地下室での国際会議(3)

 日米の関係者を会議場に案内し終えると、佳奈と月野輪はすっかり暇になった。会議中は、「客」の休憩スペースとして確保した部屋で電話番をするのが仕事だ。携帯電話が使えない地下では、その部屋に備え付けの内線電話だけが、会議に入っている上層部メンバーへの唯一の緊急連絡手段になるからだ。


「一息入れるか」


 月野輪は、「客」用の粉末コーヒーを紙コップに入れ、給湯室で満タンにしたポットからお湯を注ぎ入れた。紅茶党の佳奈は、ペットボトルで用意したストレートティを少しもらうことにした。


「会議は英語でやっているんですか?」

「どうだろ。実務者レベルの会合は、普通は英語オンリーでやっちまうけど、今回はK半島やC国の担当者もいるからな。彼らは、担当地域の言葉には不自由せんだろうが、英語のほうはよう分からん。補助的に通訳が入るのかもしれんね」

「さっきいた女の人がやるんですか?」


 佳奈は、目を細めてコーヒーをすする月野輪に、ブリーフィングの準備をしていた女性事務官のことを話した。


「分析7課のコかな? スラ~っと背が高くて、『お嬢様』って感じだったか?」

「あ、確かにそんな雰囲気……」

「彼女は部内では有名だよ。専門職の採用だが、超一流大卒で、英語はネイティブ並み。アラビア語も読めるらしい。まだ若いのにおエラ相手に堂々と話ができる、って評判だ。まあ、今日はうちの古池3佐がいるから、通訳は古池3佐がメインでやるんだろうけど」


 ふいに出てきた名前に、佳奈はあからさまに驚いた。への字口をしたアマガエル顔が言葉を発する場面は、ほとんど見たことがない。


「ああ見えてあのヒト、恐ろしく英語できんだよ。TOEICはいつも満点近いし、通訳始めると信じられんほど華麗に喋る。逐次なら、一人で日英両方の通訳やって議事録まできちんと取って、ケロっとしてる」


 佳奈は、会議場の中を覗きたくてたまらなくなった。



 予定時間をややオーバーして、会議場のドアが開いた。真っ先に顔を出したのは、噂の古池だった。すでに廊下で待機していた月野輪とわずかに言葉を交わし、何人かの「客」を連れて、佳奈のいる休憩部屋のほうに歩いて来る。

 その「客」の中に、背広姿も二人いる。


 戸口でその様子を見た佳奈は、急いで部屋の奥に引っ込み、飲み物を準備した。月野輪からは、ドリンクをテーブルに置いておくだけでいい、と言われている。

 文字通りの接客業務を求められなくて良かった、と佳奈は思った。秘密めいた人間たち、特に私服の面々とは、できるだけ接したくない……。


「藍原さん」

「ひゃっ」


 背後から呼ばれ、驚いて振り向くと、大きな目で佳奈を見つめる古池がいた。


「コーヒーと紅茶を、五、六個ずつ、用意してください。メインの人間は、会議部屋で話し込んでいて、移動しそうにないので。自分が向こうに、持っていきます」


 アマガエル顔は相変わらず呟くように話す。滑舌の良い通訳者のイメージとは、やはり真逆だ。ドリンクを用意しながら、佳奈は古池に恐る恐る尋ねた。


「さっきの時間、通訳をしたんですか」

「少しだけ」

「たくさんの人がいっぺんに話したりして、大変じゃないですか?」

「いいえ」


 いつも通りの淡泊なリアクションを見せた古池は、「横田よこたLOエルオーもいるので、『お客』との会話は彼に任せて下さい」と言い残し、紙コップの載った盆を持って去っていった。


 横田LOとは、在日米軍司令部に常駐する自衛隊側の連絡官で、米軍関係の要人たちが日本側と接する際には、世話役兼連絡係として彼らに随行することが多い。今回の会議のような場には間違いなく慣れている人間の一人だ。


 佳奈は、その連絡官の姿を探して、日米が入り混じる部屋を見回した。

 紙コップを手に談笑する五、六人の輪の中に、見慣れぬ陸上自衛官がいる。彼だ、と思った時、脇から声をかけられた。


「すみません」

「はい。……あ!」


 日本人の女性だと思われた声の主は、ダークブロンドの髪をなびかせる背の高い米国人だった。濃いグレーのパンツスーツが、ただでさえ長い脚をますます長く見せている。


「お化粧室は、どちらを使ったらよろしいですか?」


 日本語ネイティブとほとんど区別できないほど見事な言葉遣い。大きな青灰色の瞳で佳奈を見下ろす私服の彼女は、まるで洋画に登場する美人スパイのイメージそのままだった。

 佳奈は、引きつった顔で口をパクパク動かした。「客」が立ち入る範囲は限られている。彼らに使わせるトイレも一か所に指定されている。そこに近い場所に月野輪が案内と見張りを兼ねて立っているのだが、どうやって説明したらいいのか……。


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