第2話♀ひとりになりたい
嘉帆は30歳になった。
嘉帆は一人が好きだ。
その割に、一人になると不安が押し寄せてくる。
会話をするのは面倒で、愛想笑いをするのも注目をされるのも全部、苦痛だが全くの一人となると自分がまるで透明人間にでもなってしまったのではないかという孤独と≪必要価値が無くなった≫と言われているような気がして耐え難く、また人の輪の中へ戻ってしまうのだ。
相手を傷つけるのではと本音を言えず、面倒な事も背負いがちの嘉帆。周囲は嘉帆の優しさに甘え、頼りいつしか嘉帆は輪の中で必要不可欠な接続部分的な役割をなしていく。
それは、大人になった今でも続いている。学校という限らせた世界を抜け出し、社会に出ると頻繁に連絡を取り合う友人はほんの数人になっていった。
嘉帆にとって、気の許せる相手。どこか似ているようて、どこも似ていない。
嘉帆の周りには自然と人が集まり、笑いが起こる。嘉帆は知っていた。
それは卒業10年目という節目の年に開いた同窓会での出来事だった。中学校を卒業して以来の同窓会。80人近くが集まった。
元ギャルの子から、がり勉だった子、休み時間に教室の片隅でひたすら漫画を描いていた大人しい子、中には中学校生活の三年間で一度も会話をしたこともなく、顔さえもわからない子すらいる。
そんな中でも嘉帆を知らない子はいない。
会話が弾んでない席へ、嘉帆が移動する。すると自然と会話のスポットは嘉帆が移動をした静かなグループへと向けられる。
―みんなが楽しく騒いでいる姿を、ひっそりと会場の角から見ていたい―
そんなことを思いながらも、嘉帆は全体を見ては器用に会話のボリュームを取っていく。
その同窓会が以降、盆と正月に数名のメンバーが集まるというのが恒例となった。嘉帆はそこでも会話のバランスを取る。
長年2人ワンペアのように連れ添っている嘉帆の友人は、気配り上手で大人しい。
いわば、女性らしい子だ。大皿の料理もスッと取り分けてしまうようなその子と嘉帆はいつも比べられ、嘉帆はオチ要員として使われることも多かった。それでも良いと思っていた。
嘉帆の髪は長いストレート。
会話のバランスを取ることに長けていた嘉帆。
しぐさや言葉で、露骨に女性らしさを出すことはしない。
それは他の女性陣が行い、男性はそれをどこか疎ましく感じていることを理解していたのだ。
だから、嘉帆は女でありながら男性のように振舞うことが多かった。
そうすることで男性の集まりと女性の集まりを繋いできたのだ。
女性として扱われないのを承知の上で嘉帆はそのキャラを演じてはいたが、やはり傷つくことも、悩むことも多かった。
この長く伸びた髪は、嘉帆自身、自分が女であることを見失わないためのものでもあった。
嘉帆は職場近くの美容院へ駆け込んでいた。
それは思いもよらない出来事だった。
仕事のイベントで使用するキャンドルの準備をしている時に、同僚の不注意からキャンドルの火が嘉帆の髪に当たってしまったのだ。火傷には至らなかったのもの、嘉帆の自慢の長い髪の先はチリチリと焼け焦げてしまっていた。
今日のイベントで嘉帆はチーフを務めている。そのためクライアントをはじめ、多くの来賓者とも挨拶を交わさなければならない。
そう、夜のイベントに間に合うように、急いで毛先を整えに駆け込んだのだ。
「予約、していないのですが…」嘉帆は申し訳なさそうに言う。
「こちらへ、どうぞ」他のお客達とは離れた席へ導かれ、ロールカーテンが下された。閉ざされた空間の中で嘉帆一人。スタッフも見当たらない。もちろん、誰の話し声もしない。
薄いロールカーテンの向こうにはたくさんの人が慌ただしく動き、楽しそうに会話をしているはずなのに、嘉帆は一人。だが寂しくない。
なんとも不思議な感覚を抱いていた。
―一人ということを忘れさせてくれる空間―
嘉帆はそっと自分の髪に指を絡ませ見つめた。
静かな空間で落ち着いた、BGMが心地いい。
指の間を通り抜ける髪を見ながら、嘉帆は自分の経験をしていたあらゆる事を思い返していた。
学生時代、恋人との事、過去の恋。今の自分。
―これで、いいのかなー
チリチリと焼き焦げた髪は嘉帆の指をキレイに通り抜ける事が出来ず
…止まっる…
指に絡む焼け焦げた髪をみて、自分の姿が映し出されているようでクスっと口元を緩めた。
「おまたせ致しました」一人の若い男性美容師が入ってきた。
「いえ…」一人笑った顔を見られてしまったのではないかと内心ドキドキしながら、嘉帆は返事をする。美容師は、嘉帆の髪に優しく触れる。その優しい指先に嘉帆は少し酔いしれてしまい“ぼーっと”してしまった。
すると、耳元で少し低音の声がした。
「どうしましょうか…」
嘉帆はまたまた、恥ずかしくなり少し裏返りそうになった声をしきりに誤魔化し
「切ってください」と伝える。
―よし、バレていないー
きっと、目の前の客が自分の指先に特別な感情を抱いていたとは思ってもいないだろう。
「どのくらいの長さにしますか」
美容師は相も変わらず少し低音の声で問う。嘉帆は自分でも思ってもいなかった言葉を言ってしまった。
「ベリーショートにしてください」
―私、何を言っているの?―
≪ザクっ≫という音と共に嘉帆の髪は床へすべり落ちた。余分な会話をすることもなく作業はどんどんと進む。ハサミの音と共に嘉帆の髪は短く整えられていく。
そして嘉帆自身も鏡越しに、床に落ちていく髪を見ながら考え事をしていた。
感情を押し殺す時に、無意識に触っていただ髪。この長さになるまでに、一体どれだけの感情を押し殺してきたのだろう。
つい一時間半前までは、腰まであった長い髪が気づけば、首筋にも届かない長さになっていた。
ハラリ、ハラリと髪が床に落ちるにつれて何故か嘉帆の心は軽く、明るくなっていく。
「いかがですか」美容師は合わせ鏡にして仕上がりを見せる。
「ありがとうございます」明るい感情丸出しの声で嘉帆は応えた。
嘉帆の顔には、スッキリとした笑みが浮かんでいた。
恥じることもなく、誤魔化すこともなく、しっかりと美容師の目に嘉帆の笑顔は映っていた。
嘉帆は足取り軽く、職場に戻った。
― お疲れ様 -
同僚達は、ひどく驚いた顔を見せた。きっとこれまでの嘉帆ならば全員の驚いた顔を見た瞬間に何か調子よく冗談の一つでも言って、その場の空気を軽くしていたことだろう。
しかし今日の嘉帆は何も言わず作業に加わる。すると、同僚達は代わる代わる≪似合う≫と声をかけてきた。そして、嘉帆は心の底から≪ありがとう≫と言えたのだ。
入社して8年、初めて嘉帆は同僚との会話が楽しいと思えた。いつも見てきた同僚の話す時の顔が、癖が、そして他愛ない会話が煩わしくなく≪愛おしい≫と思えた。
そして、イベント後の打ち上げで撮った写真を見て嘉帆は驚いた。
いつものように、写真の中央にいる嘉帆。
周囲の人からすれば同じなのかもしれない。
だが<自分にだけが分かる違い>
今日の“笑顔が一番好き”
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