国際合コン忘年会(5)
外で電話をしていたアレッソは、ウェーブのかかった髪を優雅にかき上げながら、すまし顔で戻ってきた。
『馴染みの店に聞いてみたんだけど、僕と一緒ならID無しで入れてくれるってさ。ここから歩いて十五分くらいかかるけど、いいクラブなのは保証するよ』
慣れた仕草で軽くウインクする遊び人天使に、佳奈はこぼれるような笑顔で礼を言った。
「よかった佳奈サン。今夜、初体験ですネ」
「その言い方かなりビミョーなんだけど……」
川島がぼそりと呟いたが、未知の世界に気もそぞろの佳奈と朴にはまるで聞こえていなかった。
デザートのココナッツアイスを堪能した後、多国籍の一行はタイ料理店を出た。
街は来た時と変わらず眩い灯りに満ちているが、師走の夜に相応しく空気はかなり冷たくなっている。佳奈は、コートの襟を少し立て、左の袖を引っ張って腕時計を見た。高校生の頃から使っている小さなアナログ時計は、九時すぎを示していた。
「あの、ちょっと家に電話していいですか?」
「藍原さん、実家から通ってるんだもんね。あまり遅くなっちゃマズイか……」
川島は自分の時計を見やると、前を歩くイケメン勢に声をかけた。
ただでさえ目立つ一同が立ち止まり、歩道の隅にたむろする。通り過ぎる人々の視線を感じながら、佳奈は自宅に電話を入れた。
母親の陽子が出た。
「お食事会はもう終わったの?」
「うん。あのね、ちょっと寄り道してってもいい?」
少しぼかした言い回しに、母親はクスリと笑った。
「二次会? せっかくだから楽しんでいらっしゃい。佳奈は今までお友達とゆっくり遊ぶ時間もなかったんだから、これからは自分のお付き合いも大事にして」
優しい声に混じり、父親の進司が何かブツブツ言っているのが聞こえる。しかし、母親はそれを制すると、「帰りの電車に乗ったらメール頂戴ね。お父さんが駅まで迎えに行くから」と言って、心配性の父親に電話を代わることなく通話を終わらせてくれた。
青年天使改め遊び人天使の行きつけのクラブは、有名な超高層ビルのすぐ向かいにあった。黒とゴールドでデザインされたエントランスのすぐ向こうに、強面なスタッフの居並ぶフロントが見える。
しかし、彼らの一人にアレッソが何か話しかけると、誰もIDの提示を求められることなく、中へ入るよう促された。
徐々に薄暗くなる細い通路を進む。
突き当りを右に曲がるとにわかに視界が広がり、青く光るアイランド型の大きなバーカウンターが現れた。
抑えた旋律ながら低音の効いた洋楽がかなりの音量で流れている。男性客の大半は会社帰りらしいスーツ姿だが、女性客は通勤着から露出度の高い服まで様々なタイプがいた。皆、時折身体を揺らしながらアルコールを楽しんでいる。
「これがクラブ……」
「ここはバーエリアだよ。取りあえず下に降りて踊ろっ」
蘭野に続き、佳奈と朴も手荷物をクロークに預けた。全員揃って照明を異様に落としたエレベーターに乗ると、いよいよ高揚感が増した。
「うちのオトコ連中の誰かとは必ず一緒にいるようにして。時間が早いからまだ大丈夫だとは思うけど、一人になると変なヤツにナンパされるかもよ~」
「ナ、ナンパっ?」
佳奈が目と口を大きく空けた瞬間、エレベーターのドアが開いた。
鋭い光が目に飛び込んできたかと思うと、何か柔らかく大きなものが次々とぶつかってくるような感触がした。
初めて体験する、大音量の重低音。十秒も経たないうちに聴覚が麻痺していく。アレッソが得意満面で何か言っているが、全く聞こえない。
週末のダンスフロアは思い思いに踊る人々ですでに賑わっていた。奥のほうにヘッドフォンを付けたDJの姿も見える。
アレッソと蘭野は迷うことなく音の洪水の中に飛び込むと、背中を合わせるように立ち、身体全体で大きくリズムを取り始めた。
青年天使と美脚モデルが、眩いライトの中で息の合った妖艶なシルエットを作る。その隣で、川島は左右に大きくステップを踏み、やや遅いテンポで刻まれるビートに乗った。パンツスーツの長い足が、決して派手ではない動きの中に男性的な美しさを醸し出す。
唖然とする佳奈と朴の前で、ゲルマン軍人は、厚い胸板をアピールするかのように上半身を前後に揺らした。それに負けじと、セクシー映画俳優が全身をしならせる。
背高貴公子は、ハイタッチするかのように佳奈たちに両手を近づけた。二人が手を伸ばすと、大きな手が踊るように逃げる。それを追いかけるうちに、クラブ初体験の二人の身体は、音楽にのってバウンドしていた。
曲は次から次へと途切れることなく変わっていく。躍動的なリズムに合わせて跳ねているだけなのに、無性に楽しい。頭がどんどん空っぽになる感じがする。
気が付くと、汗だくになっていた。佳奈が無意識に手で首元を仰ぐと、自分の世界に入り込んでいたように見えた遊び人天使が皆を手招きし、天井を指さすジェスチャーをした。
一階のバーエリアに上がると、アレッソは素早くテーブルをひとつ確保し、テーブルを挟んで置かれた二列の二人用ベンチシートに六人を無理やり座らせた。そして、当人は、キットと共にカウンター席に陣取り、入口で買っていたらしいドリンクチケットを取り出した。
『レディの皆さんは僕たちがごちそうさせてもらいます。というわけで野郎ども、今すぐカネ払え!』
天使が外見にそぐわない物言いをすると、他のイケメン三人は失笑しながら財布を取り出した。
佳奈は川島に促されてドリンクメニューを見た。カタカナが並んでいるが、どれが何か全く分からない。「暑いならこれ」と朴にすすめられるままに、柑橘系の味がするらしいカクテルに決めた。
アレッソがバーテンダーに八人分のアルコールを注文しているのを見やりながら、蘭野は「ああ、ちょっとすっきりした」と大きく息を吐いた。
「また班長と何かあったの?」
「いつもだけどね~。起案書の文言がおかしいとか、使うかどうかも分からないデータ資料はどうしたとか、服がよろしくないとか……」
「服?」
怪訝な顔をする川島に、蘭野は口を尖らせて頷いた。そして、いきなり『聞いてよ!』と英語で叫んで立ち上がった。
『私のボス、ヒトのスカートが短いってうだうだ文句たれんだよ。みんなどう思う? これのどこが短いっての』
仁王立ちになった蘭野の脚は、太ももの下半分が露になっていた。お辞儀をしたら後ろから中が見えそうだ。
『ま、確かに長くはないなー。でも、なんで文句? ほめ言葉の一つでも贈るべきトコじゃないのか?』
ニヤリと笑うゲルマン軍人に他の男たちも賛同の意を示した。しかし、川島は憮然と頬杖をついた。
「変に意地張らないでさ、取りあえず班長の言うとおりにやっときゃいいじゃん。スカートの丈とかくだらない理由で上司のウケが悪くなるの、バカバカしくない?」
「あのクソオヤジにウケたいとか、全然思わないし!」
蘭野は再び椅子に勢いよく座ると、艶やかな細い足を無造作に組んだ。
「藍原さんトコはどう? 変なヤツいない?」
「みんな、優しいです」
「余計なことばかり言う強面シェパードがいるけどね」
佳奈の言葉に一言付け足した川島は、ドリンクを載せた盆を持って近づいて来るバーテンダーに気付き、頬杖をついていた手を引っ込めた。
テーブルの上に次々とカラフルなグラスが置かれる。朴は、鮮やかなオレンジ色をした細長いグラスを二つ取ると、そのひとつを佳奈に手渡した。
カウンターに座る二人も交え、八人で乾杯する。川島は、小さな泡がはじける琥珀色の液体を静かに口に含み、話の続きを始めた。
「まあ、
「育ててくれそう、ってさっき言ってたもんね~。いいなあ。私もそういうトコに異動したい。今のままじゃアイツに潰されるか追い出されそうな気がする」
蘭野は青紫色のカクテルを炭酸飲料のようにごくごくと飲んだ。そして、はーっと大きなため息をつき、無作法な音を立ててグラスをテーブルに戻した。
『ずいぶんたまってるな。その妙なボスのせい?』
レオンが入ると、自然と会話は英語になる。蘭野はもう一度溜息をつくと、母国語ではない言葉で盛大に愚痴り始めた。
あまりの早口に、佳奈と朴はとても理解できない。二人一緒に困り顔で背高貴公子を見ると、英語ネイティブの彼も肩をすくめて両の掌を上に向けるジェスチャーを返してきた。
『一息ついたら、また踊りに行こうか』
『行く!』
佳奈と朴は同時に応え、それぞれの飲み物を急いで飲んだ。
深刻そうな顔で話し続ける先輩二人とゲルマン軍人をテーブル席に残し、佳奈たちは再び地下階へと向かった。
ダンスフロアでは、先ほどとは一転して、強烈にテンポの速い曲がかかっていた。踊っている人間の数もかなり増えている。Tシャツ姿のDJが曲に合わせて手を振り上げるたびに、男も女も同じような動作をして歓声を上げている。
佳奈と朴は、三人のイケメンたちにガードされつつ、夜の波のようにうごめく人込みの中に入っていった。
あっという間に凄まじい熱気に巻き込まれる。降り注ぐ電子音と、身体を震わせるような重低音。頭上のライトが狂ったように動き、フロア全体が明滅する。目まぐるしく入り乱れる闇と光に翻弄され、視界が瞬間的に青やピンクに染まった。繰り返される旋律にのって踊る人々の動きが、コマ送りのように目に焼き付く。
初めてのトランス感はあまりにも刺激的だった。徐々に上下の感覚が不明瞭になり、色とりどりの眩い光の中にダイブしているような錯覚に陥る。地響きのような重低音の中に、思考さえもがじわりと沈み、ぼやけていく――。
はっと顔を上げた佳奈は、自分が背高貴公子の腕の中にいるのに気付いた。
『カナサン、気分悪い?』
『いえ、大丈夫……』
『少し休もう』
マイケルは、朴を挟んで踊っていた遊び人天使とセクシー映画俳優に向かってフロアの隅のほうを指さすと、目をとろんとさせた佳奈を連れて、暗がりの中に並ぶソファの一つに座った。
「Can I get you some water? (水をもらってこようか?) 」
「ううん、いらない……」
光の残像が頭の中をぐるぐる回り、自力で姿勢を保てない。目の前がぼやけ、派手な音楽も人の声も急速に遠のいていくような気がした。代わりに、静かな暗闇が訪れる。温もりのある何かに支えられているような感触が、心地いい――。
背高貴公子は、佳奈を抱き寄せ、エネルギッシュに踊る人間たちを身じろぎもせず見つめていた。
アップテンポなナンバーがいくつか続いた後、フロアにはダンスミュージックにリミックスされたラブソングが流れた。
切ない歌詞が、翡翠色の瞳を揺らす。
『カナサン……』
耳元で囁く声に、反応はなかった。大きな手がためらいがちに黒髪を撫でても、わずかに声がもれるばかりだ。
『ああ、僕のリトル・エンジェル』
引き締まった長い腕がしなだれかかる小さな身体を抱き起こし、目を閉じた幼顔を上向かせた。ほんのりと火照る頬にブロンドの髪が触れる。
やがて、薄い唇が、静かに近づいていった。
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