採用面接(1)
土砂降りの文化の日から十日ほど経った日の午前中、佳奈は、人事院のサイトに掲載された「国家公務員採用一般職試験(高卒者試験)最終合格者一覧」の中に、自分の受験番号を見つけた。
一瞬の歓喜の後、大きな緊張感が襲ってきた。いよいよ最後の関門となる採用面接を受ける。まずは、自分の熱意を伝えるために、一秒でも早く志望先の担当部署に電話を入れ、面接のアポイントを取り付けなくてはならない。
電話をかけて、門前払いだったら……
佳奈は二階の自室の窓から空を見上げた。今日は、潔い青一色の空間が広がっている。五月に青と白の飛行機を見た時も、こんな空だった。この青空が幸運を暗示していると信じたい。
携帯端末を握りしめ、深呼吸をした。連絡先の番号を確認し、相手が出た時に最初に言うセリフを頭の中で繰り返す……。
電話アプリを起動したその時、手の中の携帯端末が低い音を立てて震えた。液晶画面に市外局番が「03」から始まる電話番号が表示されている。
こんな時にどこからだろう、と思いつつ、うっかり応答ボタンに触れてしまった。
「あ……」
「藍原佳奈さんのお電話ですか?」
営業電話にしてはやや低いトーンだ。丁寧な口調ながら、攻撃的な印象さえ受ける。
「そ、そうです」
「防衛省の山本と申します。このたびは、合格おめでとうございます」
間違いなく、一月ほど前に対面した怖そうな女性面接官の声だった。なぜ、佳奈が人事院主催の採用試験に最終合格したことを知っているのだろう。受験者への発表より早く、合否情報が人事院から各省庁へ回されるのだろうか。
「藍原さんにはぜひ、当省の採用面接にいらしていただきたいと思いまして」
「へっ?」
佳奈は左耳を携帯端末にべったりと付けた。
「い、行きます! ぜひっ」
「いつ頃来られますか? 可能な限り早いと有難いのですが。お住まいは埼玉県の、えーっと、都内まではそんなに遠くありませんよね?」
「市ヶ谷でしたら、たぶん一時間半ぐらいで行けます」
「じゃあ、今日の午後でどうですか?」
「今日のっ?」
佳奈は、気絶しそうになりながら、言われた時間と持ち物と連絡先をメモした。そして、礼の言葉もそこそこに電話を切り、たった一つしかないスーツに着替えた。まだ時間的にかなり余裕はあるが、とてもじっとしていられない。
ふと、部屋の隅にある姿見に目がいった。そこに映る自分の姿は、就活生というより、制服を着た中学生のように見えた。
大学の入学式用に買ったスーツの地が紺色だからなのか、それとも、スカートに少しフレアが入るデザインのせいなのか。やはり、旧友に「小学生の頃からちっとも変わらない」と言われる顔立ちが、一番の問題のような気がする。
眉のあたりで切り揃えられた前髪をいじり、愛想笑いを作ってみた。無理やり口角を上げると、ふざけてアヒル口をする小学生の顔になった。
髪を後ろで一つに束ねれば少しは働く女性の雰囲気に近づくかもしれないが、あいにく佳奈の髪は顎までの長さしかない。
佳奈が一階に降りると、二週間前に退院した母親の陽子が、台所で洗い物をしていた。今日は具合がいいらしい。
「お母さん、試験、合格したよ。採用面接に来ませんかって電話かかってきた!」
陽子は、少し痩せた顔に一瞬だけ当惑の色を浮かべた。しかし、すぐにそれを穏やかな笑みで隠した。
「おめでとう、佳奈。あともう一息ね。面接って、今日なの?」
昔に比べてくぼんでしまった目が、紺色のスーツを見つめる。
「うん。一時半に来てって。行きますって言っちゃったけど、お母さん大丈夫?」
「大丈夫よ。最近は調子いいから。佳奈は、面接のことだけ考えて、頑張って」
「全然心の準備ができてないよ。ねえ、お母さん。デキる女の人っぽく見えるメイクって知らない?」
「そうねえ、眉頭を少し書き足したら、引き締まった感じになるかしら」
佳奈と同じ形の眉をした母親は、困った顔でクスリと笑った。
昼前に、佳奈はショルダータイプの黒い鞄を抱えて家を出た。バスで最寄り駅に向かい、普段から通学に使っている私鉄に乗る。住宅ばかりが広がる見慣れた車窓を眺めながら、手持ちのアイブロウで眉の形を整えてくれた母のことを思った。
大学を辞めて働きたいと初めて話した時、母親はずっと泣いていた。彼女に笑顔が戻ってきたのは、つい数日前のことだ。
両親を安心させるには、高卒として社会に出ることを決めた自分が楽しく働く姿を見せるしかない。もっとも、志望先の内定を得ないことには何も始まらないが……。
電車と地下鉄を乗り継ぎ、一時間ほどで、佳奈は皇居の外濠を臨む市ヶ谷駅にたどり着いた。三度目に通る道なのに、どうも迷いそうで不安だ。
お濠に架かる橋を渡り、靖国通りに突き当たったところで左に曲がる。そのまま道なりに歩いて行くと、五分ほどで無事に防衛省の正門に着いた。門の奥に、茶色の大きな建物がいくつも並んでいるのが見える。
佳奈は、門を入ってすぐ左脇にある面会受付所に入った。カウンターの中にいる職員の一人に、採用面接を受けに来た旨を告げる。しばらくすると、臨時の立入証を渡され、「担当者が迎えに来るからその場で待つように」と言われた。
ガラス張りの受付所の中からは、門の様子がよく見えた。広い通路を挟んで向かい側に、白いヘルメットを被った深緑色の制服が一人、ライフルのようなものを手に、姿勢よく立っている。門の外側にいる民間の警備員たちとは、明らかに雰囲気が違う。
その彼の姿が時折、門を通過する黒塗りの官用車に遮られる。車に全く興味のない佳奈には、それが高級車かどうかは分からないが、民間会社の役員に相当する人間が乗っているのは間違いない。
過去二回ここに来た時も同じような光景を見ているはずなのに、なぜかほとんど記憶にない。よほど緊張していたのかもしれない、などと思っているうちに、背広姿の男が現れた。
前回の面接時にも佳奈を案内してくれた若い眼鏡の男だった。向こうも佳奈の顔を覚えていたらしく、眼鏡の下でわずかに笑みを浮かべながら挨拶してきた。
その彼の後について駅の改札口のようなゲートを通過し、屋根付きのエスカレーターに乗った。上に着くと、妙に広々とした空間に出た。朝礼でもできそうなスペースだ。その縁を回って一番高い建物の中に入り、大きなエレベーターに乗った。
中層階で降り、フロアの端に位置する小部屋の前に着く。半開きになったドアの向こうからは、数人の人間の話し声が聞こえてきた。
若い背広は躊躇なくドアをノックする。「どうぞ」という野太い男の声。
佳奈はごくりと唾をのんだ。
部屋の中は、前回の面接の時とほとんど同じ様相だった。奥に長机があり、人が並んで着座している。部屋中央には、パイプ椅子が一つぽつんと置かれていた。
そのパイプ椅子の真正面に位置する場所には、航空自衛隊の濃紺の制服を着た四十代後半の男がいた。渋みのある顔つきは、被面接者を圧倒するに足る気迫を放っている。
いかにも「ボス」という風格の彼の右脇には、同じく濃紺の制服姿が座っていた。増えてきた白髪を決して染めないポリシーを主張するかのような灰色頭をした痩せ型で、何となく神経質そうな印象がする。
ボスの左側には、やや頭髪が薄い太り気味の背広、そしてその隣に、あの女性面接官がいた。電話で「山本」と名乗っていた彼女は、今日も黒のダブルスーツを着ているが、席の位置からすると、今回は一番格下の立場らしい。
佳奈が居並ぶ四人に挨拶をすると、案内役の若い背広は、ドアを閉めて出て行ってしまった。
貫禄たっぷりの濃紺に促され、佳奈はパイプ椅子に座った。今回は、足が浮かないように浅めに腰かけることを忘れなかった。
「では、早速、あなたの志望動機についてですが」
濃紺のボスが、机の上にどかっと両腕を乗せて身を乗り出してきた。滑舌の良い声が威圧的に感じる。
「はい。……私が防衛省を希望しましたのは」
「飛行機が好きだから、なんだってね!」
「はひっ?」
佳奈は、床にしっかりついていたはずの足をうっかり跳ね上げてしまった。面接官たちが揃って口角を上げる。
今回は、圧迫面接ならぬ、かく乱面接か……。
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