日本語は難しい(2)
クリスマス・イブの夜、川島
「あの、川島さん、すみません。忙しいのに」
「別に忙しくないよ。追立2佐の言うとおり、今日はどーせ暇だから」
「ホントにすみません」
佳奈が小さい背をいよいよ縮めると、黒いトレンチコートを着た男装の麗人は、切れ長の目を細めてクスリと笑った。
「いいよ。ミヨンちゃんの話、確かに可哀想だもんね。しっかしマイケルも分かってないよねー。絶好の口説き日和に里帰りしてるなんてさ」
「はあ……」
佳奈はますます小さくなった。日本語ですら口説かれた経験がないのに、英語で甘い言葉をささやかれてもパニックに陥る予感しかしない。
「せめて、イブに何か一言送ってきて欲しいよね。彼、連絡はマメなほう?」
「二、三日にいっぺんくらいです。私が返すのに時間がかかるので……」
「英語でやり取りだとこっちは不利だよね。『アタシと付き合いたかったらお前が日本語覚えろ』って言ってみたら?」
恋愛経験が少なくなさそうな先輩は声を立てて笑った。表情を崩してもクールな顔は、宝塚の男役のように凛々しく見える。
「あ、でも最近、マイケルさん、日本語のメッセージをくれるんです」
「へー、彼、頑張ってんじゃん。あの顔で子供みたいな文を一生懸命書いてるなんて、ちょっと可愛くない?」
「それが、ものすごく綺麗な日本語で……」
佳奈は、鞄から携帯端末を取り出すと、恥ずかしそうにメッセージ画面を見せた。背高貴公子の書く文章は異様に漢字が多かった。
『先日は御親切な御言葉を頂戴し、
恐悦至極に存じます。
先ほど我が故郷に到着致しました。
懐かしいはずの地がこれほど寒く感じるのは、
愛しい貴女様から一万㎞程も
隔てられているからで御座いましょう。
仕事始めの頃には日本に戻りますが、
その際には是非とも貴女様のご尊顔を
拝し奉りたく……』
口の中で一通りの文言を読み上げた川島は、思い切り眉根を寄せて佳奈を見た。
「……彼、どんな翻訳アプリ使ってんだろ」
新宿で
平日の夜だからなのか、それとも聖夜という特別な日ゆえか、席は半分ほどしか埋まっていなかった。騒々しく盛り上がる客たちの中に、お洒落に着飾った男女二人連れの姿は見当たらない。
下世話な笑い声が満ちる空間で、ぼっち三人組は賑々しく乾杯した。
「今日はありがト。佳奈サンのお父さんとお母さん、佳奈サンと一緒にケーキ食べられなくて、がっかりしてないですカ?」
「大丈夫。ミヨンさんのこと話したら、一緒に楽しんでおいでって。十一時には帰るように言われたけど……」
「私も、追立2佐はともかく、藍原さんにはお礼言わなきゃね。早い時間からゆっくり飲めてラッキーだよ。クリぼっちも回避できたし」
川島は、ジョッキの中身を一気に半分にすると、たれがかかっているだけのキャベツの葉をバリバリと食べた。
「今日だけは大手を振って定時上がりできるもんね。オヤジ連中がとっとと帰っちゃうから。ミヨンちゃんトコもそうでしょ?」
「そうですネ。
「あー、あのちょっとだけイケメンの?」
茶化して笑う川島に、朴は怪訝そうな顔を向けた。
「
「チェ、リョン……?」
「韓国の陸軍武官補佐官。名前が『
佳奈は、以前に所属部長の秋山を訪ねてきた韓国陸軍の二人の「客」のことを思い出した。恰幅の良い国防武官に付き従っていた通訳の男が、当の武官補佐官だ。
秋山の執務机の脇に置かれた観葉植物の葉の隙間から見た彼の顔は、確かにそこそこ整った面長で、韓流ドラマ好きの母親がお気に入りだと言っていた俳優に少し似ていたような記憶がある。
しかし、朴の見解は違うらしい。
「『イケメン』とは『美しい男』という意味ですよネ?
自分の上司を酷評した朴は、薄そうなサワーを一口飲むと、から揚げに箸を勢いよく突き刺した。
「男は若くて可愛い人がイイネ。芳実サンの周りには若い男がたくさんいて羨ましいデス」
「何かすごい微妙な言われ方なんだけど……」
川島はふざけ半分に頬を膨らませた。
「大使館勢の知り合いはみんな友達だよ。職場はオヤジオンリーだし。絶対、私よりミヨンちゃんトコのほうが恵まれてると思う」
「武官室、全然恵まれないですヨ。
言いながら、朴はへにゃっと顔を緩めた。まだ大して飲んでいないにも関わらず、化粧っけのない両頬がほんのりと赤く染まる。
「それ、どんな人なの?」
「あまり背は高くなくて、眼鏡かけてて、真面目ソウ。でも笑うとカワイイ。とても優しそうな感じがスル」
「で、若いんだ?」
「年はたぶんワタシと同じくらい。日本に来たばかりって言ってタ」
「じゃ、本国の外交部(韓国の外務省)から赴任して来たエリートの卵かな? 結構、狙い目じゃん」
エイヒレに手をのばしかけていた川島は、ニヤリと口角を上げた。
「その彼とはよく話すの?」
「あまリ……。彼が武官室に来た時にちょっと挨拶するダケ」
「ふうん。今度彼と顔合わせたら、ランチにでも誘っちゃえば?」
大胆な提案に、朴は「
「その人、いつも忙しソウ。お昼に大使館のカフェで見かけたことも何回かあったケド、いつも日本語の勉強してタ」
「赴任したばっかじゃね。じゃ、『一緒に勉強しませんか』って声かけるのはどう?」
「もう少し彼のコトいろいろ分かってカラ……」
「ミヨンちゃん、思い立ったが吉日だよ」
川島はテーブルに肘をつき、はにかむ朴のほうに身を乗り出した。
「……どういう意味ですカ?」
「日本のことわざで、何かやろうと思い立ったらすぐにやるのがいいってコト。まあ、いきなり声かけても驚かしちゃうだろうから、最初は日本語の本でも持って、勉強してる彼の近くに座って無言のアピールするところから始めたほうがいいかな」
顎に手をやり狡猾な女スパイのようにほくそ笑む川島を、佳奈はまじまじと見つめた。同期の林原麗維と比べると、年上の「作戦参謀」はやはり格が違う。
「ワタシより彼の方がずっと日本語上手だったらどうしヨウ」
「そしたら、素直に『教えてください』って言えばいいじゃん。まずは自然にお近づきになる方法を考えなきゃね」
ひととおり「作戦会議」を終えると、川島は三杯目のアルコールを飲み干した。そして、大きなため息をついた。
「結局、完全なクリぼっちは私だけかあ」
「そんな……」
「すごくモテそうなノニ」
佳奈と朴は、羨望と戸惑いが入り混じったような目で男装の麗人を見つめた。彫りの深い顔が、少しだけ曇った。
「正直なトコ、私、しばらく一人がいいんだ。男友達と会うのは楽しいけど、一人の男と恋人として付き合うのは、ちょっとね。去年ヒドイ振られ方したから」
「え」
「まあ、しょーもない話なんだけど、……聞きたい?」
中性的な切れ長の目がすっと細くなる。恋愛初心者の二人は、そろってゴクリとつばを飲んだ。
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