知らない過去

テレビ局に到着すると、レナはマネージャーから関係者のパスを受け取って首に下げ、メンバーとマネージャーと共に楽屋入りし、スタジオでのリハーサルを見学した。


(私の知らない世界…。)


たくさんのスタッフが行き来する中で、レナはマネージャーの後ろに付いて、静かにユウを見ていた。


(ユウって…芸能人なんだな…。)


リハーサルを終え一度楽屋に戻り、しばらくすると本番が始まる。


レナはスタジオのそでの目立たない場所で、マネージャーと一緒にその様子を見守った。


大勢の人気アイドルやミュージシャン、話題のバンドなどで賑わうスタジオは、とても華やかで、まるでテレビを見ているようだった。


(私の夫がいるのはこういう世界なんだ…。)


`ALISON´の出番になり、たくさんの声援を受けながらステージに立ってギターを弾くユウの姿を見つめていると、レナは、いつも一緒に暮らしているユウが、自分とは無縁の華やかな場所にいることが、少し不思議なような、遠く感じて寂しいような気持ちになった。


今朝ベッドで不安そうにレナを抱きしめ、ずっとこうしていたいと何度もキスを交わしていた人とは別人のように、ユウはステージの上で眩しいくらいに存在感を放つ。


(あんなユウは私だけが知ってるんだな…。)


他の誰も知らないユウは、自分だけのユウなんだと思うと少し嬉しいような、ユウの特別な存在であることが誇らしいような気がした。




本番を終えて楽屋に戻ると、レナはメンバーたちと一息ついた。


メンバーたちが着替えを済ませ、帰り支度をしていると、誰かが楽屋のドアをノックした。


返事をする間もなくドアが開き、髪の長い女性が楽屋の中に飛び込んで来て、ユウに駆け寄り抱きついた。


(えっ?!)


興奮気味に捲し立てるように、ユウに英語で話し掛けている。


「ユウ、会いたかった!!」


「えっ、ケイト?!なんでこんなところにいるんだ?」


ユウも英語でその女性と会話している。


(ケイト…?って言うか…誰?)


抱き合って再会を喜ぶ二人を、レナは呆然と見つめて立ち尽くす。


「おいケイト、オレたちもいるんだけど?」


「オレたちには挨拶もなしかよ!」


「相変わらずだな、ケイトは。」


リュウ、トモ、ハヤテが声をかけると、ケイトと呼ばれたその女性は、ユウに抱きついたままで他のメンバーたちの方を見た。


「あっ、みんなも久し振りー。元気だった?」


身動きもできないでいるレナに気付いたタクミが、ユウからケイトを引き離す。


「ケイト、いい加減離れたら?」


「だって、会いたかったんだもん!!」


ケイトはもう一度、嬉しそうにユウに抱きついた。


(何これ…。)


見てはいけないものを見てしまったような、この場に自分がいてはいけないような疎外感がレナを襲う。


(みんな知り合いみたいだけど…。ユウだけ特別な感じ…?)


「あっ…。」


呆然と無言で立ち尽くすレナにやっと気付いたユウが、ケイトをなだめて自分の体からケイトの腕をほどく。


「ビックリしたな…。なんでここに?」


「しばらく日本で活動するの。最近日本でも人気が出始めたから。」


「へぇ…。ソロになって頑張ってんだ。」


ユウとケイトが楽しそうに会話している。


「ユウ、そろそろ紹介してあげたら?」


タクミがレナの隣に立ち、静かに言うと、ユウはハッとして、少し気まずそうにレナを見る。


「誰?」


ケイトは、さして興味もなさげにレナの方をチラリと見た。


「ユウの奥さんだよ。」


タクミがそう言うと、ケイトは驚いた様子でユウを見た。


「奥さん?!」


「うん…オレの奥さん。」


「嘘でしょ?!」


「いや、ホント。」


ケイトはレナを値踏みするように、上から下までジーッと見つめた。


「ふぅん…。」


(何…?なんなの?)


明らかに敵意むき出しのケイトの視線に、レナはうろたえた。


「そんなことより、もう終わったんでしょ?私もさっきまで別のスタジオでの収録の仕事があったんだけど、楽屋でユウたちがテレビに映ってるの偶然見たの。生放送だからここにいるって聞いて飛んで来ちゃった。これからどこか、みんなで飲みに行こうよ。」


「オレはパス。」


タクミが素っ気なく返事をする。


「オレは…。」


ユウがチラリとレナを見る。


その時、レナのスマホのメール受信音が鳴った。


レナはメールを確認すると、バッグにスマホをしまいながらユウの方を見ずに言った。


「私、事務所に寄って帰るから…。ユウは行ってきたら?」


「え?でも…。」


「久し振りなんでしょ?私、帰ってやらなきゃいけない仕事があるから、気にしないで。じゃあね。」


レナはユウから目をそらしたままで作り笑いを浮かべると、メンバーに軽く頭を下げ、楽屋を出ようとした。


「あっ、オレ途中まで一緒に行く。」


タクミがレナの後を追う。


テレビ局の廊下を歩きながら、タクミはレナの横顔を窺い、静かに呟いた。


「あーちゃん、良かったの?」


「…何が?」


「ユウ、置いてきて。」


「私は…帰ってやらなきゃいけない仕事もあるし…。明日も仕事だから、遅くまでは付き合えないし…。」


「ユウと一緒に帰ればいいじゃん。」


「…久し振りみたいだし…すごく会いたかったみたいだし…付き合いも大事でしょ?」


「…無理することないのに。」


「え?」


「あの子が誰で、ユウとどういう関係とか、ホントはすごく気になってるんでしょ?」


「……気にならないって言えば嘘になるけど…知らない私がいるより、いない方がいいんじゃないかと思って…。」


「知らない私?」


「うん…。私、よく考えたら、離れてた10年間のユウを、何も知らないんだなって。知ってるのは、ヒロさんの元でみんなと一緒にロンドンで音楽をやってたってことぐらい。」


「そっか…。」


「それにほら…私たちは夫婦なんだし、ちゃんと私の元に帰ってきてくれるんだから…夫の過去をいちいち詮索するのもどうかなって。」


レナが少し寂しげに笑みを浮かべると、タクミが小さくため息をつく。


「遠慮なんかしなくていいじゃん。ユウとあーちゃんは、夫婦なんだから。」


「夫婦だからこそ、踏み込めない領域ってあるのかなって。これからずっと一緒にいるのに、相手の過去をこと細かに、根掘り葉掘り聞く訳にもいかないでしょ。」


「なんで?聞けばいいのに。少なくとも、相手とはなんでもないってことくらいは説明して欲しくない?」


「…そうだね…。何もなければね。」


「え?」


「知らなくていいことまで知って、私だけ傷付くのはつらいでしょ?特にユウは、私と離れてる間、いろいろあったみたいだから。」


レナの言葉に、タクミは眉を寄せる。


「それでもあーちゃんは、ユウといて幸せ?」


「…うん…。私だけが知ってるユウが、本当のユウだと思ってるから。」


「ふうん…。」


レナの寂しげな横顔を見ながら、タクミは黙り込んだ。


(本当は夫婦だからこそ、自分の知らない相手のことを、知りたいんじゃないのかな?)


テレビ局を出てタクミと別れ、レナはタクシーで事務所に向かい、明日の朝イチで必要な画像を探すためのデータを手に、再びタクシーに乗って帰宅した。




レナのことが気になりながらも、ユウはケイトとハヤテ、リュウ、トモと一緒にバーにやって来た。



飲み物と料理をオーダーすると、久し振りの再会に、グラスを合わせて乾杯した。


「ソロ活動、うまくいってんだな。」


トモがタバコに火をつけながらケイトに尋ねる。


「昔とは比べ物にならないくらいね。」


「バンド時代か?」


「そう。思いきってソロになって良かった。自分のやりたい音楽ができて、それがたくさんの人から評価された。こんな嬉しいことない。」


「なら良かったじゃん。」


5人は、ユウたちがロンドンを離れてからの1年間の、お互いの音楽活動の話をしながら、お酒を飲み、食事を楽しんだ。


「今度、私とみんなで、コラボしない?」


「コラボ?」


「うん。絶対楽しいよね。」


「日本語で?」


「日本語でも英語でも。両方でもいいよ。」


「まぁ、まずは事務所に相談だな。」


「みんなさえ良ければ、うちの方から事務所に話つけるけど。」


「タクミにも聞いてみないと。」


「あぁ、そうだったわね。それにしても、タクミってあんなだった?」


「あんな?」


「やけに素っ気なかったけど?前はもっとニコニコ愛想振り撒いて人懐っこかったでしょ。」


「そうだなぁ…。それは今もそうだけど。」


ユウはタバコに火をつけ、いつもと違うタクミの様子を思い返す。


(機嫌は…悪くなかったよな?)


タクミがレナと一緒に途中まで帰ると言って楽屋を出たことを思い出すと、ユウは一瞬顔をしかめた。


(まさか…タクミのやつ、レナになんにもしてねぇだろうな?)



1年前、二人が付き合う手助けをしたタクミだが、時々レナに、ユウより自分を選んでとさらっと言う。


他の人が誰も呼ばない“あーちゃん”と言う呼び名でレナを呼び、いつの間にか連絡先まで交換していたり、レナもタクミのことだけは“タクミくん”と、くん付けで呼んで、他のメンバーに比べると二人はやけに親しげに話す。


ユウに対してもタクミは、ユウと自分のどちらか選ぶのはレナだとか、ユウに飽きたら自分が待ってると伝えろとか、どこまでが冗談で、どこからが本気なのか、タクミの考えていることは、よくわからない。


(まさかな…。オレが事故に遭った時も、真っ先にレナに連絡してくれたのはタクミだし…レナがニューヨークに行った後に心配して来てくれたり…オレたちが付き合う時も、結婚するときにも、いろいろ協力してくれたし…。)



ぼんやりとビールを飲んでいるユウを見て、ケイトが声をかける。


「どうしたの、ユウ?」


「あ、なんでもない。」


「なんだ?またハニーのことでも考えてんのか?」


「違うけど…リュウ、そのハニーっての、恥ずかしいからやめろ…。」


「恥ずかしいから言ってんじゃん。」


「なんだそれ…。」


ユウは照れ隠しにグラスのビールを飲み干した。


「ユウ、本当にさっきの子と結婚したの?」


「あぁ、うん。そうだよ。」


「なんで?」


「なんでって…。」


ケイトの唐突な質問にユウは驚き、顔を真っ赤にした。


(そんなの、好きだからに決まってる…。)


「結婚するほど好きだったの?」


「そりゃまぁ…そうでなかったら結婚なんかしないよ。」


「ふぅん…。」


「ユウは彼女のことが、好きで好きでしょうがないんだよ。」


トモがバーボンを飲みながら笑う。


「ユウと奥さん、幼なじみなんだ。」


ハヤテがナッツを指でつまみながら、ケイトの方を見る。


「幼なじみ?」


「うん。」


「ガキの頃から、ずっと好きだったんだと。」


リュウがそう言うと、ケイトが眉を寄せる。


「ずっと?そうなの、ユウ?」


「あぁ…うん。」


「そんなの聞いたことない。」


「ロンドンに行く前まではずっと一緒にいたけど…ロンドンにいる間は、1度も会ったり連絡取ったりしてなかったから。」


「じゃあどうして、あの子と結婚したの?」


(ケイト、随分食い下がるな…。)


「日本に戻ってしばらくしてから、偶然再会したんだ。それからまぁ…いろいろあって。」


「いろいろって何?」


「付き合い始めたりとか…いろいろ。」


ユウの大雑把な説明に、ケイトは不満そうにしている。


「もういいだろ、ケイト。」


トモがタバコを灰皿の上で揉み消しながら、半ば呆れ気味にケイトをたしなめた。


「今のユウには大事な嫁さんがいる。それが現実だし、ロンドンにいた頃のユウとは違うってことだ。オマエもガキじゃねぇんだから、その辺わかってやれ。」


ケイトは不服そうに頬を膨らませる。


「だって、せっかく会えたのに…。」


「だってじゃねぇぞ、ケイト。オマエらが仲良くしてたのはオレらも知ってるけどな、間違ってもユウたちの邪魔なんかすんなよ。」


リュウもケイトに釘をさす。


「ユウたちはお互いを想い合って結婚してるんだし。幸せな二人の邪魔しちゃいけないよ、ケイト。」


最年長のハヤテが、お兄さんのように優しくケイトをたしなめると、ケイトはまだ少し膨れっ面のまま、ため息をついた。


「みんなにそんなふうに言われたら、私が悪者みたいじゃない…。」



レナは帰宅して入浴を済ませると、ビールを飲みながら、自分の部屋で仕事を始めた。


ノートパソコンに向かい、必要な写真のデータを探しながらも、ユウとケイトが抱き合って再会を喜ぶ姿が脳裏に焼き付いて離れない。


レナはモヤモヤした気持ちをなんとか抑えながら、黙々と仕事をこなした。



翌朝必要なデータをすべて、新しいファイルに保存し終わると、レナはノートパソコンを閉じてため息をついた。


(はぁ…終わった…。)


時計を見ると、もう日付はとっくに変わって、間もなく1時になろうとしている。


(ユウ、まだ帰ってこない…。)



ユウが女の子とあんなに親しげに話す姿は初めて見た。


子供の頃からの親友のマユのことでさえ、いまだに旧姓で“佐伯”と呼んで、友達同士のスキンシップでも、体に触れたりしたところを見たことがない。



(私が知らないところで…いろんな女の子との付き合いがあったんだろうな…。)


レナは少し沈む気持ちでビールを飲み干した。


(ユウは私の夫だし、私はユウの妻だよ?昔はどうであれ…私は今のユウを信じてる…。こんなこと…過去なんていちいち詮索してなんになるの…?)


自分はユウの妻なんだから、ユウの特別な存在なんだからと自分に言い聞かせ、レナは静かに目を閉じた。


(知らなくてもいい過去なんて…もうこれ以上知らない方がいいに決まってる…。)


ユウが他の女の子とどうしていたとか、何をしたとか、今更知りたくもない。


その時のユウが、どんなにレナを想っていたとしても、間違いなくユウは、レナではない他の誰かを抱いていたことに変わりはない。


(私には…やっぱりわからない…。)



レナはベッドに突っ伏して、嫌な音を立ててざわつく胸を両手で押さえた。


(私といる時のユウだけが、私のユウであれば…それでいい…。)


いつしか眠りに誘われたレナの頬を、滑り落ちたいくつもの涙が濡らした。




深夜の2時を過ぎた頃、ユウが帰宅した。


(また遅くなっちゃったな…。)


真っ暗なリビングに、レナの部屋のドアの隙間から、うっすらと明かりが漏れている。


(あれ…?レナ、まだ仕事してるのかな?)


そっとレナの部屋のドアをノックしても返事がないので、ユウは静かにドアを開けた。


レナはベッドに突っ伏して座ったまま、すやすやと寝息を立てている。


テーブルの上には、ビールの空き缶が3つ。


(レナが一人でこんなに飲むなんて珍しいな…。)


「レナ…。」


ユウは眠っているレナに小さく呼び掛けながら寝顔を覗き込んで、その頬にうっすらと、涙の跡が残っていることに気付いた。


(涙の跡…?レナ…泣いてたのか…?)


レナは何も言わないけど、本当はいろんなことを気にしているのかも知れない。


ユウの知らないところで、一人涙を流しているレナを思うと、ユウの胸はギリギリと音を立てて痛んだ。


(またオレ、レナを悲しませてるのか…?もう泣かせないって思ってたのに…レナはオレのいない場所で、一人で泣いてる…。)


眠るレナの細い肩を抱き寄せ、ユウは呟いた。


「ごめん…レナ…。オレ、全然ダメだ…。」


「ん……ユウ…?」


すぐそばにユウの温もりを感じて、レナはゆっくりと目を開く。


「ユウ…おかえりなさい…。」


レナは子供のように寝ぼけまなこのまま、笑みを浮かべた。


そして、ギュッとユウの胸にしがみつく。


そんなレナがいじらしくて、たまらなく愛しくて、ユウはたまらず強く抱きしめた。


「…ただいま…。」


ユウの“ただいま”の言葉を聞くと、レナは微笑んで、安心しきったように、また寝息を立て始めた。


涙が込み上げそうになるのをこらえながら、ユウはただレナを抱きしめる。


「レナ…愛してる…。」


心の中で何度も“愛してる”の言葉を繰り返しながら、ユウはしばらくの間、眠るレナをただ抱きしめていた。




翌朝、レナはユウの腕の中で目を覚ました。


夕べユウは、レナを抱きしめたまま眠ってしまったのだ。


(あれ…ユウ?)


ブランケットでくるんだレナの体を、長い腕でしっかりと優しく抱きしめるユウ。


(私にだけ…優しい…。)


レナはユウの寝顔を見つめて、広い胸に頬をうずめる。


(これが…私だけのユウなんだよね…。)


「ユウ…大好き…。」


ユウの胸にしがみついて小さく呟いたレナの体を抱きしめるユウの腕に、ギュッと力がこもった。


「オレも…レナが大好き…。」


「ユウ…。」


レナの顔を見つめて、ユウは微笑む。


「おはよ。」


「おはよ…。」


「夕べ…ごめんな…。」


「…うん。」


それ以上何も言えなくて、しばらく二人は、ただ黙って抱きしめ合っていた。


「ユウ…寒くなかった?」


「…少し冷えたかも…。」


「じゃあ…ハイ。」


レナがブランケットを広げて、ユウの体を包むように抱きしめる。


「一緒にこうしてると、あったかいね。」


「うん…あったかい。」


ユウはレナの胸に顔をうずめる。


「レナ…。」


「ん?」


ユウはレナの胸に顔をうずめたまま、静かに尋ねる。


「何も、聞かないの?」


「……うん。」


レナは小さく呟いた。


「今のユウが…ここにいてくれたら…それだけでいい…。」


ユウは何も言わずに、レナの唇にキスをした。


ただ唇を触れ合わせるだけの長いキスの後、ユウはレナを抱きしめた。


「オレは…どこへも行かないよ…。」


「うん…。」


お互いに言葉にしない分だけ、ただ相手の温もりを確かめるように、静かに抱きしめ合った。





数日後。


ライブツアーの密着取材の打ち合わせのため、レナは`ALISON´の事務所を訪れた。


会議室で、メンバーやスタッフ、相川と共にテーブルを囲む。


「今回の取材で、三浦さんに代わって記事を書かせてもらいます、相川達朗です。はじめまして。」


「あぁ、編集長さんオメデタなんだってね。」


「ハイ。妊娠を機に別の雑誌に異動になったそうです。」


自己紹介を簡単に済ませると、打ち合わせは滞りなく進んだ。


「今日は別の仕事で出席していませんが、今回のツアーでイギリスの女性ボーカリストのケイトとコラボレーションする企画があります。」


(ケイトって…。)


数日前にテレビ局の楽屋でユウに抱き付いていた、あのケイトと言う女性のことだとレナは気付く。


「今回のコラボレーション企画は、ロンドンにいた頃からの音楽仲間でもある彼女が、しばらく日本で音楽活動をするので、是非`ALISON´と一緒にと言う彼女たっての希望で…。」


スタッフのチーフの説明を聞きながら、レナはぼんやりと考える。


(イギリスの歌手で、ロンドンにいた頃からのみんなの音楽仲間…。でも、ユウにだけは…特別会いたかったんだよね…。)


レナはハッとして、雑念を振り払うように、真剣に説明に耳を傾けた。



ケイトは彼らとのツアーに同行し、コラボ曲を一緒のステージで歌う。


現在は曲作りが急ピッチで進められていて、準備が整い次第レコーディングに入ると言う。


それからCDが発売になると、テレビ番組の出演や雑誌の取材など、しばらくは彼らと音楽活動を共にする。



(随分急な話…。)


彼女と再会してからの数日で、そこまで話が進んでいることに、レナは驚いた。


(ユウ…また忙しくなるんだな…。)


仕事だから仕方ないとわかってはいても、あのケイトと言う女性が一緒だと言うことが、レナの心をざわつかせる。


(私は…ユウを、信じてる…。)


レナはケイトから向けられた敵意むき出しの視線を思い出しながらも、自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟いた。




「レナ、お疲れ。」


打ち合わせを終えると、相川が笑顔でレナに話しかけた。


「あ…相川くん、お疲れ様。」


「一緒に昼飯でもどう?」


「私、この後まだ別の撮影の仕事があって、ちょっと急ぐの。」


「そうか。じゃあ、またの機会に。」


「うん。」


レナは荷物をまとめて立ち上がると、チラリとユウを見る。


ユウは、レナと相川の会話を聞いて、呆然としていた。


(今、コイツ…レナって呼んだ…。レナも、相川くん、って…。やけに親しげだけど…。)


「ユウ、どうしたの?」


レナに尋ねられて、ユウはハッとした。


「いや…。これからまた撮影?」


「うん。行ってくるね。」


「あぁ、うん。頑張って。」


レナは小さく手を振って、会議室を出ようとした。


「レナ、オレもそこまで一緒に行くよ。」


「あ、うん。」


レナと相川が二人で会議室を後にすると、その様子をそばで見ていたタクミが、ユウのそばに来て小さく呟く。


「レナ、相川くん、だって。あの二人、随分親しげだね。」


「……なんだよ。」


「気になるくせに。」


タクミは小さく笑いを浮かべる。


「それでも、ユウはユウで言えないことがあるから聞けないとか?」


タクミの言葉に、ユウは言葉を失った。


「そんなんで、この先大丈夫なの?夫婦として。」


タクミは言いたいことだけ言うと、さっさと会議室を出て行った。




(痛いとこつかれた…。)


ユウはあれから結局、レナにはケイトと自分の関係を何も話さなかったし、レナもそれを聞こうとはしなかった。


(言えないことがあるから聞けない、か…。)



ロンドンにいた頃、ユウたちはまだひとつのバンドと言う形ではなく、ヒロや、ヒロと親交のあるミュージシャンたちのバックについて演奏したり、他のバンドのヘルプに入ったりしていた。


ケイトとはユウがヘルプに入ったバンドで知り合い、歳が近いこともあって、ユウを慕ってくるケイトとはすぐに仲良くなった。


バンド活動だけでなくプライベートでも頻繁に会い、付き合っていたわけではないけれど、それと同じぐらいの関係だった。


お酒の勢いに任せて、何度かベッドを共にしたこともあったが、ただそれだけで、音楽活動を優先して、恋人と言う形にはならなかった。



(そんなこと…レナには言えない…。)


一度だけならともかく、ケイトとはそれ以上の関係だったと、ユウも自覚はしているし、メンバーたちも薄々は感づいているのだろう。


まさか日本に戻ってまで、会うことになるとは思ってもいなかったケイトと、しばらくの間、音楽活動を共にする。


自分の気持ちはレナにしかないと断言しても、レナにとっては不安の種でしかないだろう。


(知らなくてもいいことを、いちいち知らせて不安にさせることもないか…。)


レナの知らない自分の過去は打ち明けもしないで、自分の知らないレナの過去を詮索するのはフェアじゃない、とユウは思う。


だけど、やけに親しげに話すレナと相川を見たユウの中に、自分の知らないレナがいることへの不安がうまれた。


(オレ、勝手過ぎる…。)



“今のユウがここにいてくれたら、それだけでいい。”



レナの寂しげな呟きが、ユウの脳裏をよぎる。


(今の自分たちが幸せなら…相手の知らないことは知らないままで、知らん顔してやり過ごしてしまえば…お互いに傷付くことは、ないのかな…?)


ユウは、レナの知らない自分の過去を、レナに知らせることはしないでおこうと思った。


(もう、レナを不安にさせて、一人で泣かせる必要なんてない…。)



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