イケメン部隊を探せ(1)


 一週間の研修が終わるといよいよ仕事が本格化……、と気負っていた佳奈の机に置かれたのは、ゴールデンウィーク前後の休暇調整表だった。

 四月下旬から五月上旬までの三週間分の日付が入った表の左端に、各班員の氏名が書かれている。しかし、休暇の予定を示す印が付けてあるのは、アマガエル顔の古池の欄だけだった。こういう場合、新人はどう対応すればいいのだろう。


「連休中も定員の六割ぐらいは確保したいから、遠出するかしないかも含めて、互いに休みを調整するわけよ。取りあえず、休みたいトコに矢印書いて。あ、古池3佐は帰省先が遠いから、なるべく優先で」


 月野輪の説明に、佳奈は戸惑いの表情を浮かべた。


「私は特にいいです。なんか、まだ全然お仕事してないから……」

「休暇を心配してもらえるのも、新人の時だけだぜ。二年目から容赦ねーから」


 熊のように大柄なシルエットの向こうから、荒神が鋭い視線を放ってくる。佳奈は思わず縮こまった。話し方にいちいちトゲのあるイヌワシは、どうも苦手だ。その点、熊は見かけによらず人懐っこい。


「まともに仕事始めるのなんて、連休明けからだろ? 部隊採用の事務官連中なんか、連休の後にまた長い研修に入るから、何もしないうちに夏になっちまうわな」

「ここは、そういう研修はないんですか?」

「ないな。何しろ独自の教育機関も部隊もないから」


 月野輪の話では、陸海空自衛隊採用の入省者は、五月末頃から各自衛隊の教育機関に一か月ほど放り込まれ、泊まり込みでさらなる研修を受けるとのことだった。現場の様子を直に学ぶために部隊見学もするらしい。

 しかし、部隊を持たない防衛情報本部に採用された佳奈には、当然ながらそのような機会はない。

 佳奈はつい、不機嫌そうなへの字口になった。何だか不公平だ。空自採用で入省していれば、もしかしたら、子供の頃から好きだったブルーインパルスと同じ機体を格納庫で間近に見る機会もあったかもしれないのに……。


「文句があったら、うちの人教課長にでも言いな」


 またイヌワシがぶっきらぼうな言葉を投げてくる。佳奈はそれには答えず、げんなりとため息をついた。キジの話をしていた灰色頭の人事教育課長には、当分、近寄りたくない。




 幸い佳奈には、愚痴をこぼせる相手が部内にいた。初任者研修の時、ずっと隣の席に座っていた同期の林原麗維だ。彼女とは、研修の最終日にSNSのIDを交換した。以来、時々メッセージをやり取りする気楽な関係が続いている。

 佳奈が「職場のおじさんに疲れた」と書いて送ると、一緒に昼食を食べようという話になった。



 約束の日、A棟ロビーに現れた林原は、相変わらず、毛先を緩く巻いた茶髪をふわりとなびかせていた。パステルカラーの柄物のワンピースが、ますます柔らかい印象を与えている。黒髪にグレー系のスーツを着た佳奈の横に立つと、まるでセキセイインコとカラスが並んでいるようだ。


 佳奈は、華やかな同期を、A棟十八階にある食堂に連れて行った。台地にある防衛省の建物の中でも最も高い棟の上層階にあるその食堂は、さながら展望レストランだ。敷地の中には、他にも四、五か所ほど社員食堂に相当する場所があるが、A棟のそれは、外部との接待にも使われるため、絨毯敷きの落ち着いた造りになっており、食券制ながら給仕スタッフもいる。


 眺めのいい食堂はすでに混み始めていたが、佳奈と林原は、運よく窓際のテーブルに案内された。


「すごおい。夜に来たら景色とか綺麗そうだよねえ」

「夜はやってないんじゃないかな……」


 佳奈のツッコミに、林原は「あは、そうだよねえ」と言ってけらけらと笑った。


「今日はごめんねえ、アタシの希望きいてもらっちゃって。ずっとここ来てみたかったんだけど、A棟ってなんだか入りにくくってえ」


 間延びした話し方をする林原の勤務場所は、A棟より二つ東側にあるE1棟と呼ばれる建物の中にあるということだった。十階建てのそのビルの中には、やはり陸海空の様々な組織が入っているらしいが、佳奈は逆に、その場所には立ち入ったことがない。


「佳奈ちゃんトコのおじさんたち、意地悪なのお?」

「そういうわけじゃないんだけど、年の近い人が周りにほとんどいなくて。制服ばかりだし、みんな階級高いし、女の人ほとんどいないし」

「それも、ちょっと窮屈そおだね。アタシのトコは、陸自の人と事務官と半分ずつ、って感じかなあ。年が近い人は少ないけど、女の人は結構いるよお」

「いいなあ」


 ため息をつく佳奈に、林原は艶めいたピンクの唇を尖らせた。


「ぜえんぜん良くないよお。うるさいオバサンとか多くてさあ。遅刻してないのに朝来るのが遅いとか、お茶の入れ方が変だとか、字が汚いとかって、ホント、ウザ~って感じ」


 佳奈の愚痴を聞くはずだった林原のほうが、早口で喋りまくる。表情豊かな話ぶりは、見ているだけで面白い。相槌代わりに何度もクスクス笑ううちに、佳奈の心に溜まっていた何かは、すっかり消えてしまった。


「そっちのほうが、大変そうだね」

「うん。でもねっ」


 林原は突然、自分の携帯端末を佳奈の目の前に突き出した。待ち受け画面に、陸自の制服を着た二十歳すぎと思しき男が映っている。


「カッコイイでしょお?」


 佳奈は、E棟の前で撮影されたらしい画像をまじまじと見た。確かに、気を付けの姿勢で立っている短髪の彼は、目鼻立ちも整い、とても爽やかな感じだ。


「うちの棟にねえっ、イケメン部隊がいるんだよお!」

「何それ?」

「よく分かんないけどお、同じ棟の中にね、イケメンがたくさんいるの! この人は、お昼にエレベーターでよく見かけてたんだけど、何となく挨拶するようになってね、それで、この間昼休みに……」

「お茶に誘われた?」

「まさかあ! 『カッコイイですね! 写真撮らせてください!』って言ったらあ、『いいよ』って言ってくれたのお!」


 想像以上に大胆な答えを返して来た林原は、頬を少し染めて弾けるような笑顔を見せた。窓から差し込む陽の光が、浮かれ気味の彼女の茶髪をキラキラと輝かせる。それが、佳奈にはとてもまぶしく見えた。

 コトの詳細はさっぱり分からないが、『イケメン部隊』とは惹かれる言葉だ……。



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