わたしの声が

 声が戻る可能性がある。


 その事実と、わたしの声を消したと思われる彼女の話は、わたしを大いに混乱させた。頭がどうにかなってしまいそう。

 ただでさえ外に出ることができなくて陰鬱とした心地でいたから、ストレスは増える一方だった。

 わがままを言って、外に出たいと伝えたこともあるけど、それは困った顔をしたマリーさんに止められてしまう。

 ミラさんも時折遊びに来たけれど、わたしがここにいる、ということが分かったからこそ帰省したのだ。ミラさんはもともと、城のお抱え歌姫(オペラセリア)だから。

 時々、わけもなく喉元が痛むことがある。

 わたしは喉元に手を当て、幾度となく擦った。





 そんな日々も、漸く十日間経った。


「……リノラ様?」


 マリーさんの声に、ハッと我に返る。どうやらもの思いにふけって、刺繍をしていた手を止めてしまっていたらしい。

 慌てて縫うのを再開したけど、どうしてもあの時のことが頭に残って離れない。

 すると扉が叩かれた。マリーさんが対応するために扉へと向かう。


「どなたでしょうか?」

「僕だよ、マリー」


 その声に、胸がとくりと弾む。

 マリーさんが開けた扉の先には、やっぱりライルがいた。そして、驚いた。

 彼はとてもやつれていた。顔色も悪いし歩くだけでもふらふらとしている。慌てて立ち上がろうとしたら、彼がいつのにかわたしに寄りかかってきた。


「リノラ、リノラ……」

「っっ……」


 甘い声をして、首筋に顔をうずめてくる。背筋がぞわりと粟立つ。

 でも離れる様子のない彼に、わたしはマリーさんに刺繍をしていた布と針を渡してから、そっと頭を撫でた。

 さらさらとした手触りは、昔となんにも変わらない。

 大丈夫、と口にしようとしたけど、音が出ないことを自覚する。昔と変わらない。でも、わたしの声は出ない。

 それから暫く、何も言わずに抱き締めてきた彼だったけど、落ち着いたのか隣りに座った。

 やっぱり、疲れた顔をしてる。

 心配になる。彼はいつだって真面目で、優しいから。お仕事で無理をしてるのかもしれない。

 そんな疲れを少しでも取り払ってあげたくて、わたしは急いで紙に書き綴った。


『わたしに、何かできることはある?』


 その紙を見た彼は、目を丸くした。


「……僕、そんなに酷い顔をしてる?」

『してるわ』

「そっか……」


 しまった、とでもいうように、自分の顔をぺたぺたと触る彼。どうやら自覚がなかったみたい。そんなところも相変わらずだった。


『お願いだから、少しでも休んで』


 その紙を、しかめっ面をして見せる。きっともう、何日も寝ていないのだと思う。

 いざとなったらわたしのベッドに無理矢理寝かそう、と決意をしていると、膝に重みが加わった。


「……!!」


 彼の頭が、わたしの膝の上にあった。


「じゃあ、少しだけ……」


 なんで、と声を大にして叫びたかったけど、どうせ声は出ない。でも、恥ずかしい。

 思わず彼とマリーさんを交互に見ていたら、マリーさんがにっこりと微笑んだ。


「わたしはお邪魔なようなので、ここら辺でお暇致しますわ」


 違うの、助けてもらいたかったのにっ……!


 思わず手を伸ばしたけど、マリーさんはその手に気付かずに出て行ってしまった。

 気が付けば、彼の寝息がすやすやと聞こえ始めた。

 こんな状態になってしまったのなら、動くことすらできない。わたしは諦めて、彼が少しでも苦しくないように、首元のボタンを緩めてあげた。

 でも、直ぐに手持ち無沙汰になってしまう。

 わたしはやれることがなくて、そわそわしてしまった。なので、どうしてか彼の顔をじっと見つめてみることにする。

 彼はやっぱり、綺麗だった。

 長い睫毛、さらさらとした黒髪。こうやって寝ているときの姿がとても無防備で、幼くて、とても愛おしくなってしまう。


 ライル。


 そっと彼の名前を呼んでみる。

 呟いた名前は、思った以上に唇に馴染んだ。

 優しく頭を撫で続ける。


 今だけは、このままで……。


 微かに灯る幸せを噛み締めて、わたしは彼のために起きていよう、と思った。











「…………リ、ノラ?」


 その寝ぼけたような声音に応えるように、わたしはそっと彼の頭を撫でた。


『おはよう。大丈夫?』


 走り書きをした紙を見せれば、彼は笑う。


「リノラがいるから、大丈夫」


 不意打ちの言葉に、顔が赤くなるのが感じた。彼はいつもいつも、私の欲しい言葉をくれる。

 でも、やっぱり、ずるい。

 だから惹かれてしまう。優しさに甘えてしまう。

 すると、頬に手が伸びた。


「リノラ。僕は、ね。リノラがいなかったら笑えなかったんだ」


 細い指先は、思ってた以上に硬くて。

 多分、これが、彼の努力の結晶。


「だから、必死になって探した。それでね、リノラが作った触媒らしきものを目にしたとき、本当に嬉しかった」


 目を見開いた。


「リノラさ、変わってないよね。女の人が変な奴らに絡まれてるの、見ていられなかったんだよね。僕は、あの場にいたから」


 ばれた。街に出たせいでばれた。

 頭の中がぐるぐると回る。

 身を引こうとしたけど、できなかった。


「逃げないで」


 真っ直ぐ見上げてくる目が、物凄く痛い。

 わたしはずるいから、直ぐに逃げ出したくなってしまう。


 だって、逃げないと、怖いから。

 彼に依存してしまいそうで、とても恐ろしいの。


『ねぇ、ライル。わたしは、怖いの』

「……何が?」

『……貴方に依存してしまいそうな自分が、とっても怖い』

「……バカだなぁ、リノラは」


 震える手を必死に堪えて書き綴ったわたしの本音は、あっさりと彼に一蹴されてしまった。

 呆気に取られた後、少しばかり腹が立ってむくれる。でも、彼は至って普通だ。


「僕はもう、こんなにもリノラに依存してるんだよ? でも、僕は怖くない。だって、リノラのことが本当に大好きだから」


 彼はいつも無邪気で明るくて。

 わたしが月なら、彼は太陽みたいな人だった。


 どうしてそんな赤裸々な本音を、真顔で言えるのかが分からない。こっちが赤くなってしまう。

 でも、だからこそ好きになったんだと思う。


『……ライルも、相変わらずね』

「えー。それって、どういう意味?」


 そのままの意味よ。


 それを舌の上で転がし、ほくそ笑む。


 わたしは、彼のことを好きになってもいいのよね?


 彼自身が答えをくれた。なら、わたしも、怖がらずに彼を愛したい。


 彼と笑いあっていた。




 そのときだった。




 悲鳴と爆発音が轟いた。

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