官庁訪問(3)
佳奈がパニック気味の頭で体裁のいい言葉を探していると、濃紺の上下を着た男が、冷酷な黒のダブルスーツにひそひそと耳打ちをした。
「あの背格好だと、飛行要員は間違いなく受かりませんね」
「背? 身長制限に引っかかるってこと? 規定は何㎝以上だっけ?」
「空は158以上190以下です。男女共通。海も同じかと」
女性面接官は、ふうん、と相槌を打った。そして、化粧っ気のない顔で青ざめている佳奈をジロリと見た。
「つまり、……飛行要員の規定をクリアできないと」
「は、はい。それで、せめて飛行機の見える職場で働きたいと思って……」
佳奈は消え入りそうな声で答えた。かなり惨めな気分だが、これで話のつじつまは合わせられるだろう。……と思ったが、甘かった。
「そういうことなら、事務官より自衛官を目指すほうがいいんじゃありませんか。自衛官になれば、整備や管制などの職に就いて、確実に飛行機の傍で働くことができますから」
「私は、自衛官にはなれないので……」
「どうしてですか。一度は飛行要員を目指したんでしょう」
女性面接官は畳みかけるように質問を投げつける。佳奈は、思わず相手から目をそらした。これが噂の圧迫面接というものか……。
嫌な沈黙が数秒ほど流れた後、小柄な濃紺の制服が、首をすくめつつ「あのさ」と遠慮がちに割って入ってきた。
「ちょっと失礼な質問になっちゃうけど、背丈、何㎝か聞いてもいい?」
「148.5㎝です」
「ああ、そっかあ。女性自衛官は確か『150㎝以上』って決まってるもんね。あと2㎝足りないのかあ」
「1.5㎝です」
「0.5㎝の違い、大事?」
「大事です!」
佳奈はうっかり悲痛な声を出した。
「分かるよ、その気持ち。俺、若い頃、背の高いコと付き合っててさあ、相手のほうが0.5㎝高くて、それがコンプレックスで、結局、別れちゃったんだよね。ミリ単位の話だけど、それが結構重要……痛っ」
テーブルの下で女性面接官が濃紺の制服の足をはたくのが見えた。
「初めに断っておきますが、当省に入って必ずしも空自基地の配属になるとは限りません。そもそも、藍原さんは、採用となった場合は、航空自衛官ではなく、防衛省事務官になるわけですから、陸海空を問わず、様々な場所で勤務する可能性があります。そのあたりは、承知していますか」
冷ややかな説明に、佳奈は「はい」と答えた。三日前の個別面談でも、同じような話はされた。
「どこの配置になっても、お仕事を覚えながら、機会が来るのを待ちます」
「そう……」
「まあ、飛行要員よりは、望みあるもんな」
女性面接官が引き気味の反応を見せる傍らで、今度は深緑色の制服の男が口を挟んできた。濃紺の男より十歳は年上に見える彼は、縦横に大きく、いかにもレンジャー隊員という体格をしている。
女性面接官は、大柄な彼には構わず、「もう一つ、聞きたいことがあるんですが」と言って、ますます目を鋭くした。
「あなたは現在、
佳奈は唇を引き結んだ。最も聞かれたくない質問だが、逃げるわけにもいかない。
「……大学は、辞めるつもりです」
「退学してまで当省での勤務を希望する理由を、聞いてもいいですか」
黒いダブルスーツの女性面接官は、全く動じることなく、さらに突っ込んできた。これはもう、圧迫面接で決まりだ。
「その、……今の大学では、自分のやりたいことが見つからなくて」
変なことを口走ったと気付いたが、遅かった。佳奈の目の前で、四人の面接官が一様に顔を強張らせた。
「やりたいことがあって進学したのではないんですか」
「大学は、第一希望のところに入れないのが分かって、それがショックで、指定校推薦で行けるところに入学してしまったので……」
ますます変なことを言ってしまった。もはや、圧迫面接というより、尋問状態だ。
「あ、そう。……ちなみに、どちらの大学を目指していたんですか」
「防衛大学校です」
ほお、と二人の制服の男が同時に声を漏らした。
防衛大学校とは、幹部自衛官の養成を目的とする、防衛省管轄の教育施設である。教育期間は一般の大学と同じく四年で、卒業者は自衛官となり自衛隊幹部への道を進むことになる。
「よっぽどうちの業界が好きなんだねえ」
相好を崩す深緑色の男をちらりと見た女性面接官は、彼とは対照的に、不愉快そうに咳払いをした。
「それで、防大のほうも合格しなかったと……」
「受けなかったんです。受験前に、二次試験を通らないことが分かったので」
「二次って、口述試験と身体検査でしょう? 何か……」
「防大学生の採用も、同じ制限があるんですよ」
濃紺がまた耳打ちした。
「さっきの『150㎝以上』ってやつです。入試の時点で、自衛官の採用基準が適用されますから」
「あ、そっか……」
女性面接官はやや気まずそうな顔になった。
「それで、進路変更を余儀なくされたのね」
「はい。高三になってから、パイロットも防大もダメだと知って、諦めました」
「切ないなあ……」
濃紺の制服の男は、何を思い出しているのか、腕組みをしてしみじみと呟いた。その彼をちらりと睨んだ女性面接官は、身を乗り出すようにして佳奈の目をじっと見つめた。
「大学生のあなたが『高卒枠』で採用されることの意味は分かってる? 採用枠が違うと、職務内容もキャリアパスも大きく変わるのよ。飛行要員になれなくて落胆する気持ちは分からなくもないけど、まだ二年生なんだし、この段階で白黒付けずに、今いる大学でいろんな可能性をじっくり探すほうがいいような気もするけど」
「探す時間は、ないんです」
「どうして?」
「……学費が、払えないので」
佳奈は、声が震えないようにゆっくりと答えた。
「奨学金を申請することは考えないの?」
「やりたいことが決まっていたら、そうしたと思います。でも、何をしたらいいか分からない状態で、大学にいるためだけに借金をするのは……」
「最近は、返済義務のないタイプもあるみたいよ」
「そういうのは、成績優秀でないと……」
また墓穴を掘った。佳奈が最後まで言い終わらないうちに、容赦ない指摘が返ってきた。
「つまり、あなたの学業成績は、給付型奨学金を受けるレベルにないということですね」
「そ、その、一年生の時に、後期試験を受けられなくて、単位をいくつか落として……」
「なぜ、受けられなかったんですか」
佳奈は、泣きたい気分に抗いながら、冷ややかな目をした女性面接官を見つめた。この人の普段の仕事は、本当に尋問官なんじゃないだろうか……。
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