恋する歌姫
舞台に立って、歌と真摯に向き合う。
それはわたしにとって、儀式のようなものだった。
だから、
「刹那のときを讃えます」
「貴方はわたしを守ります」
節のついた詠唱。
それにより、わたしの目の前に結界が構築された。
唸る風の音を聞きながら、わたしは更に詠唱を続ける。
「風の刃を望みます」
「あなたはわたしの剣となる」
飛び込んでくる魔物に対して、わたしはそれを放った。
鋭く研ぎ澄まされた風の刃は、寸分違わず魔物を四つに裂く。黒い煙が滲み出る。
それが霧散するのを待って、わたしは息を吐いた。
私が今いるのは、少しだけ魔物の量が多い地帯。今回はその魔物の量を減らすために、わたしが派遣されたの。
「リノラさん、お疲れ様です」
「はい。他の場所はもう、大丈夫ですか?」
ついてきていた騎士様に笑いかける。でもやっぱり、いつになっても怖いものは怖い。
体を軽く震わせたが、幸い騎士様はそれに気づかなかった。
「ええ。それでは戻りましょう」
「はい」
魔物狩り。
これも、歌姫(オペラセリア)の仕事だから。
□■□
お城に戻れば、タイミング良くアイリが帰ってきていた。
「お疲れ、リノラ。怪我はしてない?」
「勿論。アイリは大丈夫?」
「あたしが怪我なんてするわけないじゃない」
アイリと軽口を叩きながら食堂に向かう。帰り着いたのはお昼だ。魔物は夜に活動的になるから、朝方にかけて駆除することが多い。
やっぱり魔物狩りをした後は、いつもどこか苦しい。
そういうときにはいつも、彼がきてくれる。
「リノラ」
「あ……ライル」
ライル。
ミラさんの息子さんで、とっても優しい人。
何かとわたしのことを気にかけてくれるし、何故か不安なときには来てくれた。
わたしはそんな彼が、好きなんだと思う。
でも、彼は侯爵家のご令息だ。わたしなんかとつりあうはずがない。
そんなことを思うと、余計に苦しくなる。
するとアイリが溜息を零していた。
「……ほんと、鈍感ね」
「え?」
「なんでもないわ。取り敢えず、あたしはお邪魔なみたいだからとっとと去らせてもらうわ」
「えっ!?」
止める間もなく、アイリは行ってしまった。
「えっと……」
なんとなく気まずくなって、思わずライルを見る。すると彼はなんとはなしに、わたしの手を引いた。
「お疲れ様、リノラ。一緒にご飯を食べよう」
「え、あ、は、はいっ」
リノラが連れて行かれたのは結局、食堂ではなく個室だった。
そこには既に豪華なご飯が、テーブルの上で湯気を立てている。
「さ、どうぞ」
「あ、ありがとう」
当たり前のように椅子を引かれて、戸惑った。そして柄にもなく頭がぐるぐると回る。
他の女の人にも、こんなこと、してるのかな。
彼は優しい人だ。だから、勘違いしちゃいけない。
向かい合って食事をとる。そういえばライルはどうして、いつもわたしと一緒にいてくれるんだろう。
ライ麦パンをちぎりながら首を傾げる。ふと見た彼はやっぱり、とても綺麗だ。洗練された動きでナイフとフォークを巧みに扱う姿は、まさしく貴公子。
はじめのうちは彼と一緒にいるだけで幸せだったのに、今となってはそれが苦痛になり始めていた。これなら、魔物を狩っているときの痛みのほうがマシ。
うつむけば、さらりと銀髪が流れ落ちた。ゆらゆらと波打つそれはまるで、わたしの心を写しているみたい。
うじうじしていても仕方ない。そう思い、口を開く。
「あの、えっと、ライルは、どうして、あの……」
「……リノラ?」
でも、肝心の部分が詰まって声にならない。
なんて情けない。
恥ずかしさのあまり、穴を掘って埋まりたいくらいだ。
「……も、もう、会いにこないで」
お願いだから、期待させないで。
滲む雫を振り払い、わたしは逃げるようにその場から飛び出した。
□■□
それから会うのが嫌で、わたしは徹底的に仕事を入れた。魔物を相手にしているほうが楽だったから。
そして、誰かに歌を聞かせて喜んでもらえたり、傷を治して笑ってもらえる瞬間が好き。
このまま、彼に会わないままでいい。
仕事だけで生きよう。そう心に決めた頃だった。
わたしは大物の魔物を退治することになった。
「風が歌う 花が香る」
「刹那のときに 風は通る」
魔法でいうところなら、二重呪文(ダブルスペル)。
歌姫(オペラセリア)が重宝される理由のひとつがこれ。
一節で幾つもの呪文を複合できるのだ。
今回の魔物は大物だ。五人の騎士たちの後ろで、わたしは隙を見て攻撃をしたり援護をしたりする。
汗が尋常じゃないほど滴り落ちていた。
それを袖口で拭い、更に詠唱を繰り返す。
「自然を育むもの 束縛せよ」
「風を生み出すもの 刃を向けよ」
音は力となって辺りを包み込む。
大きな魔物の動きを止めるように足元や木から伸びた蔓が束縛。さらに魔物を斬りつけるような風の刃を幾つも浴びせる。
『グオォォォ……』
すると魔物が最後の足掻き、と言わんばかりに身を震わせた。
そしてその敵意は真っ直ぐと、わたしの方に向いている。
まずい。
しかし元より寝不足で体調管理なんてなんらできていなかったわたしには既に、避けきれるだけの力がなかった。
魔物が生み出したどす黒い塊が口から沸き起こり、わたしを飲み込む。
その一瞬先に。
体が後ろに引っ張り込まれた。
「馬鹿か!!」
「え……ど、して……」
間一髪で避けきった元々わたしが立っていた場所はえぐれ、土が剥き出しになっている。
でもそんなことよりも驚いたのは、そこにライルがいたということ、それだけ。
その間にほかの騎士たちが飛びかかり、魔物に止めを刺す。
悲しい雄叫びとともに、魔物は倒れた。
「ライル様、あの……は、離して、ください……」
「駄目。そうしたらリノラは逃げるだろう?」
「そ、そんなことは……!」
図星だった。
報告することなどを言い訳にして、逃げようと思っていた。
しかしライルは離してくれない。
それだけで自分の心臓が痛いほど鳴り出すことに気付いて、嬉しさと同時にとんでもなく辛くなる。
駄目。
こんな気持ちを抱いちゃ駄目……っ。
彼は貴族、わたしは歌姫(オペラセリア)ということを取り除いてしまえば、ただの平民だ。
するとライルは溜息をひとつ吐き出して、わたしを横抱きにした。
この、公衆の面前で。
「ラ、ライル!?」
「悪いけど、リノラは預かっていくね? ああ、報告はそちらで済ませてもらっても構わないかな?」
「勿論です」
「じゃあ、行こうか、リノラ」
「え……え……っ!?」
周りの騎士さんたちに助けを求めたけど、笑って手を振られる。
「幸せになれよーリノラさん」
それは一体どういう意味ですか……!
そんな声を上げる前に。
ライルはわたしとともに転移の魔法を使った。
転移したのはどうやら、彼のお家だった。何度か来ているのでなんとなく分かる。でも、ここに連れて来られた意味が分からない。
「ラ、ライル……っお、おろしてください……!」
「駄目って言ってるでしょ?」
彼が歩く速度が変わることはない。
そのまま玄関に上がると、少しだけ目を見開いた執事さんたちが頭を下げた。
「お帰りなさいませ、坊っちゃま、リノラ様」
「ラ、イル……!」
「ああ、ただいま。僕は暫く上にいるから、声をかけないでね」
「承りました」
どういうことです。
そのまま階段を上るライルが辿り着いたのは、彼の私室らしき部屋。
その部屋の広いソファに下ろされたわたしは、おろおろと未だに回らない頭でライルを見た。
「ど、して、あんなところに……」
「リノラが僕にあってくれないから」
「それ、は……」
苦しい、苦しい。
脳裏によぎるのは、幾度か見かけたご令嬢たちと笑い合う彼の姿。
「……勘違い、させないでください」
苦しいんです。
苦しいくらい、貴方が好きなんです……っ。
思い出さないように目を逸らしていたものが一気に溢れ出た。
自覚してしまえば、それは存外ストンと自分の胸に落ちる。
それの代わりに落ちたのは、淀んだ痛みと苦しみ。
思わず俯けば、体がソファの上に押し付けられる。
驚いて顔をあげれば、上から押さえつけるように彼の顔が見えた。
「どうしたら分かってくれる……?」
「え……」
「リノラはどうしたら、僕の気持ちを理解してくれる……?」
刹那、唇に柔らかい感触が伝わった。
「好きなんだ」
「苦しいくらい、愛してるんだ」
その言葉に。
ぽろりと、目尻から涙が零れた。
するとライルが苦しそうな顔をする。
「……そんなに嫌だった?」
違う。そんなはずない。
ぶんぶんと首を横に振るけど、彼は分かってくれない。
声に出したいけど、嗚咽のせいで喉が引っかかって声にならない。
すると影がスッと離れる。
差し込んだ光に、思わず目を眇めた。
「泣くくらい嫌いなら……」
違う。
違うの、ライル。
離れて行ってしまう彼に手を伸ばし、わたしは勢い余って彼を押し倒してしまった。
「ひゃっ!?」
「……リ、ノラ……?」
この機会を逃したらきっと、一生後悔する。
わたしは声にならない想いを奮い立たせ、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「……す、き、……な、のっ……」
「ぇ……」
「だいすき、なの……っ!」
嬉し過ぎて涙が溢れる。
思わずしゃくりあげていると、ライルの手がわたしの頬を拭った。
「ら、いるぅ……」
「ごめん、ごめんね? もう大丈夫だから、ね?」
「ごめんなさい、勘違いして、避けて、あんなこと言ってぇ……」
その後は自分でも何を言っていたか分からないけど。
それでも。
ライルが隣りで宥めてくれたことだけは覚えてる。
□■□
その日から、リノラは変わった。
あのボンボンの影響もあってかあんまり魔物狩りの命令はでなくなった上に、とても楽しそうに歌うようになったわ。
全く、世話の焼ける親友ね。
そんな風に愚痴るのはリノラの親友のアイリ。
その姿を見て、アイリは羨ましくも思った。
恋をして愛することを知ったリノラは、同性のアイリの目から見てもとても魅力的。
その声から零れ落ちる音色は優しく温かく、聴くもの全てを震わせる。
リノラらしい歌声。
そして今のアイリには、絶対に出せない歌声だ。
「……まぁ、
そうぼやくアイリはまだ知らない。
彼女にも、とっておきのラブストーリーが始まるということを。
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