行方不明の真実
別々の部屋で目覚めた翌朝。
ユウが起きてリビングに行くと、レナはもう出掛けた後で、いつものように朝食が用意されていた。
いつも通りの朝なのに、夕べのレナの言葉が、ユウの心をざわつかせる。
前に話してくれた言葉と、夕べのレナの言葉、どちらが本当なのだろう?
ユウはカップにコーヒーを注ぎ、テーブルの上の朝食を眺める。
(どっちがホントのレナ…?)
子供の頃から想い続けたレナは、ユウの前で穏やかに笑い、付き合い始めてからのレナは、いつも優しくレナを包んでくれた。
ユウの過去を知って傷付いても、今のユウがそばにいてくれたらそれでいいと言ってくれたレナが、初めてユウを責めた。
“私が誰とどこで何しても、ユウにはそれを責めることなんてできないでしょ?”
(あんなレナは初めてだった…。)
ユウを信じてるといつも言ってくれたはずなのに、夕べはケイトと一緒にいたんだと思った、とさらりと言った。
(知りたくもない過去を知って傷付くくらいなら、知らないで済む過去は知りたくない…。)
タクミに言われた言葉が脳裏をかすめる。
夕べのレナの言葉が本当だとしたら、自分はレナと再会して付き合い始めてからの1年間、ずっとレナの嘘に騙されていたことになる。
(疑ってもみなかったのに…今頃になって、それを言う必要はあったのか…?)
“ユウの知ってる私だけが、私のすべてじゃないよ。ユウならわかるでしょ?私にユウの知らない過去があっても…秘密にしても、嘘ついても…私は、私なの。嘘をついた私はもう、愛せない?ユウは、どっちの私を信じるの?”
レナの言葉が、何度も何度も頭を巡る。
(好きな人の過去を知ることが、こんなにつらいなんて…。)
再会してから、離れている間のいろんな話をした。
レナがどんな風に過ごしていたとか、どんな物が好きだとか…。
自分の知らないレナを知るのが嬉しくて、見たことのなかった表情をひとつ知るたびに、前よりもどんどんレナを好きになった。
怒った顔やすねた顔さえかわいくて、どうしようもなく愛しくてたまらなかった。
好きで好きで、どうしようもなくて、ずっと抱きしめていたいと思ってたはずなのに…。
(レナが…オレの知らない人になったみたいだ…。オレは、どうすればいいんだ…?)
仕事が休みだったレナは、ヒロと約束をしていたスタジオを訪れた。
`ALISON´の事務所のスタジオではなく、ヒロがよく使っているレコーディング設備のあるスタジオだった。
「おはよう。」
「おはようございます。」
夕べ泣き腫らした目を見られないように、レナは今朝起きてシャワーをした後、しばらく目元を冷やした。
かなり腫れがひいたと思ったのに、ヒロはレナの顔を見た途端、苦笑いを浮かべる。
「また泣いてたのか。」
「えっ…。」
「隠したってバレバレだって。」
「…ダディには、かなわないですね…。」
レナはうっすらと笑いを浮かべた。
ヒロはスタジオの頑丈な防音扉を閉めて、レナにイスに座るように促した。
「で、どうしたんだ?話してみな。」
ヒロは缶コーヒーをレナに手渡す。
「私…ユウに、嘘をつきました。」
「嘘?」
ヒロは怪訝な顔をする。
「ユウを不安にさせないためじゃなくて、傷付けるための嘘です…。付き合い始めた頃に、離れていた間の、ユウの知らない私の過去をすべて打ち明けていたのに、それが嘘だったって…有りもしないことを話して…どっちの私を信じるのって、言いました…。」
ヒロは黙って缶コーヒーを飲む。
「ユウは、自分の知られたくない過去は…私がなんにも知らないと思って隠そうとするくせに…私には自分の知らない私の過去を聞くから…知りたくもない相手の過去を知ってしまった時に、どれだけ傷付くのかを知って欲しくて…酷い嘘をついたんです…。」
「それで、レナの心は晴れたのか?」
レナは静かに首を横に振る。
「嘘をついたのは私なのに…ユウへの想いを自分で踏みにじってしまったようで、悲しくなりました…。」
「ユウを傷付けるつもりが、自分のことまで傷付けちまったか…。」
「ハイ…。」
レナの目から、ポトリと涙が落ちた。
「ずっと、自分に嘘をついてきたんだろ?ユウの何を知っても平気だって。自分で自分の傷口を広げて血を流して…。それでユウは?」
「わかりません…。でも…私のついた嘘を信じてると思います…。」
「バカだね、オマエは。これ以上傷付いてどうするんだよ。」
「ホントにバカだと思います…。もう、一人で不安になって泣くのはやめようって…ユウがその気なら、私も騙されたフリをして、嘘をつこうって…。嘘をつくのがこんなにつらいとは、思わなかった…。」
「やましいことがあるから、隠そうとするんだよな。ユウは、これ以上レナに知られたくないんだろ。レナのことが、好きで好きでしょうがないんだから…。言えないようなことをしてきたアイツのせいと言えばそれまでだけどな…それでもアイツはレナを失いたくないんだ。」
「そうでしょうか…。」
「そうじゃなければ、もっとうまく嘘をついてるだろ。好きだから隠したい。でも、嘘がつけない。そういうヤツなんだ、アイツは。」
ヒロはレナの頭を優しく撫でた。
「嘘に嘘を重ねても、傷付くのはレナだ。もうこれ以上、つまらない嘘はつくなよ。」
「ハイ…。」
その時、スタジオの重いドアが開き、タクミがやって来た。
「あーっ、オヤジがあーちゃん泣かせた!!」
「オレじゃねぇよ!!」
「じゃあ、やっぱり旦那の仕業ですか!!」
「しかいねぇだろ?」
「しょうがない旦那だな…。あーちゃん、そろそろ本気でオレのお嫁さんにならない?」
「いや…それは…。」
「オレはいつでも、あーちゃんを幸せにする覚悟はできてるよ?」
タクミがレナの顔を覗き込む。
「でも、私は…ユウが好きだから…。」
レナが小さな声で呟くと、タクミはため息をついた。
「なんでそんなにユウがいいかなぁ…。あーちゃんを幸せにしたい男なんて、まわりにいっぱいいるよ?」
「え?」
「気付いてないんだもんなぁ…。罪だなぁ。」
「え?え?」
「まぁいいや。オレはあーちゃんが幸せならそれが一番だから。まずは、優柔不断な旦那の目を覚まさせないと。ね、オヤジ。」
タクミがニヤリと笑う。
「そうだな…。強気なロンドン娘にも、ちょいとお灸を据えてやらんとな。」
ヒロも、ただならぬ気迫で笑顔を浮かべる。
(敵に回すと怖いコンビだな…。)
「かわいい娘を泣かせたら、ダディが黙ってないってところを見せてやろう。」
ヒロがレナの頭をポンポンと優しく叩く。
「ふふ…。優しいダディとお兄ちゃんがいてくれて良かった。」
「ちょっとは元気出たか?」
「ハイ。」
レナが微笑むと、ヒロとタクミも優しく微笑んだ。
「しかしあれだな…。このままタネ明かししちまうのもシャクだな。」
「え?」
「レナが、あれは嘘だったんだって言えば、この話はそれまでだけどな。それじゃあ、なんでレナがそんな嘘なんかつく必要があったのか、わかんねぇだろ?レナはユウに、同じ痛みを知ってもらいたかったんだよな?」
「まぁ…。」
「そんじゃあ、しばらくその嘘、つき通してみねぇか?」
「えっ…。」
「レナはいつも通り過ごすだけでいい。何事もなかったような顔して、普段通りの生活してればいいよ。ユウに向かって、当たり前に話したり笑ったりしてな。それだけでユウは戸惑うし悩むし迷うし、いろいろ考える。これまでどれくらいレナを不安にさせて、そのたびにどんな思いでレナが嘘を重ねてきたのか、ユウが自分で気付かないとなんにも解決しないんだよ。」
ヒロがニヤリと笑う。
「あー、なるほど。そういうことなんだ。」
タクミが納得したような顔で声を上げる。
「タクミくん、私の話聞いてないのに…ダディの言った言葉の意味がわかるの…?」
「んー、まぁだいたいなんとなく?」
(タクミくん、怖すぎる…。)
「オレはあーちゃんの味方だよ?」
「あ、ありがと…。」
ヒロがコーヒーを飲み干して、手を叩く。
「よし、じゃあやるか。」
「あーちゃんの歌、楽しみ。」
「いや…あの…あんまり期待しないで…。」
「って言うか、いつの間にかヒロさん、あーちゃんのことレナって呼び捨てだし。あーちゃんはヒロさんのことダディって呼んでるし。」
「いいだろう、オレとレナは仲良し父娘だ。」
「えー。じゃあやっぱり、あーちゃんはオレとラブラブの夫婦になろうよ。」
「えーと…。できれば兄と妹で…。」
「…そっか、弟の嫁だから義理の妹かぁ。義理の妹ならまだチャンスあるかな。」
(結局そこ?!)
「タクミ、ごちゃごちゃうるせぇ、さっさと始めるぞ。」
「ハーイ、父ちゃん。」
心強い二人に囲まれて、レナは心が温かくなるのを感じた。
(ヒロさんも、タクミくんも、優しいな…。)
夕方。
ユウがリビングで無造作にギターを弾きながらぼんやりしていると、玄関のドアが開いた。
(帰ってきた…。)
夕べのレナの様子を思い出し、ユウの胸はイヤな緊張感にしめつけられた。
リビングのドアが開き、レナが姿を現す。
「ただいま。」
「あ…おかえり。」
「今日、休みだったの?」
「いや…昼間に少しだけスタジオに行った。」
「そうなんだ。お腹空いた?」
「うん。」
「夕飯まで待てる?」
「あ…うん。」
レナはバッグを置いて、髪をひとつにまとめ、手を洗ってキッチンに立つ。
「ユウ、今日の夕飯、何か食べたい物ある?」
レナは笑ってユウに尋ねる。
「なんだろ…特にないな…。」
「それじゃあ、早くできるからハヤシライスでいい?」
「うん。」
「急いで作るね。」
ユウは、キッチンに立つレナの後ろ姿を、いぶかしげに見つめた。
(なんだこれ…?普通すぎて、逆にわけがわからないんだけど…。昨日の夜のレナって、一体何だったんだろう?)
レナはユウに背を向け、キッチンで米を研ぎながら、自分はユウの前で、いつも通りうまく笑えているかとドキドキしていた。
(ユウ、変に思ってないかな?)
夕べあれからユウと別の部屋に寝たきり、今朝は顔を合わせていないので、ユウが何を思っているのか心配していたけれど、レナはヒロに言われた通り、普段通りの自分を演じる。
(ユウ、どう思ってるだろう?気になる…。)
「ユウ、お待たせ。お腹空いたでしょ?」
レナはできあがった夕飯をテーブルに並べる。
ユウはヘッドホンをつけてギターを弾いていて、声をかけても振り返らない。
レナはユウの前に回り込み、顔を覗き込んだ。
「ユウ?ごはんできたよ?」
「あっ…。」
ユウが驚いて顔を上げた瞬間、ユウの顔を覗き込むレナと目が合った。
ユウは何も言わずレナの目をじっと見つめる。
「どうしたの?」
「…なんでもない。」
二人で席に着き食事を始めるとレナが呟いた。
「夕飯…一緒に食べるの、久し振りだね。」
「うん…久し振りだな。」
「一人で食べるより…おいしいね。」
「そうだな…。」
それから特にたいした会話もないまま、いつもより静かな夕飯は終わった。
夕食後、ユウはお風呂に浸かりながら、ぼんやりと考えていた。
(レナ、酔っ払って夕べのこと覚えてないのかな…。)
いつも通りのレナに違和感を感じる。
夕べのレナの言葉は本当なのか、嘘なのか。
(もし本当なら、嘘つかれてたのは確かにショックだけど…。レナに人並みに恋愛経験があったとしてもおかしくはないよな…。実際レナはモテるんだから、オレと付き合うまで、まったく誰とも経験がなかったって方が稀と言うか…奇跡と言うか…。)
学生時代、何人もの男たちに告白されては無表情で断っていたレナを思い出して、ユウは苦笑いした。
(告白したヤツらは秒殺でフラれて…告白もできなかったオレがレナと結婚して…。世の中って不思議だよなぁ…。)
自分の知らないレナが、誰と何をしてきたのかは知らない。
でも、自分のしてきたことを考えたら、レナを責める資格はない。
わかっているのに…胸の中がモヤモヤして、ざわざわとイヤな音をたてる。
(レナはオレだけのレナだって自惚れてた…。誰も知らないレナのすべてが、オレだけのものなんだって…。)
お風呂から上がったユウは、ソファーに座ってビールを飲みながら、昔の男といて懐かしさ以上の特別な感情が生まれたりはしないだろうかと考える。
(二人で飲みに行って、あんなに酔って帰ってきて…何もなかったのか?)
ユウは思わず、相川に抱かれるレナを想像してしまう。
(まさか…。)
タバコに火をつけ、煙を吐き出しながら、ユウは頭をかかえた。
レナは何も言わない。
もしかしたらと思うと、途端にユウの胸はイヤな音をたてる。
(レナが他の男と…。)
想像したくもない場面が頭に浮かんで、ユウは息苦しさに胸を掴む。
(オレだけのレナじゃなかったのか…。)
それから何事もなかったように数日が過ぎた。
`ALISON´のライブツアーの初日が迫り、ユウはスタジオでのリハーサルに通う。
その日はケイトとのコラボ曲を練習するためにケイトもスタジオを訪れた。
相変わらずユウにベッタリのケイトと、強引なケイトにされるがままになっているユウを、メンバーたちは呆れたように見ている。
(そろそろ本気でオレの出番…?)
タクミはユウとケイトを少し離れた場所から、冷ややかな目で見ながらニヤリと笑った。
スタジオでのリハーサル風景を取材しようと、レナと相川がスタジオを訪れた。
レナはいつものようにカメラを構え、黙々と仕事をこなす。
練習の合間に、当然のようにユウを見つめてピッタリと寄り添っているケイトを見ても、レナは眉ひとつ動かさない。
そんな様子を見て相川は怪訝な顔をしていた。
「レナ。」
「ん?」
撮ったばかりの画像を確認しているレナの隣に相川が座り、レナに缶コーヒーを差し出した。
「ずっと気になってたんだけどさ、あれ、オマエの旦那だよな?」
相川は背中越しにユウを親指でさす。
「うん、そう。」
「オマエ、それでいいわけ?」
「いいも何も…。」
「よく知らないオレでも、二人は単なる音楽仲間には見えないぞ。」
「うん…そうかもね。」
レナは缶コーヒーのタブを開け、静かにコーヒーを飲んだ。
「前に飲みに行った時…なんか様子がおかしいとは思ってたけど、原因はあれか?」
レナは曖昧に笑って、何も答えない。
相川はコーヒーを飲みながら、寂しげに笑みを浮かべるレナの横顔を見ている。
「そんなんでオマエは幸せなのか?」
「どうだろうね…。」
「どうだろうねって…。」
相川は、ケイトに抱きつかれ少し困った顔をしながらも、ケイトにされるがままになっているユウを見て、小さく呟く。
「あんなののどこがいいんだ…。」
「ん?」
「いや…なんでもない。」
相川はレナの頭をくしゃっと撫でて、真剣な目でレナの顔をまっすぐに見る。
「一人で背負い込むくらいなら、オレを頼れ。ヤケ酒くらい、いくらでも付き合う。」
「でも、身の安全は保証できないんでしょ?」
「そうだったな…。でも、レナが嫌がるようなことはしないつもりだぞ?それでもそうなった時は責任取ってやる。」
「何それ…。矛盾してる。」
レナは小さく笑って、ため息をついた。
そんなレナと相川の様子を、ユウはケイトをなだめながら見ていた。
(なんだあれ…。)
何度もかき消そうとした不安が、ユウの胸を覆う。
“懐かしさで勘違いするかもね。”
ケイトの言葉が、一瞬ユウの脳裏を掠めた。
(勘違い…?オレじゃなくて、レナが?)
取材を終えたレナと相川がスタジオを去ろうとした時、水野がやって来た。
「あっ、高梨先輩、お疲れ様です。」
「お疲れ様。水野くんも取材?」
「ハイ。先輩はもう終わりですか?」
「うん、もう出るとこ。」
「残念だな…。今度良かったら食事にでも行きましょうよ。」
「そうだね。」
水野とレナが会話しているところを、ユウが見ている。
(アイツも…レナと…。)
“過去の男たち”に囲まれて楽しげに話すレナを見て、ユウは唇をかみしめた。
(妬いてる妬いてる…。)
タクミはユウの様子を、笑いをこらえながら見ていた。
タクミは、先にスタジオを出た相川に続こうとしたレナの腕を掴んで呼び止め、いつもより距離を詰めてそばへ近付くと、わざとユウに見えるように、レナにボールペンを差し出した。
「あーちゃん、これ。」
「あっ、これ…。なくしたと思ってた。」
先日、ヒロとタクミとスタジオにいた時に、レナがタクミに貸した物だった。
タクミはわざとレナに返し忘れたフリをして、こっそりと持ち帰ったのだ。
「返すの忘れてオレが持ってた。ユウには渡せないから、あーちゃんに会ったら直接返そうと思って。」
「そっか…。そうだね。」
レナはタクミに差し出されたボールペンを受け取り、バッグにしまう。
タクミはレナの耳元に、くっつくくらい顔を近付け、笑いながら小声で囁く。
「旦那に内緒ってのもなかなかいいね。またスタジオで。」
「あっ、うん…。」
手を振ってレナを見送るタクミの後ろ姿を、ユウは呆然と見ていた。
(どういうことだ?なんだあの親密な感じ…オレの知らない場所で、レナはタクミと二人で会ってるのか?!)
タクミは何事もなかったようにスタジオに戻ってきて、茫然としているユウの姿を笑いをこらえて見ていた。
(驚いてるよ…。ユウのヤツ、まさかタクミとレナが?!って思ってる…。)
過去の男ではないタクミの登場に、ユウは混乱していた。
(タクミのヤツ…冗談じゃなかったのか?)
自分だけのレナだと思っていたのに、気がつけばレナの回りに、何人もの男の影がちらつく。
(レナ、一体何人の男と…?)
その日の夕方。
仕事を終えたレナは、タクミとヒロと一緒にこの間のスタジオにいた。
例の曲のレコーディングのためだ。
レナの透き通るような声に、ヒロは満足げに耳を傾ける。
「思った通り…いや、それ以上だな。」
「歌手になればいいのに。」
レコーディングブースの外では、ヒロとタクミがレナの歌声に惚れ惚れしている。
「オマエ、どう思う?」
「何がですか?」
「ユウのことだよ。」
「ああ…。相変わらずケイトに振り回されてますよ。はっきり突き放せばいいのに。」
「だよな。過去の負い目感じてるなら、突き放してやるべきだよな。本当に大事な女を傷付けてまで過去の女をいたわってなんになる?」
「自分はどっち付かずの態度を取っておいて、彼女のことを疑ってるんです、ユウは。」
「そんなの愛って呼べるのかねぇ…。」
ヒロはタバコに火をつけると、愛しげにレナを見つめた。
「娘の思う幸せにケチつける気はねぇんだがな…オレとしてはな、あの子が心から笑えるように、もっと幸せにしてやりたいわけよ。」
「ダディですもんね。」
「まあな。」
ブースの外でのそんな会話も露知らず、歌い終わったレナは、ブースの外のヒロとタクミの方を見た。
ヒロはマイクのスイッチをONにして、レナに声をかける。
「いいねぇ。オレの目に狂いはないな。」
レナは照れ臭そうに笑う。
「念のため、もうワンテイクだけ行っとくか。レナ、大丈夫か?」
レナがうなずくと、ヒロはレナを見て、優しく笑った。
曲が始まりレナが歌い始めると、ヒロはしみじみと呟く。
「ユウのヤツ…こんないい女、しっかり捕まえとかないと、後悔するぞ…。」
レコーディングを終えたレナは、ヒロとタクミに誘われ、バーに足を運んだ。
ユウのことが気になりながらも、敵に回すと怖い二人に笑顔で威嚇されると、断ることができなかった。
(遅くなるってメールだけでもしとこう…。)
レナはスマホを取り出しユウに短いメールを送った。
食事をしながら、レナはヒロに勧められたお酒を飲んだ。
ヒロのお気に入りの恐ろしくキツいジンライムを、レナはなんの疑いもなく飲み続ける。
2杯目のジンライムを飲み干した頃、レナはぼんやりとした目で頬杖をついた。
(なんか…ぐるぐるする…。)
「なんだ、もう酔ったのか?」
「ヒロさんのジンライム飲んだら、普通は1杯目の半分も飲まないうちに酔いますよ。」
タクミはレナを支えるように背中に腕を回す。
「そうか?」
「そうです。」
レナは頬杖をついて目を閉じた。
(ユウ…どうしてるかな…。)
“レナ、愛してる”と、 優しく笑うユウの顔を思い浮かべながら、レナは涙を流した。
「あーっ、またあーちゃん泣かせた!!」
「オレじゃねぇだろ?!」
レナは、ぐるぐる回る頭で、ポツリポツリと呟いた。
「過去なんて…知らなくてもいい…。今の…私だけが知ってるユウが…私の好きな…私だけのユウだから…。」
静かに涙を流すレナの頭を、ヒロは優しく撫でた。
「ユウは誰よりもレナを想ってる。ただ少し、優しさを履き違えてるだけだ。」
「ユウは…私には…特別、優しい…。」
そう呟くと、レナは頬杖をついたまま眠ってしまった。
ヒロは優しい目でレナを見ると、レナの頭を抱き寄せ、何度も頭を撫でた。
「レナはいい子だな…。」
眠りの中で、レナは優しく頭を撫でてくれるユウの姿を思い浮かべていた。
(嘘つきな私でも…ユウは愛してくれる…?)
灰皿の上には、何本もの吸い殻が積み上げられていた。
遅くなると短いメールをよこしただけで遅くなる理由も知らせず、レナはまだ帰ってこない。
ユウはイライラしながらタバコに火をつけ、灰皿の上で揉み消しては、また新しいタバコに火をつける。
(レナ、一体誰といるんだ?!)
夜中の12時を過ぎた頃、チャイムが鳴った。
こんな時間に…とユウはインターホンのドアモニターを見ると、慌てて玄関のドアを開けた。
タクミに抱えられるようにして帰宅したレナを見て、ユウは愕然とする。
「レナ!!」
タクミの手から奪うようにレナを抱き寄せ、ユウはタクミを睨み付ける。
「ごめん、飲ませ過ぎちゃった。」
「なんでオマエが…。」
「ん?一緒に飲んでたからね。」
「だからなんでオマエと…!!」
思わず声を荒げるユウに、タクミは人差し指を口元に当てて見せる。
「夜中だよ。そんな大声、近所迷惑。」
ユウはレナを抱き上げると、タクミに中に入るように促し、レナをベッドに寝かせた。
リビングでタクミの向かいに座ると、ユウは低く呟く。
「なんでレナと一緒にいた?」
「なんで、って…それは言う必要あるの?」
「あるだろ。レナはオレの妻なんだから。」
「ふーん…。夫は他の子と何してても、妻に言わなくていいのに?」
「……今はそんな話してないだろ。」
「そう?ユウもケイトと二人で飲みに行ったりしてんじゃん。一緒だろ。」
ユウはタクミの言葉に、唇をかみしめた。
「ケイトとは、何もない。」
「そう。でもそんなのどうでもいいや。」
「どういう意味だ?」
「オレはあーちゃんに、ちゃんと言ったよ?ユウより幸せにしてあげるから、オレのお嫁さんになりなよ、って。ユウ、そろそろ身を引いてくれないかな。」
「オマエ…!!」
ユウはタクミの胸ぐらを掴む。
「殴るの?いいよ。それで彼女をオレにくれるなら安いもんだよ。オレはあーちゃんの戸籍に×がついてようが、過去にユウにどれだけ抱かれてようが、全然気にしない。だから安心して別れていいよ。オレが幸せにするから。」
ユウは払い落とすように、タクミから手を離した。
「レナは絶対誰にも渡さない!!何があってもレナはオレのレナだ!!」
「ふーん…。妻を騙して、おまけに疑ってるくせに、よく言うよ。」
「なんだと…?」
「そんなんで彼女を幸せにできるの?」
「絶対に幸せにしてみせる。その役目だけは、オマエにも、誰にも譲らない。」
「へぇ…言い切ったね。」
「当たり前だ。」
「じゃあ、その言葉が嘘にならないように、愛想つかされないよう、せいぜい頑張ってよ。彼女を幸せにしたい男なんて、山ほどいるんだから。」
「えっ…。」
「まぁいいや。オレの言いたいことはそれだけだから。」
タクミは立ち上がるとさっさと玄関に向かって歩き出す。
「じゃあ、また明日。」
タクミがいなくなると、ユウはベッドで眠るレナを見つめた。
(レナは…オレだけのレナだよな…?)
ユウはレナの隣に横になり、レナの体を抱きしめる。
(他の男の所へなんか行くな…。オレだけだって…オレだけのレナだって、言ってくれ…。)
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