「元」憧れの人々(2)


 イヌワシ頭の荒神から昼食に誘われたのは、彼の右手の握力が七二キロだと分かってから数日後のことだった。


「総務部の情報保全課に腰痛仲間がいるんだよ。あいつも『イーグルドライバー』だから、ちっとは面白い話でも聞けるだろ」


 佳奈は戸惑い気味に荒神を見上げた。相変わらず後頭部の髪が逆立っている彼は、相変わらずつっけんどんな話し方をする。

 しかし、断るのも怖いので、「元パイロット」の会食に混ぜてもらうことにした。



 昼休みに入るとすぐ、部屋の出入り口に、一人の航空自衛官が顔をのぞかせた。荒神よりやや縦横に大きく、1等空尉の階級章を付けている。

 佳奈は、荒神に促され、席を立った。


「こいつも航学(航空学生)出身」


「初めまして。荷山にやま1尉です。センパイがお世話になってます」


 荒神よりよほど礼儀正しそうな後輩は、面長で大人しそうな雰囲気の男だった。眠そうな印象を与える垂れ目が、何かの動物を思い起こさせる。


「藍原さんのことは、同じ課の山本2佐からいろいろ聞いてます。官庁訪問の面接で、『飛行機が好きだから防衛省に入りたい』って言ったって」


「うちの月野輪1尉もそんな話してたな。全く、よくそれで採用になるよな」


 廊下中に響くような甲高い笑い声をあげる荒神の傍で、佳奈は真っ赤になって黙っていた。自分でもそう思うので、反論のしようもない。


「いやいや、真面目な話。山本2佐、藍原さんのコトかなり気に入ってるみたいで」

「ホントですか? 面接のときはすごく怖くて、絶対落とされたと思ったんですけど……」

「たぶん、思惑あってわざとそういうフリしたんだと思うなあ。山本2佐はナントカ心理学っていうマスター持ってるらしいし、人事と情報保全が専門の人だから」


「それって、何か怖くね?」


 猛禽類的な目を細める荒神に、佳奈も心の中で同意した。逆らえない雰囲気を漂わせるあの海上自衛官とは、たまに女子更衣室で顔を合わせるくらいだが、彼女がそんな経歴の持ち主だと分かっては、ますます近寄り難い。



 この日の会食の場所は、A棟北側にある厚生棟の一階に入る庶民的な食堂だった。荒神は、券売機に五百円玉を入れると、佳奈に「好きなものを選びたまえ」と言ってふんぞり返った。


「新人にメシの一つも食わせなかったら、後で荷山にケチとか何とか言われそうだからな」

「三百円だか四百円だかのメシで威張られても困るよねえ」

「じゃ、お前には何も奢ってやらん」

「あ、嘘です。ありがたくゴチになります」


 お調子者らしい荷山は、佳奈より先に券売機に手を伸ばし、和定食のボタンを押した。



 広い「庶民食堂」は、それでもかなり混み合っていた。佳奈たちは、調理場がすぐ奥に見えるカウンターで料理を受け取り、長テーブルが連なる客席の中から、三人分の席をなんとか見つけた。ざわざわと落ち着かない空間には、やはり、背広より制服のほうが多く座っている。


「僕もウイングマークないけど、いいの?」


 荷山は、人懐っこそうな垂れ目がそう見せるのか、のほほんとした表情で、プラスチックの湯飲みの中身をすすった。その穏やかな笑みの奥に隠されたものを察するのは、新人には難しい。


「パイロットさんとお話できるのは、とても嬉しいです。でも……」


「変な気を遣う必要なし。俺たちはもう飛べねーけど、飛んでた頃の話をするのは嫌いじゃない。ま、取りあえず食え」 


 佳奈がほっと顔をほころばすと、荒神もわずかに表情を緩めた。


「この前も言ったろ。腰を悪くしてウイングマーク外す奴は結構いるって。こいつは、慢性的な腰痛持ちで、それが致命的に悪化してジ・エンド、ってパターン」

「あと、痔もひどくなっちゃって」

「何だよメシ食ってる時に」

「ドーナツ型のクッションが手放せないんだよね」

「そっちの話はいらん!」


 マイペースな後輩を睨んだ荒神は、大きな揚げ物を勢いよく口の中に放り込んだ。


「せっかくだから、俺たちに聞きたいことあったら何でも聞きな。ただし、『背が低いとなぜパイロットになれないか』という質問は除く」

「な、何で、ですか?」


 きょとんとする佳奈から、荒神は気まずそうに目をそらした。


「あー、何つうか、面と向かって答えたくないから」

「機密事項なんですか?」

「そうじゃねーけど……。なあ?」


 先輩に同意を求められた荷山は、垂れた目を伏せ、困ったように頷いた。


「コックピットに座れば、すぐ分かるんだけどなあ」


「事務官の部隊研修ってねーの?」

情本じょうほん(防衛情報本部)採用だと、そういう機会はないそうです」

「それも何だかなあ」


 元パイロットの二人は、もぐもぐと口を動かしながら、そろって腕組みをした。


「現場を何も知らないまま、何年も経ってから人事交流でいきなり部隊勤務なんてことになったら、やっぱり困るんじゃないのか」

「業務改善提案として人教じんきょう課(人事教育課)に出してみたらどうですかね? 情本採用の若手事務官にも部隊見学させたほうがいい、って」


 佳奈はがぜん目を輝かせた。実現すれば、最高にな話だ。


「うちの班長を焚きつけるか……。でも、空自基地を見たいんなら、『海』の班長より『空』の人教(人事教育)課長に直訴するのが一番早道かもな」

「人教課長……」


 あの灰色頭の航空自衛官の顔を思い出したとたん、浮ついた高揚感は一気にしぼんでしまった。彼に不用意に近づいたら、「キジも鳴かずば……」の展開になるような気がする。

 佳奈は別の質問をすることにした。ファイターパイロットだった二人には、まだまだ尋ねたいことがたくさんある。


「荒神3佐も荷山1尉も、『コールサイン』って持ってるんですか?」

TACタックネームのことか? 機体や部隊の呼び出し符号じゃなくて、ファイターパイロットが『個人』として持ってるやつのこと言ってんだよな」

「そうです。『タックネーム』っていうのが正式なんですか?」

「うちではそう呼んでる。米軍では、世間一般のコールサインもTACネームも全部『コールサイン』って言うらしいから、ちっと紛らわしいんだけどな」


 荒神は、佳奈のキラキラした視線に気付くと、後頭部の逆立った髪をひと撫でして、照れくさそうに目を細めた。


「俺が使ってたTACネームは『クルーズ』だ」

「クルーズ? 何か由来があるんですか?」

「アメリカの俳優の名前だよ」


「このヒト、思いっきりナルシストだから」


 遠慮なく失笑する後輩に、荒神は「ちげーよ!」と声を荒げた。


「最初に配置されたトコの飛行隊長にエラく気に入られて、その人に付けてもらったんだよ。その隊長、『トップガン』ってヒコーキ映画がめっちゃ好きで」

「あー、テレビで見たことあるかも。三十年くらい前の映画ですよね。アメリカの海軍パイロットの話。藍原さんはさすがに知らないよね」


 佳奈は首を傾げた。本物の飛行機を見るのは好きだが、戦争映画には詳しくない。しかも、生まれる前の映画とあっては、完全に守備範囲外だ。


「もう退役した空母艦載機がかっ飛んでる映画なんだけどな。その隊長、結構有名な大学に行ってたらしいのに、映画見て感動して空自に入った、っていう酔狂な人でさ。TACネームも、映画の主役やった俳優の『トム・クルーズ』にちなんで『TOMトム』なんだ。んで、新米だった俺に、『いいセンスしてるから、俺の名を半分やろう』って言ってくれて、それで、俺のほうは『CRUISEクルーズ』になったわけ」

「すごい! 本当に映画みたいにカッコイイですね!」


 佳奈が歓喜の声を上げると、荒神は、「そーか?」と言って、後頭部の逆立った髪を何度も撫でた。


「荷山1尉のTACネームは何ですか?」

「そういえば、俺も聞いたことなかったな」


 二人にまじまじと見つめられた荷山は、露骨に嫌そうな顔になった。


「『クルーズ』の後じゃ、言いづらいなあ」

「んだよ。もったいぶんなよ」


 イヌワシ頭の先輩に小突かれた荷山は、小さな声で呟いた。


「僕のは『ROBA』です……」


 佳奈は思わず「ああ」と大きく頷きそうになった。面長に垂れ目の大人しそうな顔。まさにロバ……。


「まんまやん!」


 荒神は、猛禽類が雄叫びを上げるような声で、遠慮なく笑った。後輩をフォローしてやろうという気持ちは微塵もないらしい。


「そ、そのう、荷山1尉の隊長さんは、動物の名前を付けるのが趣味だったんですか?」

「いやあ、僕、着任早々に隊長と喧嘩しちゃって……」


 荷山は、完全に言葉を失った佳奈から目をそらすと、打ちひしがれたロバのような顔で溜息をついた。



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