初任者研修(2)


 その日の研修を終えて佳奈が渉外班に戻ると、灰色頭の航空自衛官がいた。どこから持ってきたのか、班長席の横にパイプ椅子を広げ、フグ顔の班長と一緒にコーヒーを飲んでいる。

 神経質そうな目つきの灰色頭を間近で見るのは、昨秋の最終面接の時以来かもしれない。あの時は、内定承諾書の押印をせかす彼が防衛情報本部の人事教育課長だとは、思いもよらなかった。

 

 佳奈の姿に気付いた二人は、意味ありげに顔を見合わせた。先に言葉を発したのは、灰色頭のほうだった。


「藍原さん、今日の研修で面白い質問したんだってな」


 月野輪が、機嫌の悪い熊のような顔で、ジロリと佳奈を睨む。佳奈は慌てて首を横に振った。


「飛行機の質問はしてないです。航空自衛隊の講義では、ずっと黙ってました」


 灰色頭は、目を細めてひくりと口角を上げた。


「海自の話の時に何か言っただろ。海幕かいばく(海上幕僚監部)から電話がかかってきたぞ。『新人の躾けがなっとらん』ってな」


 佳奈は、研修場での出来事を素早く思い返した。特に何も思い当たらないが、自分の態度はそんなに悪かっただろうか。


「だいたいは守備範囲外じゃなかったのか。どんな質問したんだ」

「潜水艦はどこまで深く潜れるんですか、って聞きました」


 コーヒーをすすっていた班長の下関が、むせたのか激しく咳き込んだ。警戒モードのフグのように頬を膨らませて苦しむ彼の傍で、先任の追立は、飼い主に怒られるのを察したシェパードのように、目だけを灰色頭のほうに動かして身を固くした。


「潜水艦の潜航深度なんて、最高機密だろが。それを大勢の前でしれっと聞く奴があるか。それも二回も質問しやがって」

「二回? ……してないです。別の質問はしましたけど……」

「何を聞いたんだ」

「潜水艦はどんな金属でできているのかって……。あ、あと厚さも」


「それじゃ、潜航深度を聞いてるのとほとんど同じだよ!」


 袖に1等海佐の階級を付ける下関は、ますます膨れたフグ面になって立ちあがった。


「二つ目の質問は、意図を勘ぐられても文句言えないよ。材料工学を勉強したってわけでもないのに、『船殻せんこく材が何か』なんて、どっからそういう疑問が浮かんでくるわけ?」

「講義中にスライドで潜水艦の写真を見たんですけど、夜の空みたいな黒い色をしてたので、あの黒い金属は何だろうと思って……」

「あれはただの塗装! 鋼板のままだったら、キラキラしちゃって上から丸見えでしょ! 浅いトコにいる時に発見されにくいようにああいう色になってんの! そもそも、船体のほとんどは吸音タイルで覆われてるから。表面はゴムだよ、ゴム!」


 荒神が、こらえきれずに、大型の猛禽類が鳴くような笑い声を上げた。しかし、フグとシェパードに睨まれて息を止めた。普段リアクションの乏しい古池は、一瞬クッとカエルのような声を出したが、なんとか踏みとどまった。


「あ、藍原さん。渉外班長は潜水艦乗りだって、知ってた?」


 佳奈は、灰色頭の言葉に首を横に振りながら、自分の直属の上司を見た。まだ威嚇モードの顔をした班長が着る黒い上着の左胸には、シャチホコのような魚が二匹向かい合うデザインの金色のバッチが付いていた。通称「ドルフィンマーク」と呼ばれる潜水艦き章で、これを制服に付けることができるのは、潜水艦の乗艦経歴が一定期間以上ある海上自衛官だけである。


「彼は艦長職も経験してる潜水艦のプロ。だから、こっそり聞けば、いろいろ教えてくれるかもしれん」

「新人に変なコト言わんでください! 我々二人を懲戒免職にしたいんですか!」


 「元」潜水艦艦長は、自分より上の役職にある灰色頭に食ってかかり、それから、最高に膨れた顔を佳奈のほうに向けた。


「用もないのに潜水艦の話はダメ! 潜水艦絡みの事案は、部内で口にするのもご法度な話がたくさんあるから! 万が一それっぽい話を耳にしても、絶対に喋っちゃダメ! この班の中でもダメ! 直ちに記憶から削除! いい?」


 初めて見るフグ顔の剣幕に、佳奈はこくこくと何度も頷いた。他の班員もつられて頭を上下に振る。

 その様子を見やりながら、灰色頭の人事教育課長は、神経質そうな顔の右半分だけに笑みを浮かべつつ、パイプ椅子から立ちあがった。


「そうそう、藍原さん。防衛情報本部うちの部隊章、何の動物がモチーフか知ってる?」

「キジ、ですよね? ホームページで見ました」

「で、『キジ』って言ったら、何を連想する?」


 佳奈は首を傾げつつ、思い浮かんだことを素直に口にした。


「えっと、『キジも鳴かずば撃たれまい』とか……」


「ひでえ言われようだな」


 荒神と月野輪が、揃って不快感を示した。しかし、灰色頭は嬉しそうにますます口角を上げた。


「なあんだ。ちゃんと分かってるじゃないか。余計な事を知りたがったり喋ったりしたら、『鳴いたキジ』みたいな目に遭う」


 班全体がしんと静まり返る。


「……かもな!」


 灰色頭の人事教育課長は、顔面蒼白の新人とあっけにとられるその他一同に背を向けると、悪役の老魔術師のような笑い声を立てながら、どこかへ行ってしまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る