知られていた秘密(2)
「な、何でっ?」
口の中のものが出そうになって、佳奈は急いで口元に手をやった。その子供っぽい仕草に、進司はようやく微かに顔をほころばせた。
「佳奈は、小さい頃から飛行機が好きだったな。石塚さん家の
佳奈は手で口を覆ったまま黙っていた。近所の男の子と張り合って夢を語った思い出は、懐かしいというより滑稽すぎて恥ずかしい。
「初めはてっきり、佳奈は正輝君のことが好きで話を合わせてるんだと思ってたよ」
「そんなんじゃないって」
「……そうだったら、良かったんだけどね」
「どういうこと?」
きょとんとする娘を、進司は愛おしそうに見つめた。
「石塚さん家が引っ越した後、佳奈は一人で航空祭に行くようになっただろ。『佳奈が好きなのは、正輝君じゃなくて飛行機のほうだったのか』って、お母さんと頭を抱えたよ」
「お父さんもお母さんも、私がパイロットになるの嫌だったの? そんなこと、全然言ったことなかったよね?」
佳奈は元気だった頃の母親の顔を思い出した。学校での出来事も飛行機の話も楽しそうに聞いてくれた母親は、決して「女の子なのに」という言葉を口にしない人だった。
「子供の夢を無下に否定したりしないさ。でも、戦闘機のパイロットになりたいって言われたらなあ。正直、手放しで賛成はできないよ。自衛官だって、最近は海外派遣もあるし、よっぽど頑健な人間じゃないと、やっていくのはとても辛いと思うんだ」
「やっぱり、私には初めから無理だよね」
「そういう意味じゃない。ただ、我が子には、できれば、危険も苦労もない場所にいてほしい。親なら誰だってそう思うもんだ。だから、佳奈がパイロットになれないと分かった時は、……可哀想だけど、安心したんだ」
再び、二人の間に沈黙が流れる。佳奈は、お世辞にも美味しいとは言えないカレーを黙々と食べる父親の姿を見た。視界がわずかに滲むのを感じた。
「……試験の話に戻るけど」
一粒だけ涙をこぼした娘に、父親はようやく本題を切り出した。
「採用されたら、高卒として就職することになるんだろ? 本当にいいのか」
「飛行機の見えるところで働ける仕事なら、やってみたいなと思って……。今のまま大学でぼんやり過ごすより、やってみたいことをやりたい」
それは間違いなく本音だった。高校にきていた指定校推薦枠を利用して入った進学先は、防衛大学校の次に志望していた一般大学のレベルをかなり下回っていた。校風にもなじめず、指定校推薦という縛りがなければ他大学の編入試験を受けたいとさえ思っていた。
留学して人生経験を積むことも考えたが、在籍校の授業料に困る状態では、留学どころか、留学に備えた勉強すらままならない。
「あ、仕事そのものは普通の事務なんだって。お部屋の中で働くし、危ないことはないと思うけど、ダメ?」
官庁訪問でもらったパンフレットを持ってくる、と席を立とうとした佳奈を、進司は手を上げて制した。
「佳奈らしい、いい選択だと思うよ。ただ、大卒枠で入る方が仕事の幅は広がると思うんだ。学費のことは、……少し父さんに時間をくれないか」
「大卒とか高卒とか、そんなに大事?」
「学歴を目安に採用試験を分けてるってことは、仕事に就いた後のキャリアパスもきっちり区別されてるってことだ。入った後の将来が違ってくるんだよ」
「キャリアパスって?」
「平たく言うと『キャリアアップの道筋』かな。いつまでにどんなレベルの職に就くか。そのためには、いつどんな仕事を経験しておけばいいか。そういうことを長いスパンで見通す『働き方の計画書』みたいなもんだ。会社では、そういったキャリアパスをベースにして、人材を育てていく。公務員もきっと同じだ」
そう解説されても、ブラックバイトしか社会経験のない佳奈には、どうもピンとこなかった。
「ふうん……。あ、そういえば、今日の面接でも、採用枠が違うとキャリアパスが変わるとか何とか……」
言いかけて、佳奈はふと怖い女性面接官の顔を思い出した。黒いダブルスーツのあの面接官も、「高卒枠での就職は考え直したほうがいい」というようなことを言っていた。
「……もう、落ちたかも」
「それは何とも解釈が難しいな。ただ、今回、防衛省から内定がもらえなかったら……」
どうするつもりなのか、と尋ねようとした進司は、娘が打ちのめされたようにうなだれるのを見て、すっかり慌てた。
「あ、いやいや、もしもの話だよ。万が一の……」
「やっぱり、もうダメだよね。私、運が悪いもん」
「別に、面と向かって『不採用』って言われたわけじゃないんだろ。だいたい、これから二次試験があるんじゃないのか」
「でもね、お父さん……」
焦げくさいカレーをじっと見つめながら、佳奈は泣き出しそうな声を出した。
国家公務員採用試験に最終合格した者は、「採用候補者名簿」に名前を記載され、国家公務員になる資格を得る。各省庁はこの名簿をもとに採用面接を行い、これはと思う人間に内定を出していくのだが、どの省庁からも内定を得られない受験者は、採用試験自体には合格していても、結果的にどこにも就業できない。
それゆえに、受験者は少しでも志望先に自分をアピールしたいところだが、その第一の機会となるのが、一次合格発表後に各省庁が開催する「業務説明会」である。
これらの説明会は一次合格者のみを対象としたもので、表向きは「官公庁による受験者への情報提供の場」と位置付けられており、選考活動は行われないことになっている。しかし、この時点で受験者は採用関係者と接触することになるため、一連の説明会が受験者と官公庁の双方にとってリクルート活動の場となっている感は否めないのが実情だ。
「最終合格の前に内々定が出てるって噂もあるんだよ。公務員試験のスレにも、『合格発表が出て志望先に電話したら、採用面接をする人はすでに決まってるって言われて門前払いだった』とか書いてあったし」
佳奈は、近くにあったものを手に取り、こぼれそうになった涙を拭いた。おしぼりだと思ったそれは台ふきんだった。
「ネットの情報なんか当てになるか。嘘や間違いが無責任に流れているんだから。確実なことを知りたかったら、自分で直接電話して確かめる。それが一番」
「門前払いだったらどうしよう」
「とにかく今は、来週の二次試験に集中すればいい。いくら内々定をもらっても、採用試験そのものに落ちたら話にならないんだろ。最終合格して、もしもご縁が無かったら、その時に今後のことを考えよう」
「うん……」
佳奈はまた台ふきんで目元をぬぐった。そして、涙目のまま笑顔になった。
「じゃあ、採用が決まったら大学辞めていい、ってことだよね」
「えっ、ああ、そうか。そうなっちゃうな」
進司は、一本取られたと言わんばかりに破顔一笑した。
「最終の合格発表はいつ?」
「来月の中旬」
「じゃあ、十一月三日は、願掛けに入間基地の航空祭に行こうか?」
*******
関東圏では「特異日」と言われるほど晴天率が高い十一月三日は、この年は終日、土砂降りの雨だった。昼のニュース番組では、気象予報士が「文化の日が悪天候に見舞われるのは、十年に一度あるかないか」などと解説していた。
やっぱり、私には生まれつき、運がない
強い雨音を聞きながら、佳奈は自室で独り言ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます