日本語は難しい(1)


 韓国大使館のパク美英ミヨンが奇妙なメッセージを送ってきたのは、十二月も下旬に入った土曜日の夜のことだった。

 自室で英語の勉強をしていた佳奈は、平仮名ばかりの文章が表示された携帯画面に目を凝らした。


 『くりぼっちとはなんですか』 


 続きの部分には、「日本語学習を兼ねてテレビを見ているとやたらと『くりぼっち』という単語が耳についた」というような内容が書いてあった。

 佳奈は、勉強熱心な外国籍の友人に、易しい文章で返事を書いた。


 『クリスマスを一人で過ごすことを

  クリぼっちといいます。

  クリは「クリスマス」の前の二文字、

  ぼっちは「ひとりぼっち」の後ろ三文字で、

  二つつなげてクリぼっち』


 『ひとりとひとりぼっちはどうちがうのですか』


 素朴な質問に、佳奈ははたと考え込んだ。普段あまり意識せずに使っている言葉を改めて説明するのは、けっこう難しい。


 『「ぼっち」がついたほうが、

  一人でさみしい気持ちが強くなるような

  感じがします』


 『くりぼっちはくりすますをさみしくすごす

  ひとのことなんですね』


 あまりにも鋭い解釈が心に刺さる。佳奈は携帯端末を前に大きなため息をついた。


 カナダ大使館のマイケルとは川島を通じてメッセージをやり取りする仲になったが、まだ二人きりで会ったことはない。

 日本語を話せない彼とのデートはどうにも敷居が高すぎる。同期の林原麗衣れいに「英語くらい勉強しろ」と言われて以来、時間を見つけては英会話のアプリで会話力向上に努めているが、休日の丸一日を英語のみで過ごす勇気はまだまだ出ない。


 気長に待ってくれるようなことを言っていたマイケルは、この週末からあっさりクリスマス休暇に入ってしまった。本国の実家に帰省する旨を知らせてきた彼は、おそらく二週間は日本に戻ってこないだろう。

 背高貴公子の翡翠色の瞳を思い出すと、彼のアプローチに臆してばかりの自分の性格が悔やまれる。


 そんな思いを知ってか知らずか、朴は覚えたての日本語でわびしい文面を送ってきた。


 『わたしはざんねんなくりぼっち』


 『私もクリぼっちだよ。

  24日は家でケーキ食べるだけ』


 『かなさんはくりぼっちではありません』


 佳奈が朴の言葉の真意を図りかねていると、続けて少し長い平仮名の文章が送られてきた。


 『かなさんのおうちには

  おとうさんとおかあさんがいます。

  わたしのかぞくはうみのむこう。

  わたしはほんとうのくりぼっち』


 佳奈は、朴が一人で暮らすアパートを思い出した。終電で乗り過ごした彼女を父親の車で送った時に見た二階建ての建物は、夜目にも外壁が黒ずんでいるのが分かり、薄暗い外階段は所々塗装が剥げていた。

 小さなベランダが並ぶ様子から察するに、若い単身者ばかりが住んでいるようだったが、あのアパートで聖夜に明かりが灯る部屋はいくつあるのだろう……。


 佳奈は朴の電話番号を表示し、音声通話のボタンを押した。


여보세요ヨボセヨ. 佳奈サン、コンバンハ」

「ミヨンさん。二四日、空いてる?」

「ワタシ、クリぼっちだから、その日とても暇」

「あ、あのね。お仕事が終わったら、一緒にご飯食べに行かない?」


     ******



 週明け、佳奈が朴と会う約束をした話をすると、班長の下関以下渉外班の面々は一様に複雑な表情を見せた。


「朴さんって、武官室の秘書さんだったっけ。韓国の」


「クリスマスに女同士で飲み会かあ。すげー寂し……」


 余計なことを言いかけた荒神は、フグ顔の上司に睨まれて口をつぐんだ。


「できれば日本側にもう一人いるといいけどねえ。相手が武官クラスじゃなくても、外国籍の人間と一人で接触すると、保全課の連中がうるさい時あるんだよね」


「省内の知り合いで誘えるような奴おらんの?」


 熊のように大きな背を丸めて腕組をする月野輪に、佳奈は当惑顔で首を横に振った。同期の林原には特別儀仗隊の彼がいる。他に気軽に声をかけられるような知り合いは、職場にはいない。


「あ、陸幕りくばく(陸上幕僚ばくりょう監部)の川島なんかどうだ?」


 先任の追立おったては、フッと鼻を鳴らすと、意地の悪いシェパードのようにほくそ笑んだ。


「あいつならたぶん暇だ。二四日は金曜日じゃないから、さすがに朝帰りってことにはならんだろ」

「で、でも……」


「先輩に『二四日ヒマですか』とは聞けねーよな」


 猛禽類的な笑い声を上げる荒神に、追立は顔をしかめた。そして、「じゃ、俺が聞いてやる」と言うと、佳奈が血相を変えるより先に五桁の内線番号を押した。

 電話の相手は一コールで応答した。


「おう川島、ちょうどよかった。うちの藍原が『クリぼっち女子会』ってのを企画したんだが、お前、来れるだろ?」


 途端に、2等陸佐に猛抗議する甲高い声が聞こえてきた。周囲が口を半開きにして固まる中、追立は受話器を耳から離し、変なニオイを嗅いだシェパードのような顔をした。


「そんなに言わなくったっていーだろ。で、二四日は空いてんのか? ……そりゃ良かった。じゃ、詳しい話は後で本人から聞いてくれ」


「あ、あの、先任……」


 電話を代わってくれという佳奈のジェスチャーを無視した追立は、得意満面で受話器を置くと、またもや鼻をフッと鳴らした。


「川島、来れるって言ってたぞ」

「でも、すごく怒ってたんじゃ……」

「あいつは細かいこと根に持つような奴じゃないから、大丈夫だ。たぶんな」



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