縄張り争い最前線(2)

「内局から入る部員、ってアンタのことか」


 ギョロ目で睨む計画部長の秋山に、松岡は「私は代理です」と冷たく応答した。そして、初対面らしい他の制服の面々に向かい、「防衛政策局調査課の松岡事務官です」と言って軽く会釈をした。


 ますます険悪な静けさに満ちた部屋の中に、やがて、先任が「客」を連れて戻ってきた。陸上自衛隊の制服と同じ深緑色のスラックスに青みがかった灰色の半袖シャツを着た韓国陸軍の二人の「客」は、立ちあがって出迎えた一同に促され、部屋奥の長いソファーに腰を下ろした。


「うちの藍原は……?」


 追立は狭い部屋を見回した。肘掛け椅子に窮屈そうに体を押し込んだ計画部長が、手をひらひらと動かし、「いいから外へ出ろ」というジェスチャーをする。

 怪訝そうに首をかしげながらシェパード顔が部長室から姿を消すと、入れ替わりに、総括班に所属する若い尉官と渉外班の月野輪が、麦茶の入ったグラスを大きな盆にのせて入ってきた。満席状態の応接スペースで、グラスをひとつひとつ、ぎこちない動作でテーブルの上に置いていっている。


 佳奈は、音をたてないようにパイプ椅子を広げ、筆記具を準備した。計画部長の「着替えスペース」でも、会合のやり取りは十分聞こえる。観葉植物と衝立で視界が遮られるだけだ。

 自分をひどく嫌っている前任者と顔を合わせるより、追いやられた下女のごとく物陰で仕事をしているほうがマシだ。


 テーブルを囲んだ面々は、世間話代わりに、昨今の半島情勢について語り合い始めた。やがて話題は、今回の会合の主題である日韓両国間の情報共有システムの枠組みに関する内容へと移っていった。

 韓国の国防武官が母国語で話す内容を、三十代半ばと思しき武官補佐官が、きれいな日本語に訳していく。専門用語が交じる日本側の発言も戸惑うことなく訳し、己の上司に淀みなく伝えている。


 佳奈は、日韓双方の発言内容を記録しながら、見事な通訳をする武官補佐官の顔を、観葉植物の葉の間からまじまじと見つめた。

 どこかで見たことのあるような顔だ。どちらかといえば繊細な面長の顔立ち。精悍な切れ長の目をしているが、形の良い口元が全体の印象を優しげに見せている。以前に韓流ドラマを好んで見ていた母親が「お気に入り」だと言っていた韓国人俳優に、少し似ている。


 佳奈がブルーインパルスのポスターを自室に飾っているのを困ったような顔で見ていた母親は、たまに韓国芸能誌を買ってきては、その俳優の写真を切り抜いて台所の壁に貼っていた。父親が不愉快そうにしていても、まるでお構いなしで笑っていた。

 中学生だったあの頃、母親もまだ元気で、心配ごとなど何もなかった……。



「ちょっと待ってください」


 佳奈の回想を、陰険な声が中断した。


「アクセス権を分けるという話は、初耳ですよ。これでは、統合情報部以外の人間は、戦術情報には全くアクセスできなくなるということでしょう。いつからこの方向で調整していたんですか。いずれシステムを運用するのは統合情報部になるとしても、その前の調整段階での担当課長は、私なんですよ。それが、当の私は知らないままで、すでに韓国側と話が進んでいるというのは、どういうことですか。指揮系統の無視も甚だしい」


 背広の情報企画課長の言葉に、1等陸佐の計画部長が大声で反論した。


「何の話も聞いてないってこたあ、ないでしょう。政策マターと軍事マターの情報をどう区別して管理するかという話は、辻さんも入って散々部内で議論して、結局『運用する統合情報部の裁量に任せる』ということで、本部長と副本部長が合意したんじゃなかったですか」


 統合情報部は、三自衛隊を統合運用する統合幕僚監部ばくりょうかんぶの情報部の役割をも担っている。防衛情報本部の他の調査部門である分析部、電波部及び画像・地理部とは異なり、部隊運用に必要な緊急情報や詳細な戦術情報を扱う部署であるため、必然的に、防衛政策を担う内局よりはミリタリーな現場と密接な関係を持つことになる。


 秋山に続き、クジラのように太った統合情報部長と彼の部下二名も、情報企画課長に一斉に抗議し始めた。しかし、四対一になっても、キャリア課長は怯む様子もない。

 カオス状態になった日本勢を、韓国の武官補佐官が当惑顔で見つめている。無秩序に飛び交う日本語の意味が取れずに、困っているのだろう。観葉植物の後ろでメモ取りをしていた佳奈も、手を止めた。佳奈でさえ、誰が何を言っているのかさっぱり聞き取れない。


 しばらくして、韓国の国防武官が大声で「スミマセン」と一言発した。はっと沈黙した日本側一同を見回した国防武官は、母国語で何か語った。それを、韓流ドラマの俳優に似た武官補佐官が、ゆっくりと日本語に訳した。


「そちらでの意見調整が済んでいないようですので、この件についてはまた日を改めて、ご相談いたしましょう」

「お忙しい中、せっかく御足労いただいたのに、お見苦しいところを見せてしまって、本当に申し訳ない。そちらからの提案事項も合わせて早急に検討します」


 スキンヘッドの秋山が、顔に似合わず丁寧な言葉遣いで一礼する。韓国の国防武官はそれに丁寧に応じつつも、部下の通訳を通じて、きっぱりと言った。


「それも一度、持ち帰らせていただきます。運用構想の枠組みから変わるとなると、細かいところもいろいろ検討し直すことになると思われますので。まずは、日本側で明確な方針を固めてください」

「全くもって申し訳ない」

「じっくり時間をかけるのは、お互いのために有益なことです。二国間のより良い協力システムを作り上げたいと、我々は強く願っておりますので。どうぞお気になさらず」


 言いながら、国防武官は腰を上げた。そして、急いで立ち上がった秋山と握手を交わしつつ、彼の耳元で何か囁き、通訳しようと歩み寄った武官補佐官を手で制した。


 入口に近い所にいた統合情報部所属の1佐がドアを開けると、外で待機していた先任の追立が、素早く「客」のエスコートに入った。日本側の制服勢も、そろって廊下まで「客」を見送りに出た。



 すっかり静かになった計画部長室には、二人の私服が残った。


「松岡君。今、内局むこうの調査課長はいる?」


 松岡は腕時計を見やり、首を横に振った。


「もう外に出ていると思います。戻って来るのは六時過ぎになるかと……」

「それじゃ、話を入れられるのはそれからだな」


 情報企画課長の辻は、腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「……私抜きで話を詰めやがって。このままこの件の主幹が計画部から統合情報部に移ったら、日韓の水面下のやり取りは完全に統幕に牛耳られる」

「ここの副本部長にお話を入れてはいかがですか」


 松岡は、かつての上司であった辻に一歩、歩み寄り、声を落とした。防衛情報本部のナンバー2である副本部長は、辻と同じく内局からの出向者で、内局では審議官も兼ねる重鎮だ。

 しかし、辻は眉をひそめた。


「調査課長から聞いてないのか……。まあ、彼が木戸の代理に君を指名したということは、いずれ話すつもりだったんだろう。内局むこうの調査課長と防衛情報本部こっちの副本部長は、犬猿の仲なんだよ。制服組との付き合い方に関しても、考えがかなり違う。今回の日韓の情報共有の件も、副本部長はあっさり統幕に一任することを決めたが、内局でそれを不満に思う人間はそれなりにいるはずだ。調査課長は、間違いなくその筆頭だよ」

「……では、この件は、『制服の動きを探る』というよりは、『副本部長に不利になるネタを探る』ということになりますか」

「そういうことだ。さすが松岡君、冴えているね。僕が見込んだだけのことはあるよ」


 若手キャリア官僚の言葉に、黒いスーツの女が歪んだ笑みを浮かべる。


「政策と軍事は必ずしも一致しない。つまらぬ外交問題でも起これば、政策面での二国間協力はストップする。しかし、軍事面での協力は水面下で続くものだ。それが悪いわけではないが、そういった『齟齬そご』が表面化したら、制服の連中と、彼らを野放しにした副本部長は、物事を表面的にしか見ないバカな政治家の批判にさらされる。我々は、そのをほんの少しだけやるということさ」

「アクセス権の話はどうなりますか。二国間のやり取りを監視できなければ、ネタ探しも難しいと思われますが」

「今後の日韓の連絡会議にも、木戸か君が入れるようになんとか調整するから、これから、よろしく頼むよ。アクセス権の問題がどうにもならなかったら、統合情報部に直接、誰かを常勤の事務官として送り込むことになるな」

「できれば、私以外の人間でお願いします。は嫌ですから」


 冗談とも本気ともつかぬ松岡の言葉に、辻はわずかに声を立てて笑った。そして、二人一緒に部屋を出て行ってしまった。


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