少女はマッチの売人
シン
少女はマッチの売人
時は20XX年。
年の瀬も押し迫った大晦日の夜のことです。
都会の喧騒から少し離れた裏路地にて、寒空の下、少女が一人、マッチを売っていました。
「マッチはいかがですか~。マッチはいかがですか~?」
裏路地を行き交う数少ない人に向けて鈴の鳴るような声をあげ、マッチをすすめる少女。
しかし、裏路地を歩く人達はみなコートの襟を立て、フードを目深にかぶり、寒さから逃げるように身を縮めて足早に通りすぎてしまいます。
おかげで、マッチはちっとも売れません。
マッチが売れなければ、少女が日頃から世話になっている親方に叱られてしまいます。
今日だって昼間まで寝ていた少女は叩き起こされ、大量のマッチ箱を渡されて、これを売り切るまで帰ってくるな、と厳しく言いつけられたばかりです。
昼過ぎから路地裏で道行く人に声をかけていますが、マッチは全く売れず、いつしか日は落ちかけて、路地裏は冷え込んできました。
少女がそろそろマッチを売るのは諦めるか、もっと人通りのある大通りへ向かおうかと思い始めたときのことです。
明かりも少なく薄暗い路地裏に、酒に焼けただみ声が響きます。
「よぉ! お嬢ちゃん。こんな夜遅くに一人で歩いてちゃ危ないぜ?」
声を発して暗がりからぬっと現れたのは、明らかにいい人とは言いがたい雰囲気を感じる中年の男でした。
手には酒瓶を持ち、赤ら顔、明らかに酔っぱらっています。
「こんばんは! マッチはいかがですか?」
一般人ならば嫌遠し、まず話しかけないような相手にも、心優しい少女は声をかけます。
その鈴を転がしたような声を聞き、男は下卑た笑い声をあげました。
「へへっ、いい声だ。それによく見りゃ体は貧相だが、顔は上玉じゃねぇか。マッチじゃなくて春でも売れば、ファンが着くんじゃねぇか?」
嫌らしい笑みを浮かべた中年男に、顔から脚までを品定めするような視線で見られても、少女は笑顔を崩しません。
「ごめんなさい、私はマッチ専門なんです。カッコいいお兄さん、私を助けると思って、マッチを買ってくれませんか?」
少女が己の境遇をも利用してマッチをすすめると、男は酒に酔った赤ら顔をしかめ、顎をこすりながらふぅむ、と考え込みました。
「なかなか商売上手なお嬢ちゃんだ。いいぜ。一箱買おう」
なんと、この薄汚い中年親父はマッチを買ってくれるというのです。
少女の今日初めてのお客さんです。
「まいどありがとうございます!」
ちょっとだけサービスをして、他の箱よりも重い、中身が多そうなマッチ箱を手渡してあげます。
「普段はマッチはやらないんだな。ま、これも年の瀬の善行ってやつだ」
男はそんな事をぬけぬけと言いながら、懐から財布
を取り出します。
そして少しだけ声を潜めながら、少女に問いました。
「いくらだ?」
「一箱10万円になります」
少女の告げる額に、男は驚いたように瞬きをしました。
「ほぅ。以外と安いな」
そしてくしゃくしゃになったお札を10枚抜き取り、少女へと手渡しました。
「年末の特価だって、親方が言ってました。ひぃふぅみぃ……。はい! 確かに!」
くしゃくしゃのお札を数え、にっこりと笑う少女。
その顔を見て満足したのか、男はいそいそとマッチを一本取り出します。
「へへっ。それじゃさっそく……」
そして男は何かを期待したような顔をしながら、マッチ棒を箱の側面に擦り付けて着火します。
しゅっ、という摩擦音と共に真っ赤な炎がつき、薄暗い裏路地をほんのりと照らしました。
ゆらゆらと揺れる炎を見つめ、さらに僅かに出てくる煙を鼻で吸い込む男を、少女はにこにことした顔で見ていました。
やがてマッチ棒が根本を残して燃え尽きると、男は棒を地面に落として足で踏みにじりました。
そして、大きく深呼吸。
整っているとは言えないその顔をだらしなく歪め、恍惚とした表情で呆けています。
「おぉ、クリスマスツリーだ。メリークリスマス。あ、七面鳥の丸焼きもあるぜ……あひっ」
とろんとした瞳、なにかを掴もうとするように伸ばされる両手。酒瓶は手放され、路地裏に酒臭い染みを作りました。
中年男のその幸せそうな顔を見て、少女もなんだか幸せな気分になります。
「どうですか? キクでしょう?」
「ひひっ。ああ、最高にハッピーだ」
そう、何を隠そう、少女は
寒風吹きすさぶ裏路地で健気にも、脛に傷を持つ者、ろくでなし共に一時の夢を売る、幸せの売人なのです。
「もう一本……いひひっ」
炎に熱されると化学反応を起こす、神経作用のある特殊な燐を吸い込む危ないお薬。
「あは、見ろよ! サンタクロースだぜ。俺にプレゼントを持ってきてくれた!」
子供のようにはしゃぐ中年男。
その楽しそうな様子を見ると、少女の心にじんわりと暖かさが広がります。
もう社会復帰は不可能かと思われる程に支離滅裂な事を呟いていた薄汚い中年男は、マッチの煙を吸ってしばらくはしゃいだ後、不意に正気を取り戻しました。
「ふぅ。こりゃ凄い。お嬢ちゃん、いいブツを売ってるな」
その顔はどこかすっきりとしており、雰囲気も丸くなったように感じます。
同じく神経に作用するお薬として代表的な、花と呼ばれる違法薬液に浸したハーブや、葉巻と呼ばれる乾燥薬物と違い、安全で、合法的な嗜好品なのです。
少女のような事情がある子供たちが、面倒を見てくれている人に言いつけられて売る手伝いをすることもある、優しいお薬なのです。
少女はいつだって、自分に仕事と生きる糧を与えてくれた親方に感謝をしています。
「本当ですか? ありがとうございます! でもお兄さん、用法容量を守って正しく使ってくださいね?」
「へっ、言われなくても分かってるよ、子供じゃねぇんだ」
そう言いながらも、中年男は一気に三本の
そして鼻といわず口といわず、合法燐化恍惚薬の成分を肺いっぱいに吸い込みます。
「あーあ。用法容量を守ってって言ったのに……」
基本は一回一本です。
依存も中毒もない
案の定、中年男は天を仰ぎながら、「りゅ、流星だ! 流星が見える! おかぁさぁん!」などと、訳のわからない事を叫びながら走り去って行きました。
「まいど、ありがとうございました」
少女はそんなお客さんを、ぺこりとお辞儀をして見送りました。
そろそろ夜も更けてきましたが、年の瀬と言うこともあり町の喧騒はおさまる様子がありません。
これからは、少女の商売のかきいれ時です。
夜が深まれば深まるほど、
裏路地から大通りへと歩きだしながら、少女はポケットから一箱の
そして一本を摘まみ出し、手慣れた動作で着火して、その煙を逃がさず吸い込みます。
「すぅ~。はぁぁ」
この
「あはっ。凄いぃ。世界がキラキラ光ってる!」
少女に見えるのは己の願望でしょうか。暖かそうな煉瓦造りの暖炉や、豪勢で美味しそうな料理、大きくきらびやかなクリスマスツリーなどが現れます。
「あぁ、お婆ちゃん……いひっ」
そして、いつも優しかった祖母の姿が見えました。
少女が何よりも嬉しいのは、
少女と同じく
まるで、がんばりなさいよ。と応援してもらったような気分です。
「ふぅ……」
神経作用が終わりを迎えると、少女は軽く笑みを浮かべマッチ箱を懐にしまいます。
全てに火をつけてしまうことはしません。お薬の売人は自分の商品を使い込まないように、はまりすぎない事が推奨されているからです。
少女がちょろまかした一箱は、用法容量を守って大事に楽しむと決めているのです。
「お婆ちゃん。私、がんばるね」
そう小さく呟き、少女は騒がしい大通りに出て声をあげます。
「マッチはいかがですか~。マッチはいかがですか~?」
その鈴の鳴るような声に釣られて、何人かのろくでなしが少女に向かって近づいてきます。
その様子は、小さな炎に集まる羽虫のようです。
少女は
世の中の人々に夢や希望、楽しさを提供する、素敵なお仕事を今日もがんばっています。
少女はマッチの売人 シン @Shinkspearl
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