「元」憧れの人々(3)

 自衛官は概して食事が早い。佳奈たちが飛行機談義に花を咲かせている間に、周囲の席に座る制服の人間は二回ほど入れ替わった。


「藍原さんは、何がきっかけで飛行機好きになったの?」


 TACタックネームに違わぬ温厚な垂れ目で問いかける荷山にやまに、佳奈は、すっかり打ち解けて、子供の頃の思い出を語った。


 青と白の飛行機を見て、空を目指したいと願いつつ、憧れだけで終わった夢。


 はにかむ佳奈に、ロバ顔は「ああ、ピュアだねえ」とほんわかした笑顔を見せた。

 一方の荒神は、鋭い目を不服そうに細めた。


「やっぱりブルーか。あっちのほうが、女ウケするもんな」

「そりゃそうですよ。何といっても綺麗だし、操縦技術はまさに神業。あ、でも荒神3佐なら、ブルーに行く話もあったんじゃないんですか?」

「まーな」


 そっけない返事を、佳奈は聞き逃さなかった。


「荒神3佐! ブルーインパルスに、乗ってたんですか!」

「いや。打診がきた時点で断った」

「断ったあ?」


 歓喜の声と眼差しが、いきなり無遠慮な怒気に満ちる。小柄な新人の豹変ぶりに、イヌワシ頭は思わず後ろに仰け反った。


「な、何だよ。何、怒ってんだよ」

「断るなんてあり得ない! ブルーインパルスのパイロットに選ばれるのは、とても名誉なことなんでしょう? 無条件に嬉しいんじゃないんですか!」

「嬉しくないね」

「何でですかっ!」


 佳奈は身を乗り出して抗議した。青と白の飛行機のファンとしては、聞き捨てならない話だ。一方の荒神は、ハトが豆鉄砲を食らったような顔を素早く猛禽類的なそれに戻すと、「まあ聞けよ」と言って、睨み返してきた。


「航空祭は祝祭日にやるだろ? ブルーの展示飛行も祝祭日になるだろ? 休みの日に『出勤』になっちまう」

「そうですけど、でもっ」

「展示飛行ってのは、その日に現地に行って四十分くらいフライトしてお仕事終わり、ってわけじゃない。日曜日にどっかで飛ぶ時は、土曜日の朝にベース(所属基地)の松島から現地に移動して、午後に予行、日曜日に本番やって松島に帰る、ってパターンだ。会場が遠くなると、金曜日に移動して月曜日に帰投ってことになる。いつ子供と遊ぶんだよ」


 ふいに家庭的な言葉を口にしたイヌワシ頭に、今度は佳奈のほうが目をしばたたかせた。


「年に数回だけ週末がない、ってくらいならいいけどな。空自のホームページでブルーのスケジュール見てみ? 最近は民間イベントの参加も多いから、ゴールデンウィークあたりから十二月までびっしりフライトの予定が入ってて、三週連続なんて月もある。そういう生活が、三年続くんだぜ。冗談じゃないっての。俺にブルーの話がきた時は、もう上の子供が小学校に上がる時期だったから、ソッコーで断った」

「……」


 佳奈は不服そうに口をつぐんだ。空に憧れる者の視線を一身に浴びながら青と白の飛行機を駆る名誉より「イクメンパパ」になる道を選んだ荒神の心情は、全く理解不能ではないが、迷うことなく前者の座を放棄したとあっては、やはり面白くない。


「こういうこと言うの、荒神3佐ぐらいだから。飛行隊長から名前を分けてもらうようなヒトは、たぶん凡人とは価値観が違うんだよ」


 佳奈をなだめる荷山も、ふてくされたロバのような目で、荒神を非難がましく見やった。


「ホント、ムカつくほど余裕の発言ですよね」

「そんなんじゃねーよ」

「希望出しても『ドルフィンライダー(ブルーインパルスの操縦士の通称)になれない人間はたくさんいるってのに、下手なこと言うと刺されますよ」


「総務部長に怒られそうですよね」


 佳奈が何気なく口にした言葉に、イヌワシとロバはさっと真顔になった。


「何それ。どういう意味?」

「総務部長、ブルーインパルスを希望されてたそうです。でも、『行けなかった』って言ってました」 

「ホントか?」


 荒神が猛禽類的な目をカッと見開く。


「新入りのくせに、何でそんな情報持ってんだよ」

「採用面接の時の面接官が総務部長で、その時に部長が言ってたんです。『飛ぶの下手だから声をかけてもらえなかった』って」

「マジか!」


「……今の話、うちの部長の耳に入ったらどうなるかなあ」


 ロバ顔が、垂れ目のまま邪悪な笑みを浮かべた。


「てめえ、いらんこと言ったら……」


 荒神が後輩に掴みかかった途端、少し離れたところから「おう!」と威勢のいいバリトンが聞こえてきた。声がしたほうに振り向いた荒神は、椅子ごと飛び上がった。


「あ、部長。ご苦労様です」


 慌てふためくイヌワシ頭の横で、荷山は素早く腰を上げ、愛嬌のあるロバ顔で防衛情報本部総務部長に会釈をした。佳奈もそれに倣った。


「このメンバーで会食ということは、飛行機の話でもして盛り上がっているのかな?」

「ええまあ、そんなトコです」

「そりゃあ結構。今度私も混ぜてほしいね」


 今も左胸にウイングマークを付ける総務部長は、機嫌よさそうな笑みを見せると、佳奈のほうに視線を移した。


「藍原さん。お仕事はどう? 急遽、計画部の配置になってどうしているか気になってたけど、順調にいってますか」

「はい。でもまだ、班の皆さんに助けていただくばかりで……」

「新人の特権だと思って、遠慮なく助けてもらいなさい。頑張って」

「ありがとうございます」

「それじゃ、お先に」


 荒神がショックから立ち直る前に、同期らしい1等空佐を数人連れた総務部長は、颯爽と食堂を出て行った。


 荷山は、上官の姿が見えなくなると、途端に邪悪なロバ顔に戻った。


「うちの部長、強面なわりにフレンドリーだけど、気に入らない人間は黙って僻地に飛ばすタイプだから、怖いですよ」

「そ、そうなんか……」


 すっかり小さくなったイヌワシ頭の横で、ロバ顔は佳奈に向かってほくそ笑んだ。


「藍原さんって、やっぱり、情報とか諜報系に向いてるんだろね。うちに入る前から面白いネタ仕入れてるなんて、結構な才能だよ。ネタの出し方も最高。山本2佐が藍原さんを気に入る理由、なんか分かるなあ」

「はあ……」


 不思議そうな顔をする佳奈に、悪魔のロバはさらに囁いた。


「これで、面倒な仕事はみんな荒神3佐に丸投げできるよ。『ブルーの件を総務部長にバラすぞ』って呪文を唱えれば、何でも言うこと聞いてくれるから、試してごらん」


「勘弁してくれ……。あ、してください」



 その日の午後から、イヌワシ頭の元パイロットは、人が変わったように佳奈に親切になった。




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