第4話♀メビウス

 ≪メビウスの輪≫

 ―表と裏が、縁を乗り越えずにつながっている環―


 メビウスの輪の中心に線を入れていくといつの間にか表から裏へまわりいつの間にかまた表へと戻っている。

 美佳はまるで本物と見間違えるほど丁寧に仕上げられたヒマワリを手に立ち尽くしていた。


 ―偽物か―


 美佳は隆弘と旅行に来ている。営業職の隆弘の携帯には四六時中、着信がある。今も、美佳から少し離れた物陰で誰かと話している。隆弘と出逢ったのは6年前。


 お互いに今より少し若かった。

 美佳は23歳、隆弘は34歳。2人が恋愛関係になるのに時間はかからなかった。≪磁石のように≫と表現してもいいほどピタッとはまった。お互いに心の空いていた部分を補いあうかのごとく声を聴くだけでお互い落ち着き和み強くなれた。


 ≪運命の人≫

 ―元は一つであった人―

 本当にこの世に≪運命の人≫が存在するのなら、美佳にとっては隆弘で、隆弘にとっては美佳なのかもしれない。


 ただ、小説やドラマみたいに現実はそうロマンチックに出来てはいない。


 例え、そうであったとしても隆弘には妻子がいる。


 出逢った頃の旅行なら≪恋人≫だっただろう。お互いに年を重ねてしまった今では、2人で歩いていると必ず店員さんは美佳を≪奥さん≫と呼ぶ。


 ―偽物の奥さん。偽物夫婦―


 美佳の気持ちを知ってか知らずか、隆弘は横で優しく笑っている。この6年間美佳の中で葛藤は山ほどあった。


 ≪別れる≫と距離を置いたこともあった。

 別れを告げて、恋人を作ったこともある。

 しかし、それはいつもあっけなく、美佳から相手に別れを告げて終わる。


 隆弘が埋めていた穴を他の誰かに求めても、けして画鋲で開けたほどの小さな穴で

 すら埋まることはなく逆に画鋲程の穴が、いつの間にかパンチ程の穴になり、さらに無理して一緒にいると大きな大きな穴へと変化していく。


 美佳は幾度となく≪孤独≫というその穴へ飲み込まれ、苦しんだ。


 最近人気のSNS。恋人たちは写真を撮ってはアップし≪いいね≫を求める。美佳がアップするのは風景ばかり。


 ―まるで、一人旅―


 恋人との写真が溢れている友人たちの写真を眺めては≪いいね≫ボタンを押す。

 横に隆弘はいるのに、美佳の写真の中に隆弘の姿はない。いつも一人。二人は表の世界では存在してはならぬ関係。


 恋人たちが盛り上がるイベントが世の中には溢れすぎている。

 クリスマス、誕生日、バレンタイン…。どうして世の女子達はこんなにもイベントを恋人と過ごしたがるのだろうか。そして≪一緒に過ごす≫という事をアピールするのだろうか。


 長年≪恋人はいない≫

 ことになっている美佳にとっては≪面倒なシーズン≫だ。


 恋人のいる女子からの≪おせっかいの嵐≫。

「彼氏できた?」

「いや。なかなか出会いもなくて(苦笑)」

「友達にフリーの人いないか彼氏に聞いてあげようか?」

「ありがとう。気持ちだけで十分(苦笑)」

「それだから○◇×☆И…」

 美佳に対しての≪積極性がないだの≫のいつものお節介な≪ダメ出し≫が始まろうとした所で美佳は強引に会話を絶ち、席を離れた。


 ―面倒くさい―


 毎回、こういった場面は繰り返される。そこに加え、春に移動してきた上司は


「(独身、フリーなのは)選びすぎ」

 などと言ってくる。美佳の最も嫌いな男性のタイプ。


 ―何も知らないくせに、偉そうに―


 強く心を持とうと思っても不安はある。≪愛人≫には愛人のプライドも辛さも葛藤さえもあるのだ。


 何もかもが<強がり>で堂々と<幸せですよ>とアピールをする周囲での≪嫉妬≫でしかないことは美佳が一番よく分かっている。


 二人で来た旅行。笑香にとっては休日のプライベート旅行。しかし隆弘にとっては仕事間の旅行。隆弘は顧客に会いに来ている。その遠出に笑香を助手席へのせついでに一泊旅行としたのだ。


 隆弘は笑香を顧客の家から少し離れた所へ降し

「終わったら連絡する。」

 と言い、車を出した。いつもの事なので慣れている。

 今日は2時間くらい掛かるという。


 笑香はさっき撮影した写真を眺めて溜息をつく。


 何があっても隆弘の味方であり、隆弘の癒しでありたい。美佳はそう願っている。


 さぁ、これから2時間何しようかな…


 いつもなら、隆弘からの連絡を待つ間一人で楽しく過ごせる。

 ショッピングをして、探索をしてワクワクしていた。


 ≪隆弘に何て話そう≫≪何をしたよ≫って伝えよう…


 そんなことばかり考えて、ワクワクして一人の時間の楽しめたのに、今日はなんだか一人の寂しさが勝ってしまう。


 周りを見渡しても≪面白そう≫≪隆弘に伝えたい≫と思うものがない。とは言え2時間ここで、ぼぉ~としているのも違う気がする。


 笑香は一先ず、歩き出した。


 少し歩くと、小さなお店を見つけた。


 ―なんの、お店だろうー

 すると、店内からお客さんと店員さんが出てきた。何となく会話が聞こえてきた。


 ここは≪美容院≫のようだ。


 ―カットくらいなら…時間はまだある―


 カランっ


 扉を開けると音色がした。


「予約…してないのですが、カットお願いできますか」


 店員は、少し黙って予約リストを確認し

「大丈夫ですよ」と一言。


 閉ざされた個室へ案内された。笑香が少し不思議そうな顔をしていると、店員は

「初めての方は、個室をご案内しているんです」

 と、教えてくれた。


「どうして?」と尋ねようかと思ったが、止めておいた。


 カウンセリングもシャンプーもカットも全て、この閉ざされた空間で静かに進んでいく。


 肩甲骨まで伸びた艶やかな髪。隆弘の好きな髪型。


 どこか、気分が上がらなかった笑香は≪面白い≫ことを思いついた。

 隆弘は長い髪が好きだ。色は落ち着いているほうが好きだという。


「ショートでお願いします」

 ローマの休日のオードリーヘップバーンにでもなったかの気分だ。


 カットの間、店員は何も話さない。刻々と時間だけが過ぎていく。鋏の音が心地いい。知らない土地で、知らないお店で、バッサリと髪の毛を切っている。


 何だか≪自由≫を手にしている気持ちになる。


 ―隆弘は何て言うだろうー

 きっと、「どうしたの?」って驚いて、

「似合うね」って言うのだろう。


 隆弘が言いそうな言葉は、大抵わかる。笑香は知っている。隆弘が笑香を大好きなことを。

 だから、意地っ張りで、甘え下手な笑香も隆弘の前でだけ≪泣いたり≫≪笑ったり≫≪怒ったり≫≪拗ねたり≫≪悪戯したり≫子どものように無邪気になる。


 気づけば、さっきまでの曇った気持ちはどこかへ行き笑香はワクワクした気持ちになっていた。


 店を出ると同時に、携帯が鳴る。笑香は小走りで隆弘の元へ急ぐ。


 私の未来に≪結婚≫という道はないかもしれない。


 しかし、今隆弘の元へ急ぐ、このワクワクする気持ちを手放すことは出来ない。


 隆弘が私を見て、予想通り「似合うね」と言ってくれたら


 ―私は、隆弘が休む日陰として生きよう―


 笑香はそう決意した。

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