同期の桜は恋の色(1)
「それで、韓国人の女の人と連絡先交換して、佳奈ちゃんのこと『リトル・エンジェル』って呼んでたイケメンさんとはそれっきりなのお?」
「信じらんなぁい! 佳奈ちゃん、もしかして、女子校行ってたヒト?」
「高校が女子校だったけど、何で?」
「うわあ、やっぱそっかあ。オトコに興味ないんだあ」
「へ?」
「女子校のヒトって、女同士がいいんでしょお? アタシの従姉が中高一貫の女子校に行ってるんだけど、女の子が好きになりそうって言ってたもん。佳奈ちゃんもそうなんだあ」
「女子校」に強い偏見を持っているらしい林原は、好奇心と警戒心が混ざり合ったような目で佳奈をうかがい見た。
「そ、そんなことないよ。あの時はただ、夜遅くなっちゃって、全員と連絡先とか交換する時間なくて」
「ダメだよ。大事なことは先にしとかなきゃ」
「先輩たちがずっと仕切ってたし……」
「あ、その先輩たちなら、イケメンさんの連絡先知ってるんじゃない?」
「たぶん……。でも」
言いかけて、佳奈は口をつぐんだ。
初めて行ったクラブの熱気を思い出す。音と光の洪水の中でぼんやりと気が遠くなり、ふと目を開けると背高貴公子の腕の中にいた。
翡翠色の瞳を揺らしていた彼は、あの時、やはり――。
「キス、しようとしてたのかな……」
無意識にこぼれた言葉に、林原は強烈な金切り声を上げた。
「キスう? イケメンさんとキスしたのお? 会ったその日にぃ? すっごーい!」
「ち、ちが……」
「どこにキスされたの? おでこ? ほっぺた? いきなり唇? どんなふうにキスしたのお? さりげなく顔が近づいてきたの? それともいきなりハグしてぶちゅー?」
「麗維ちゃん……」
佳奈はただでさえ小柄な身体をいよいよ丸く縮めた。隣のテーブルで丼ものを食べていた中年の制服数人が、箸を口に入れたまま佳奈と林原のほうを凝視している。
しかし、林原は食事もそっちのけでますます声高にまくし立てた。
「佳奈ちゃん、そこまで迫られてそれっきりなんて有り得ないよお! 早く何とかしなきゃ。イケメンさんと会ったのはこないだの金曜日なんでしょ? もう四日も経ってるんだよ。相手に冷められる前に行動しなきゃ!」
「でも、マイケルさんは……」
「マイケルって名前なんだあ。カッコイイ~!」
勝手に妄想に浸る同期に、佳奈は眉を八の字にして溜息をついた。
「……マイケルさんは日本語ほとんどできなくて、会う時はたぶんずっと英語になっちゃうから、私にはちょっと……」
「何言ってんの。英語ぐらい、勉強すればいいじゃん。……って、英語も数学もずっと赤点だったアタシが言うのもなんだけど」
最後の方は尻すぼみになった林原は、リアクションに困る佳奈をじっと見つめた。そして、真顔でストレートな質問を放ってきた。
「佳奈ちゃん。もしかして、デート未経験のヒト?」
「うん。……ってか、何でっ?」
「会うだけなのに、何かヘンに堅苦しく考えちゃってる感じなんだもん。だから、男の子と二人でお出かけとかしたことないのかなあって」
いじけたセリフを返そうとして、佳奈はふと、遠い記憶を思い出した。
文字通り男の子と二人で出かけたことなら、ある。それが「デート」と言えるのかは分からないけれど……。
気恥ずかしそうな笑みがわずかにこぼれたのを、共学高校出身の同期は見逃さなかった。
「何? 教えてよお」
「ものすごく昔だけど、近所に住んでた男の子と二人で航空祭に行ったことなら……」
「コークーサイ?」
「家の近くに空自の基地があってね。年に一回だけ、中に入って飛行機を見られる日があって、それを一緒に見に……」
物心ついた頃から、文化の日は毎年、自宅から歩いて三十分ほどの所にある航空自衛隊の入間基地へ航空祭を見に行っていた。小さい頃は、近所に住む飛行機好きな男の子の一家と佳奈の家族が一緒に、その男の子が中学生になってからは、彼と佳奈だけで、二人で手をつないで――。
二つ年上の彼のことを、佳奈は「まーくん」と呼んでいた。「まーくん」は、ブルーインパルスの展示飛行を見ながら、いつも言っていた。
俺、パイロットになりたい
ブルーインパルスに乗って、
佳奈にすごいフライトを見せてやるんだ
「幼馴染君との思い出ですかあ。なあんだ、ちゃんとイイお話あるじゃないですかあ」
林原は、ニマニマと笑いながら、すっかり冷えたオムライスを大きく頬張った。
「佳奈ちゃんカワイイ~。その子の趣味にずっと合わせてあげてたんだねえ」
「合わせてたわけじゃないよ。私も飛行機好きだったから」
「カレシの好きなものを好きになるとか、いいよねえ、そうゆーの」
そうじゃないんだけど、と思いながら、佳奈は和定食ランチに付いていた漬物をバリバリと食べた。甘い恋話が好きそうな同期に、男の子より飛行機に夢中だった自分の過去をこれ以上話しても、大音量のアニメ声で「あり得ない!」と叫ばれる予感しかしない。
「で、その後、『まーくん』とは?」
「私が中一の時にまーくんが引越しちゃって、それっきり」
「そ……、そっか」
あまりに寂しい応えに、期待感に輝いていた林原の目は一気に曇ってしまった。
「まーくんとは、互いに家が近かったってだけだから」
「一緒に学校行ったりとかして仲良くならなかったの?」
「朝はいつも一緒に行ってたよ。でも、まーくんは彼女いたみたいで……。帰りは、同じ学年っぽい女子と一緒に歩いてるトコよく見かけたし」
佳奈が力なく笑うと、年下の同期は異様に長いまつ毛をしばたたかせて悲しそうに顔を歪めた。
「『まーくん』のコト好きだったけど言い出せずに終わっちゃったんだね」
「そういうんじゃ、ないと思う、けど……」
飛行機博士だった「まーくん」は、中学に入学した頃から急に背が伸び始め、ブルーインパルスを見上げる横顔は、いつの間にか精悍な雰囲気を漂わせるようになっていた。
会えなくなって、八年。彼は子供の頃の夢を今も覚えているのだろうか……。
「もう同じ失敗はさせないからね!」
威勢のいいアニメ声が佳奈の回想をかき消した。
「今回は『それっきり』にならないように、アタシが作戦立てる。佳奈ちゃんはアタシの言う通りにしてればいいから。絶対カナダ人イケメンをゲットするんだよお!」
「そんな、いいよっ」
スプーンを持ったままこぶしを握り締める林原に、佳奈は慌てて首を横に振った。
「マイケルさんは、私にはイケメン過ぎるし、背が高すぎるし」
「『リトル・エンジェル』って言われたんでしょ。もっと自信持ちなよお」
「そ、それに、私の職場は、外国の人と会う時は班長に報告しなきゃならない決まりがあるみたいだから、マイケルさんとお付き合いするのはいろいろ大変そうで……」
「報告ぅ? 何それえ?」
佳奈の最後の言葉に、林原は素っ頓狂な声を上げた。斜め向かいのテーブルに陣取っていた三十代後半の女性陣が、一様に目を吊り上げてジロリと睨んでくる。
「デートの報告すんのお? 班長さんに? 週末に彼と会いましたとか、どこ行きましたとか、何しましたとか、全部言うのお?」
「たぶん……」
「二人でお泊りする時は? それも言うのお? ウケる~!」
けたたましいアニメ声で大笑いする林原に、クラブで佳奈をからかった蘭野李香の華やかな姿が重なる。
『マイケルと二人でラブホに行くなら、お引き留めしないけど〜?』
「……お、お泊りなんてしないし!」
思わず赤面した佳奈の声は、結構大きかったらしい。対面に座る林原の背後のテーブル席にいた背広の面々が、振り返って怪訝そうな視線を投げて来た。
その気配を感じたのか、林原は長い茶髪をふわりと揺らして周囲を見回した。
「佳奈ちゃん、声デカいよお」
声が大きいのはどっちだ、と思いながら、佳奈はむくれ顔で緑茶を飲んだ。
「麗維ちゃんこそっ、
「アタシぃ? 時々ご飯食べに行ったりぃ、休みの日に一緒に遊びに行ったりぃ、買い物付き合ってもらったりとかぁ、してるよお」
林原は途端にへにゃへにゃと顔を緩め、普段にも増して間延びした喋り方になった。それを見ている佳奈の側も、つい頬が緩む。心の内がすぐ態度に出る年下の同期は、どうにも憎めない。
「こないだねえ、クリスマスイブにどこか出かけようって誘われたのお。何着てくか今から迷っちゃう。アタシ的にはふわカワ系がいいんだけどお」
「そうなの?」
佳奈は改めて林原をまじまじと見た。
当人の言葉とは対照的に、彼女が着ているのは、痩せ型ながらメリハリのあるボディラインをくっきりと目立たせる黒のニットワンピースだった。「ふわカワ」というよりは、初々しい色香を漂わせている。
「カレの同期ってヒトに聞いたんだけどお、カレ、「お姉さま系」が好みらしいんだよねえ。だから今、大人っぽいファッション研究中なんだあ」
「麗維ちゃんは元から大人っぽく見えるから、そういうのも似合うよ」
「ホント? ありがとお!」
絶賛恋愛中の林原は、またへにゃっと笑った。しかし、食堂の一角をちらりと見やると、急に「でもさあ」と口を尖らせた。
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