまでのことについて話すと良子ちゃんはいくつか感想を言った。

「事件の日の校長先生の対応はなかなか素早いし、管理職としては適切だと思う。今、県立高校で生徒を辞めさせるのは、管理職の苦労の種をつくる場合が多い。だから、まず事件のことを直接知っている唯一の大人である被害者が『大したことないですよ』『加害者には寛大な措置をお願いします』と言うように持っていくのは、問題の生徒を辞めさせないようにするためには、なかなか頭のいい方法だと思う」

「ふーん」

「でも、今までの話を聞いていると教員一人と生徒一人及び授業を受けているクラスの生徒集団の関係を圧倒的に重視していて、教員集団の問題としてとらえる視点が弱いと思った」

「うーん、そういうものかな」

「結局、当事者、つまりこの場合は沢田さんだけど、校長先生が沢田さんの周囲の環境についてどうやって考察しているかがあまり見えてこない。たぶん、あまり考えていないんじゃないかな」

「うーん、そう言われてみるとそうかもしれない」

 良子ちゃんの見方は管理職の利害や考え方をうまくとらえていてなかなか的確だ。それに当事者だけでなく教員集団の問題としてとらえる視点も優れている。自分よりもよっぽどしっかりしていて、もし結婚したら尻にひかれそうだ。

「うちの学校でも去年、あんまり似てないとも言えるけど、生徒の進路変更に関係があるという意味では似ている事件が起きた」

 良子ちゃんは、昨年彼女の勤務校で起きた事件について話し始めた。


 良子ちゃんが勤めているZ工業高校では、欠席の多い3年男子のAという生徒が、バイクで登校したのを見つけられて謹慎になった。

 謹慎中も態度が悪くて短期間で謹慎解除とはいかず、謹慎中に欠時切れ(年間欠時数オーバー)が数科目出たために卒業できなくなってしまった(多くの学校では、謹慎中に授業に出席できない場合に欠席扱いになることが多く、Z工業でもそのやり方を取っていた)。

 これについて校長に相談したところ、校長は生徒の進路変更に強硬に反対して、教員集団の反対を無視して独断で校長室に登校させ、それをもって単位を認め卒業させることにした。

 教員集団はこれを不服として、団体で校長室に押しかけて「校長不信任」を宣言した。良子ちゃんも人間関係が悪くなるといけないのでみんなが校長室に行く時に後ろからついていったそうだ。そして、管理職(校長・教頭)が参加する職員会議は開かず、管理職抜きで教員だけで「職員会」というものを開いてそこで学校運営に関する事項を決定するようになった。

 校長は担任の先生と相談して指導要録に適当な成績をつけたようである。A君は卒業式には出られなかったが、その代わりに校長室で卒業証書を渡したらしい。

 職員室の隣に校長室があり、校長室で校長が一人で朗々と校歌を歌っているのが聞こえてきた。たぶん、あれが卒業式の代わりだったのだろう。

 校長はその年度が現役最後で3月いっぱいで定年退職になり、噂では4月から県の嘱託に残るのではなく、管理職になる前の工業科の教員としての専門を生かし、民間に行き配電工になったらしい。


「なんだか、外側から見ると笑い話みたいな話だね。『校長室から校歌を朗々と歌う声が聞こえて来た』なんてコメディ映画みたいだ」

「確かに他の学校の人から見たらそうなんだけど、みんな大真面目に怒ったり発言したりしていたわ」

「まあ、確かに中にいたらそうだろうなあ。でも、その校長だけど、定年退職後に県の嘱託に残るんではなくて民間に行き配電工になるんだったら、別に退学率を下げて県の教育委員会のご機嫌をとる必要もないんじゃないかな」

「そこはやや不思議な人だった。たぶん、あの人にはあの人なりの信念があったんじゃない」

「信念か…。どういう信念かな」

「例えばだけど『謹慎中に欠時が切れて卒業できないのは可哀そう』とかいうことかもしれない」

「ふーん。うちの学校でも去年謹慎中に欠時が切れそうになった生徒がいて、ちゃんと反省しているか疑わしい子だったけど、少し甘くしてあげて切れる前に解除したことがあったな」

「どこの学校でも似たようなことがあるのね。私は前はわりあい偏差値の高い私立高校だったから、少し文化の違うところに来た感じはする。でも、教員の上下関係は私立に比べると緩やかだから、そこは勤めやすくなった」

「俺は、塾や予備校に比べると分掌の仕事とかクラブの顧問とかいろいろあって、どうもややこしい立場になったなという感じだな」

「教育関係と言ってもいろいろだからね。塾や予備校は、私は学生時代のアルバイトの経験しかないけど、授業職人みたいな感じで授業さえちゃんとできていればいいのかしら」

「まあ、概ねそうだな。学校の方がいろいろな仕事をバランスをとってうまくやっていくことが求められているので、器用な人に向いている。と思う。どうも俺は向いてないような気がする」

「まだ、始めたばかりだから、そう決めつけない方がいいんじゃない」

「そうかな」

 せっかく会ったのに仕事の話になってしまったが、これはこれである意味有意義だったと思いつつ、居酒屋を出たところで別れて家に帰った。

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