アイリ・セッテルスの恋愛事情

 親友のリノラの結婚式が終わった帰り。

 アイリは純白のブーケを片手に帰路についていた。


「……ブーケトス、ねぇ?」


 漸くくっついた親友とその夫である貴族のぼんぼん。

 あそこまでうまくいかないカップルはいなかろう。すれ違いが多すぎるのだ。

 特に酷いのがリノラの勘違いと思い込みの激しさ。

 昔から何も変わらない、とアイリは笑ってブーケを投げてきた親友を思い出して笑った。


 アイリ・セッテルス。

 今年で二十六歳。


 基本魔力が高い人間は寿命も長いらしくそれなりに若作りに見えるが、アイリもかなりいい歳なのだ。この国での結婚事情を踏まえるなら、最低年齢十五歳、最高年齢二十歳辺りが基本。

 つまり、かなり遅れているのである。

 溺愛されている侯爵家のぼんぼんが婚約者なリノラは除き、歌姫(オペラセリア)で結婚する女性だって少なくとも二十三歳辺りがいいところ。

 さらには恋愛の一つや二つしてそうな華やかさ、いや、男遊びを良くしてそうだと思われたりもするが、アイリはそんなことに興味を示した試しは一度たりともない。寧ろ、初恋すらまだ、という人生において華やかさのカケラもない生活を送っているのだ。

 つまらない人生だ、とは知人の言葉。

 しかし仕事一筋で仕事と結婚して死のう、とすら思っているアイリにとっては大きなお世話だ。第一、歌姫(オペラセリア)は結婚を強制されてはいない。寧ろ結婚するならそれ相応の魔力がなければ結婚など無理だ。


 つまりは、次代に繋がる優秀な歌姫(オペラセリア)を産め、とのことならしい。歌姫(オペラセリア)は血筋で繋がることも多いからだ。


「……ま、そんなことはどうでもいいか」


 自分のことなどほったらかしにして、アイリは結婚したリノラに思いを馳せた。

 まさか声が出なくなるとは思ってもみなかったが。


 ……幸せそうで、本当に良かった。


 アイリがそう、ブーケを見て微笑んだときだ。


 ざわりと、産毛が逆立った。

 その緊迫感を、アイリは知っている。


 ……殺気。


 自分に向けられたものではない。でも確かに、何処かで戦いが行われていることは確かだ。

 王都、といっても治安が素晴らしくいい、というわけではない。こんなところにも勿論、浮浪者や犯罪者はいる。


 こんな幸せをもらった帰りにそんなものに出くわしたアイリには運がないのか。

 溜息一つ零して、アイリはヒールを踏み鳴らした。


 近付くにつれて金属音がこだます。どうやらかなり近いらしい。

 仕事一筋で仕事熱心なアイリは、こういった管轄外の騒動にも足を突っ込んでしまう。

 危ないことをしちゃダメだよ、とよくリノラに言われてはいるのだが。

 トラブルメーカーというべき体質は、まるで治らないらしい。


 建物の陰に身を潜めたアイリは、目くらましのためにひとつ閃光の歌を歌う。


「光はあたしを讃えます」

「溢れる光は世界を染める」


 アイリが勢い良くそれを投げ込んだ刹那。




 眩むような光が、辺り一帯を埋め尽くした。




 アイリは建物の陰で目をつむり、それをやり過ごす。

 光が大分おさまってきたのを見計らい、アイリはその路地裏へと足を向けた。

 そこには未だに目が慣れていないのか、転がる数人の男たちがいた。

 片方は明らかに柄の悪い男たち。

 もう片方はそれ相応にいい服を着た男数人。

 アイリはその中で柄の悪い方だけを選び、束縛の歌を紡ぐ。


「風はあたしを救います」

「それは蔓となり地へと繋がる」


 転がるゴロツキども数人を、風の蔓が繋いだ。

 そのことに気付いたゴロツキが声を上げる。


「それは……お前、歌姫(オペラセリア)か!?」

「ご明察。だけれど見ている方向が全く違うわよ」


 アホなんだろうか。


 先の閃光により未だに目がチカチカするらしく、男たちはアイリのことを探して首を回している。


 もう一度言う。アホなんだろうか。


 きっとアホなんだろう、こんなことをするくらいだから、と考えることを放棄したアイリは、視界が大分回復したような素振りを見せる相手側に向かって言葉を投げた。


「こんなところを通るからこんな奴らに会うのよ。馬鹿なんじゃないの?」

「な……お、女! いくら歌姫(オペラセリア)とはいえ、無礼だぞ!?」

「無礼だろうとなんだろうと結構。今のあたしは最高に気分が悪いの。全く……そもそも、無礼なのはそちらじゃない。助けたのだからお礼くらい言ったらどう」


 アイリは貴族社会の上下関係が大嫌いだ。血筋がいいからと言って何でもかんでもやっていい、なんて甘ったれたことを思っている馬鹿が大嫌いだからだ。

 胸元に抱えているブーケを潰さないように気を付けつつそちらを睨む。そこで気付いた。


 どうしてこんなところに出てきたのよ。


 馬鹿なのは自分だ。このまま去れば、こんな嫌な貴族どもやゴロツキどもの顔を見ることなんてなかったのに。

 アイリは一つ溜息を零して、踵を返した。


 馬鹿馬鹿しい。貴族どもがお礼なんてするはずないじゃない。


 歌姫(オペラセリア)は国宝であり貴族階級の中でも伯爵家と同じだけの権力が与えられているが、それを伝統や格式で固められた貴族たちが認めないことも多い。平民は平民、と下に見て軽んじることも多いのだ。


「……ありがとうございます」


 だから、とても驚いた。

 そんな風に礼を言われることなど、期待していなかったから。

 アイリが思わず振り返れば、その先にいたのはまだ年若い青年。

 金髪に青と緑のオッドアイには、とても見覚えがあった。


「……ステラリンデ公爵令息」


 アイリは思わず、舌打ちをした。






 ステラリンデ公爵家。

 それは、王家にも繋がる名門中の名門家系だ。

 ステラリンデ公爵家の特徴としては生まれてくる子どもが全てオッドアイということにある。

 それはリノラから投げられたブーケの仕業なのか、はたまた自分の気の強さのせいなのか。


 アイリは呼び出された公爵家の客室で、途方に暮れていた。


 冗談じゃない。


 目の前でにっこりと微笑んで紅茶を飲むのは、先日助けてしまったステラリンデ公爵家次男、アルフォートだ。

 アイリは笑みを貼り付けた。


「……ところで、どう言ったご用件でしょうか、アルフォート様。わたくしも暇ではないので手短にお願いしても構いありませんか」


 要約するなら、あたしはお前みたいに暇じゃないからとっとと話せやコラァ、と言ったところか。

 見事な嫌味の混じった敬語である。

 しかしアルフォートはまるでそれに気付いていないかのように少しばかりウェーブを描く金髪を揺らした。


「では、単刀直入に言わせて頂きますね」




 僕の元に嫁いでください。




 カッシャーン。

 アイリは思わず、ヤケクソで食べようとしていたケーキのフォークを落としてしまった。


 ……は?

 馬鹿なの、馬鹿なのこのボンボンは!?


 よく考えて見て欲しい。

 アイリは二十六歳、一方のアルフォートは確か今年で成人なので、十八な筈だ。

 その差、八歳。

 これが女側が年下ならまだ分かる。愛人を作ったり妾を作ったりする場合は年若い娘が選ばれることが多いからだ。

 が、この場合は|アイリ(おんな)が年上だ。


 ……馬鹿なの、ほんっとうに馬鹿なの!?


 アイリは敬語のまま言葉の端々に毒を含ませる。


「……大変申し訳ないのですが、わたくしはアルフォート様より年上にございます。行き遅れの女を妾にするなど、ステラリンデ家の名に泥を塗る結果に……」

「いえ? 正妻ですよ?」


 は?


 アイリはそこで漸く、貼り付けていた笑みを剥ぎ取った。


 それは最早馬鹿という次元を超えて愚かだ。


 比較的恋愛結婚が認められているのがこの国の貴族だが、だからと言って誰とでも付き合っていい、なんて言うはずもない。正妻なら尚更。

 しかもアイリは歌姫(オペラセリア)とはいえ、もともとは平民だ。


 脳内がお花畑で構成されているのか、それとも腐っているのか。


 そんな年下ボンボンに付き合っている暇は、アイリにはなかった。

 彼女は立ち上がって出口へと歩を進める。

 しかしそれを阻むのは、年下ボンボンだ。

 いきなり掴まれた手首を離せ、と後ろを振り向いた刹那、アイリは目を見開いた。


「〜〜〜〜っっ!!?」


 いきなり口付けをされたのだ。

 ファーストキスだ。

 しかも、不意打ち。

 思わず口元に手を当てて顔を真っ赤にするアイリを見て、目の前の腹黒貴族は爽やかな王子様スマイルを浮かべた。


「何を言っているんですか、アイリ。逃がすわけないじゃないですか」

「っ、ひ、人にいきなり、何すんのよ……!」

「あ、もしかして初めてでしたか? 見た目の割に」

「一言余計よ!」

「なら、尚更いいですね」


 アルフォートの身長は長身のアイリの背よりも高かった。

 壁に追い込まれて両手首を片手で封じられたアイリはそのとき、漸く理解した。


 こいつ、わざと人払いをしたわね……!!


 おかしいおかしいとは思っていたが、呼び出されたときの苛立ちで飛んでいた。


「い、いつまでこんなことするつもりよ……」

「勿論、アイリが肯定してくれるまで」

「ばっ……馬鹿じゃないの!? それに、そんなことを現在ステラリンデ公爵が許すわけ……」

「ああ、父上にはもう了承は取りましたよ。ついでにいうなら王家の方々にも」

「……は、い?」


 この国の王族は珍しく歌姫(オペラセリア)を人として見る。

 その中でもアイリやリノラは王家の受けが良かった。

 良かった、のだが。


 何処まで外堀を埋めているんだ、このボンボンは!!

 というより、公爵もどうして了承なんてしたのよ!?


 アイリは唖然とする他なかった。自分はここに来た時点で、肯定以外に帰る術はなかったのだから。

 リノラの夫より手が早いとは何事だろう。


「なんで、そこまで……!」

「……覚えていないようで」

「はあ!? んぅ……!?」


 その疑問を飲み込むように、またひとつ口付けを落とされた。しかも今回は舌が入り込んでくる。

 初めての体験に、アイリは思わず膝の力を抜いた。


「アイリは十年前に、僕と会っているんですよ」

「はあ……!?」


 いつの話だ。

 十年前と言えば確か、まだ歌姫(オペラセリア)になりたての頃の話だ。


「……まぁ覚えていなくても、これからじっくりと落としていけばいい話ですからね」


 にっこりと微笑むその黒い笑みは、アイリのこれからの苦行を表すかのようにキラキラと輝いていた。







 二人の仁義なき戦いは、始まったばかり。

 その後のことは……皆様のご想像にお任せいたしましょう。

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