官庁訪問(2)


 飛行機が好き、というのは本当だ。


 佳奈が防衛省への就職を志したのは、五月晴れの空を舞う二機の飛行機を見たのがきっかけだった。二年ぶりに見る青と白の機体に、忘れていた何かを見つけたような気がした。

 


 子供の頃は、十一月三日になると必ず、家から歩いて三十分ほどの所にある大きな飛行場まで、青と白の飛行機を見に行った。普段は入れないその飛行場では、年に一回、文化の日に、「航空祭」というイベントが行われていて、その時だけは一般の人も自由に立ち入ることができた。

 佳奈の家では、近所の飛行機好きな一家と一緒にピクニック気分で見物に出かけるのが、毎年の恒例行事になっていた。


 広い飛行場の中には、普通の空港では見られない珍しい飛行機がたくさんあった。

 佳奈の父親は飛行機には疎かったが、同行家族の一人息子はなかなかのオタクだった。佳奈が「まーくん」と呼んでいた彼は、小学生になる頃にはすっかり「飛行機博士」になり、航空祭に行くたびに、展示されている飛行機のうんちくをいちいち解説してくれた。


 佳奈と「まーくん」が特に夢中になったのは、「ブルーインパルス」という名のアクロバットチームのフライトショーだった。青と白に塗装された六機の小さな飛行機が、大きく宙返りしたりくるくる回ったりしながら、大空に白い煙の絵を描いていく。それがとても綺麗で、あまりにも気持ちよさそうで、二人で「あれに乗りたい!」とせがんでは親たちを困らせた。


 二歳年上の「まーくん」が中学生になってからは、二人で航空祭に行くようになった。観客で溢れる飛行場の中で、迷子にならないように手をつないで、何度も同じ話をした。


 俺、パイロットになりたい

 ブルーインパルスに乗って、

 佳奈にすごいフライトを見せてやるんだ


 私もパイロットやる

 下からまーくんを見てるより、

 自分で乗ったほうが楽しそう!



 いつも「佳奈ちゃんには無理だよ」と言っていた「まーくん」は、佳奈が中学に入った年の冬に、突然、遠い所へ引っ越していった。

 一人残された佳奈は、それでもずっと、青と白の飛行機に乗ることを夢見ていた。


 しかし、高校三年の春になり、自分には夢を叶える運がないことを知った。

 それから、すべてが、うまくいかなくなった。


 いつの間にか、空を見ることも忘れて、二年が過ぎた。




 耳慣れない、しかし思い出の中に深く記憶された、低く響く金属音。佳奈が久しぶりにそれを聞いたのは、この年の五月、スーパーで買い物をした帰り道のことだった。


 音のするほうを見上げると、青と白のツートンカラーに塗装された飛行機が二機、飛んでいた。美しい飛行機たちは、まるで、恋人同士が手をつないで公園の小路を歩いているかのように寄り添いながら、真っ青な空間を幸せそうに進んでいた。


 佳奈の住む街では十一月にしか見られないはずの、青と白の飛行機。


 どこか近くで航空イベントでもあるのだろうか。もう追わなくなった夢の象徴なのに、やはり、なんとなく気になった。


 家に戻った佳奈は、早速、携帯端末で調べてみた。検索サイトで「ブルーインパルス」と入力すると、トップに航空自衛隊の広報ページが表示された。そこからリンクをたどっていくうちに、事務職員の募集案内らしきページにたどり着いた。

 画面の右半分に、あの青と白の飛行機の大きな写真があった。左半分には、飛行機とは対照的に、地味な事務所と地味な格好の人たちが映るスナップ写真。そして、ページ中央には、センスが良いとは言い難いフォントの文字が並んでいた。


『飛行機が見える職場で働いています』


 何という魅惑的な文言。しかも、ページのどこを見ても、かつて自分の夢を阻んだ制限事項がない。この運命的な出会いを逃すテはない!



 それが、志望理由。


 しかし、就職活動の面接でそんな話をしても、あまりウケは良くないだろう。そう思って、ビジネスの場に耐えうる説明を必死に考えてきたというのに、大事な場面で頭から消去されてしまうとは……。



   *****


「……ずいぶんシンプルな動機なんですね。というか、よく分からないんですが」


 思考停止状態から回復したらしい女性面接官は、露骨に顔をしかめた。

 その横で、濃紺の制服がやおら身を乗り出してきた。小柄な体格がそう見せるのか、妙に人懐っこそうな目で佳奈を観察している。


「い、家の近くに航空自衛隊の基地があって、子供の頃は航空祭によく行ってて、ずっと飛行機に乗ってみたいと思ってて、そ、そ、それで……」


 完全にしどろもどろの佳奈を困ったように見た女性面接官は、やがて、机の上に置いたままの紙に視線を落とした。


「ああ、面接カードに書いてくれてたのは、そういう意味。『子供の頃からよく地元の基地の航空祭に出かけ、航空自衛隊に親しみを感じていました。最近は防衛問題にも興味があり云々』という……」


 佳奈は大きく首を縦に振った。まさにそれを言いたかったんだ、と訴えるようなリアクションが面白かったのか、濃紺と深緑がそろってクスリと笑った。

 しかし、再び佳奈のほうに顔を向けた女性面接官は、すっかり能面のような顔になっていた。


「つまり、あなたは、飛行機に乗りたくて当省をご希望、という……?」

「そっ、そうですっ」

「飛行機に乗りたいなら、海自か空自の飛行要員を目指すべきじゃない?」


 いきなりのダメ出しとは、出だしから厳しい。佳奈は思わずつばを飲み込んだ。飛行要員すなわちパイロットを目指すことができない理由を、願わくば欲しかったが、就職面接の現場はやはり無情らしい。


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