地下室での国際会議(2)


 怪しげな客たちとの会議場となる所は、まさに檻のような雰囲気に満ちていた。建物の外観こそ、佳奈の所属部署が入るA棟に似た茶色い八階建てのビルだったが、そこに出入りする人間の姿はまばらだ。入口は全面ガラス張りになっているものの、見えるのはエントランス部分だけで、専用のIDカードが無ければ自動ドアは作動しないようになっているらしい。


 ペットボトルや名札などが無造作に突っ込まれた段ボール箱を抱えた月野輪は、入り口脇の壁にあるインターホンを肘で器用に押した。

 スピーカーから無愛想な男の声が聞こえてきた。


「C棟警備室です」


 月野輪が用件を伝えると、端のほうにある片開き式のガラス戸が開き、目つきの悪い深緑色の制服が出てきた。襟に金属製の階級章を着けている。曹クラスの下士官だ。


「ご苦労様です。認識番号を照合させてもらいます」


 いかにも古参兵という風情の丸刈りの男は、月野輪と佳奈が提示した身分証と手元の書類とを見比べた。そして、ガラス戸を大きく開け、二人を中に入れた。


 入ってすぐ左側に、こじんまりとしたエレベーターホールがあるのが見えた。そこにも人影はなく、物音ひとつしない。


「エレベーターの鍵です」


 がらんとしたエントランスの中で、堅苦しい声が妙に響く。佳奈は心細げに月野輪を見上げた。段ボール箱で両手のふさがった月野輪が、「お前が受け取れ」とばかりに目配せをしてくる。

 佳奈が恐る恐る手を出すと、不愛想な警備担当者は、黄色いプレートがついた金属片を寄こしてきた。そして、「使用後は警備室に声をかけて下さい」と言って、エントランスの隅にある詰め所らしい部屋にさっさと引っ込んでしまった。


 気のせいか、息苦しい。佳奈は大きく息をついた。しかし月野輪は、慣れているのか、平然とエレベーターホールへと歩き出す。

 乗り場ボタンを押すと、すぐに一台のエレベーターが来た。


「エレベーターの鍵、って何ですか?」

「エレベーターを統制するんだ。ここに鍵穴があるだろ?」


 月野輪は、階数ボタンが並ぶ操作盤の下の方を肘で指し示した。確かに、鍵を差し込む所がある。鍵穴の傍には、「自動」と「専用」という文字が書かれていた。


「鍵を差し込んで、『専用』のトコに合わせると、外でボタンを押されても、このエレベーターだけ反応しなくなる。まさに「専用エレベーター」になるわけさ。客が来る少し前に一台確保して一階で待機していれば、客を待たせずにエレベーターに乗せて、行きたい階までダイレクトに行ける」

「面白い仕組みですね」

「というわけで、藍原さんは『エレベーターガール』をよろしくな。俺がやると乗れる人数が減っちまう」


 月野輪が熊のような身体をゆすって笑うと、佳奈の周囲の空気が少し和やかになった。



 地下三階でエレベーターを降りると、やはり人気のない空間が広がっていた。どこからか、かすかな機械音だけが聞こえる。月野輪は、エレベーターホールからさほど遠くない場所にある一室に入ると、近くにあった長机に段ボール箱を置いた。


「机の配置はこのままでいいな。藍原さんは、机の上を適当に拭いて、席次表に従って名札と水を置いてってくれ。それから……」


 佳奈に指示を出しつつ、月野輪自身は、部屋奥の倉庫からパイプ椅子をせっせと運び出し始めた。それを所定の位置に並べ終わると、今度はプレゼン用機材をチェックしている。大柄な体の割に、動きが速い。


 佳奈が一仕事終える頃、会議場に六、七人が入ってきた。制服の一団の中に、ベージュ色のスーツを着た背の高い女が交じっている。佳奈より五、六歳ほど年上と思しきその女性事務官は、佐官クラスの自衛官たちと談笑しながらぐるりと部屋を見回し、そして佳奈に目を留めた。


「渉外班の方ですよね。ブリーフィングの準備をしたいんですけど、いいですか?」

「あ、えっと、たぶん……」


 佳奈が要領の得ない応答をしている間に、3佐の階級を付けた陸上自衛官が、会議場に備え付けのパソコンにUSBメモリを差し込んだ。大きなモニターに、英文のプレゼン資料や衛星写真らしきものが次々と映し出される。

 それを見てはいけないような気がして、佳奈は急いで部屋の外へ出た。

 低い男たちの声に混じり、先ほどの女性事務官の柔らかい声が聞こえてくる。時折、それが綺麗な発音の英語になる。ベージュのスーツの彼女は、会議通訳の任を追っているのかもしれない。ハーフアップにまとめた栗毛色の髪を優雅に揺らしながら打ち合わせをしていた姿は、華やかな上に堂々としていて、自衛官と同じくらい格好いい……。



「藍原さん、そろそろエレベーター捕まえて、一階で待機して」


 野太い声に、佳奈ははっと顔を上げた。給湯室から近い位置にある小部屋の入口で、月野輪が腕時計を指さすジェスチャーをしていた。防衛情報本部トップと「客」の主要メンバーとの会談が、そろそろ終わる。その後、日米の会議出席者が揃ってC棟に来る予定になっている。


 佳奈は、無人のエレベーターを確保すると、月野輪に教えられたとおり、鍵を使って一階に上がり、そこで一行を待った。


 十分ほどで、日米合わせて十五人ほどがぞろぞろとやってきた。一団の中に、渉外班長の下関と古池の姿も見える。この人数では一台のエレベーターには乗り切らないだろう、と佳奈が心配する間もなく、日米の面々は阿吽の呼吸で二手に分かれた。古池が、大きな目をしばたたかせて、「残りの『客』は自分が案内します」と佳奈に耳打ちした。

 上位の立場にある者たちが、下関の誘導に従ってエレベーターに乗り込んだ。米軍の制服とともに、背広姿の「客」も数人ほど入って来る。そのうちの一人は、メインゲストである米国防情報局の分析部長だろう。しかし、残りの背広は……。



『私服の奴らには気を付けて。……適当な肩書を付けてるのがいるから。いわゆるカバーってやつ』



 場にいた人数のほぼ半分を乗せてエレベーターの扉を閉じた佳奈は、ちらりと自分の上司がいるほうを振り返った。

 フグ顔を探したつもりが、彼の後ろにいた背の高いアングロサクソン系の背広と目が合ってしまった。慌てて体の向きを戻したが、遅かった。背後から、「oh...」と低く呟く声が聞こえる。顔を見るのもまずかったのか……。


 エレベーターの操作盤に張り付くようにして震える佳奈をしげしげと見たアングロサクソンは、隣にいた軍服の同僚にひそひそと囁いた。


「She’s so tiny...(あの子、すごくちっちゃいね……)」


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