コマドリのはなし

 一通の手紙が、撫子の元へ届いたのは夜が涼しくなり始めるころだった。手紙は、寄宿舎の部屋の扉まで届けられ、扉の脇につけられた木箱の中に入れられる。彼女はそれに、就寝するために戻った際に気がついたのだった。

 青みがかった白い封筒には、差出人の名前はなく、蔦の柄のような透かし模様が入っていた。それは、彼女の母が好んで使用するもの。

 部屋に入り、窓際の椅子に腰掛ける。狭い部屋には寝台とちいさな本棚、机と椅子でいっぱいになる。木製のそれらの家具を、撫子は丁寧に扱う。

 手紙には、田舎に戻ることになったこと、そのため、撫子も女学校から卒業扱いとなることが記載されていた。

「かえる・・・・・・」

 それは、少女にとって望んでいたことでもあったし、親友との必ず帰るという約束が果たせることは嬉しくもあった。しかし、ここでの生活の中で大切なものもできてしまった。コマドリになる日が来ると、少女は思ってもみなかった。卒業の日までここに居るのだとおもっていた。

「はなぶささま……」

 コマドリとなる撫子のことを、英はさびしいと僅かでもおもってくれるだろうか。いっとう最初に、撫子は英のことをおもった。

 母からの手紙を胸に掻き抱き、撫子は少しだけ泣いた。過去と未来のために。でも、少女はその決まってしまったことを覆すことはできないことを知っていた。


「はなぶさ、さま」

 意を決したような面持ちをした撫子が、英に声をかけた。授業も終わった、談話室でのこと。朝から、英の方をちらりと見やり、ため息をついていた様子に気がつかないわけにはいかなかった英は、少々うんざりしながらも微笑んだ。

「なあに?」

「わたし、田舎に帰ることになりました」

 震えるゆびさきを隠すように、そっと握り締め、撫子は消えるような声で告げる。その言葉は、冷たく英の元へ届いた。

 この女学校から出て行くこと、コマドリになること。再び、置いていかれるのね、と英は溢れるものを拒むようにゆっくりとまばたきをした。

「とても、ざんねんだわ」

 噛みしめるように、ゆっくりと紡がれる言葉たちがふたりのあいだに降り積もる。撫子も英も、もう何も伝える言葉を持たなかった。


 撫子が女学校を出て行く日、ふたりは初めて出会った図書室で、寄り添い合うようにして本を読んだ。英も、何も言わなかったし、撫子もまた静かに隣に座る時間に浸っていた。女学校を立つ時間はもう少しで迫っていた。

「はなぶささまと初めて会ったとき、泣いているのかとおもいました。同じような表情で泣く、友人の姿と重なったんです」

 ふいに、撫子は英に話しておかなければいけないような心持ちになった。ぽつぽつと語り始めたのは、初めて出会った頃のはなし。英は寄り添うその肩に頭を乗せると、瞳を閉じた。そして、撫子の小鳥のようなその声に耳をすます。

「辛いことがあったときには、その友人に手紙を書いていました。彼女なら、わたしの悩みなんて笑って吹き飛ばしてくれそうだから」

 撫子の肩にちょこんと乗ったその重みが、温もりが、心地よかった。

「泣いていたの、あの日。わたくしの大切なひとをおもって。とても仲の良かった彼女も、わたくしを置いていってしまった。あなたに出会ったのは、その頃。撫子と告げるあなたに、泣かないでと言われた時、妹にするならあなたが良いとおもった」

 一度も話したことのない、英の気持ちを撫子は少しの寂しさを伴いながら聞いていた。

「わたくしのことを、あなたはあの子から聞いたのでしょう」

 顔を上げた英は、撫子の目を覗き込む。何もかもを見透かしているような目をして。

「彼女もまた、わたくしをここに閉じこめて居なくなってしまった。大切なものは、すぐに離れてしまうのね」

 悲しくてさびしいけれど、と付け加えた英の声は諦めを知っていた。

「さようならを言わないことにしたの。また会いましょう」

 また、と告げる時が来ないこと少女たちは気が付いている。英は終ぞこないと知りながら、永遠の今を望んでいた。

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