第3話
講義を終えて荷物をまとめていると、「青島さん」と声をかけられた。レモン色の眼鏡をかけた女性がすこし離れたところに立っている。同じゼミの先輩だ。名前は思いだせないけど間違いない。
「はい」、と返事をすると、彼女は面倒くさそうに告げる。
「
「はあ」
「伝えたからね、じゃあ」
先輩は予定でもあるのか腕時計を何度も見、つかつかと去って行った。かと思ったら、もう一度戻って来て、「あのイケメンくん、ほんとうにあなたの知り合いなの?」と尋ねた。
余計な一言には間違いなかったけれども、私はそれでようやく知り合いの正体が分かった。玉置くんだ。しかも何故か、八巻先輩と出くわしている。何がどうなっているんだろう。
「ま、いいわ。じゃあね」
先輩は何も答えない私に愛想を尽かし、すたすたと去って行く。それを見てはっとした私は手早く片付けを済まし、指定されたD研へ急いだ。先輩たちが勝手に付けた部屋のあだ名だ。何でもデッド・エンドのDから来ているらしい。ナホミ准教授が教授になり損ねて何年も経つから、という理由らしかった。
私は昼食を取りに向かう生徒を尻目にD研のある棟に急ぎ、途中の階段で運動不足がたたり、息切れを起こしながら研究室の前に到着した。
「入ります」と一声をかけて、研究室の扉を開ける。
中は
と、死角になる位置に陣取る白衣を着た男の人と少し離れた位置で暇を持て余している顔をした玉置くんを見つけた。
玉置くんは私に気が付き片手を挙げて、「やあ青島」とフランクに声をかけてくる。
「ええと……」
状況に困惑した声を上げると玉置くんがやれやれと言いたげに説明を始めた。
「きみの描いてくれた地図のお蔭で大学までは迷子にならずに済んだ。だけど、そこから先はきみも俺も読めない。早めに到着してしまったものだから、校門前の池を泳ぐ鳥を眺めていたのさ。そうしたら大学から出て来た女の子たちに遊びに誘われた」
「はあ」
「きみとの用件の方が大切だから丁重にお断りしたんだけど、なかなか離してくれなくて。困っていたら、そこの彼が助けてくれた」
「八巻先輩が」
そこで白衣を着た男の人――もとい、同じゼミで二歳年上に当たる八巻先輩はずっと覗き込んでいた顕微鏡から顔を上げた。
「一応、断っておくがな。助けたじゃなくて飲み物を買おうとしてたら、そいつと女子が邪魔で買えなかったから散らしただけだ」
「そう。で、彼が作ってくれた僅かな隙の間に俺も考えたんだ。何かしらのアクションを起こさないと、また囲まれそうだって。だから彼にきみのことを知らないか、と聞いてみた」
「何でまた」
「まあ、知らなくても良かったんだよ。要は大学の中に入りたかったのと彼女たちから離れたかっただけで」
何人に囲まれたかは知らないが、そんな調子で彼は大丈夫なんだろうか。もし依頼人の探し人であれば、これから一日ずうっとべたべたと熱っぽく過ごさなきゃいけない筈なんだけども。
「ところが、俺はお前を知ってたからついでにこっちに連れて来て、今から帰ろうとしていた
あ、あの先輩の名前は萩さんか。
「どうせお前のことだから、あいつの名前も一致しなかったろうけど」
先輩の推察に舌を巻きつつ、「ご明察です」と返す。
「だろうな。で、このイケメンは誰だよ?」
「さっきも名乗ったはずなんだが」
「名前じゃなくて、どういう間柄だって聞いてるの俺は」
「知り合いです、一応」
「知り合ィ?」
語尾を間延びさせ、八巻先輩は私と玉置くんを見比べて溜め息をついた。
「嘘もほどほどにしとけ、冗談キッツイんだよ」
「なかなか鋭いな、八巻くん」
「うっせぇ」
「だが、一つだけ言わせて貰おう。俺の容姿がいくら整っているからと言って、知り合いとしても釣りあっていないかという点については早合点だ。青島の知り合いでも、俺のようなイケメンはいてもいい」
「玉置くんはちょっと黙って下さい」
「オーケー」
眩暈がしてきた。どこぞの記憶喪失のイケメンのせいだ。私が額を抑えていると八巻先輩が隣にやって来る。鋭い鷹のような目に私は自然と俯く。
先輩はそれをあえて無視し、「実際のところ、どうなんだよ」とひそひそ話を始める。
「実際のところというと」
「だーかーら、知り合いは嘘だって言うんだったら、あのイケメンはなんだって聞いてるんだって」
私はしばし考え、「准教授のアルバイトでちょっと」と答えを濁した。
八巻先輩は私の回答を聞き、うんざりした顔で、「ろくでもない」とだけ言った。そうして念を押すかのように、「彼氏じゃねぇの?」と尋ねられる。
彼氏、玉置くんが彼氏か。昨日から今日に至る彼の言動を振り返り、私はないなと首を横に振った。
「世間一般の女子とは、どうも趣味嗜好が離れているみたいで」
「その割には仲良さそうに見える」
「合わせないで助かりますから」
そう答えると、先輩はむすりとした顔になった。
「どうかしましたか」
「俺は合わせろ、って言った試しはない」
「……、そうですね?」
「そうだよ」
先輩が言わんとしているところが分からず、疑問符を出していると横から助け舟がやって来た。
「なあ、八巻くん」
玉置くんが妙に親し気に八巻先輩を呼ぶ。見れば、彼は先輩がずっと見ていた顕微鏡を自分も覗き込んでいる。
「何してんだ、イケメン」
「イケメンと呼ばれて否定はしないが、呼んでくれるのなら玉置と呼んでくれ」
「さぶいぼが立ちそうだから没」
「青島、きみの知り合いはつれない人ばかりだな」
私を間に挟まないで欲しい。黙秘していると、玉置くんは八巻先輩に視線を寄越し、顕微鏡を指さした。
「これには、今何が?」
「海の微生物だよ。今朝海に行って、水を取って来た」
「海か。へえ」
玉置くんは感動した声を出して、「興味深いな」という。
「大学生じゃないのか」と八巻先輩が怪訝そうにいう。
「さあ」
「さあ、って」
先輩は私に説明しろと言わんばかりだ。私はげんなりしながら、「記憶喪失だそうです」と補足する。
「記憶喪失ぅ!?」
「その反応は二回目だが、なかなかいい反応だな。八巻くん」
「待て、整理させろ」
「どうぞ」
どうして記憶喪失の人間の方がこうも余裕しゃくしゃくとした表情なんだろうか。世の中は不思議だ。
「玉置は記憶喪失で、青島が准教授に頼まれたアルバイトで何か必要なのがお前ってこと?」
「その認識でおおむね間違いない」
「へぇ」
愛想のない返事を先輩は投げ返し、何処からか取り出したのか缶コーヒーのプルタブを開け、口をつけようとして眉間に皺を寄せた。
「いや、待て。その前に玉置、お前さ病院か警察に行ったのか?」
「青島とももうこのやり取りはしたはずなんだが、どうしてそう警察や病院を過信するんだ?」
「はあ?」
「まあ、聞いてくれ八巻くん。記憶がなくとも、俺にこれといった支障はない。あえて今困っていることをあげるとするなら、金欠だということと、寝泊まりする場所がないということだ。が、まあ俺が依頼人の探し人であるのなら、諸々が解決する予定だ。とはいえ、見ず知らずの人間を心配してくれたきみはいい人だ。ありがとう」
先輩はぽかんと口を開けたまま硬直した。その隣で、玉置くんと路地裏で出会った時に取ったリアクションは間違いじゃなかったんだなと思った。
「あー、くそ。眩暈がしてきた」
「先輩、慣れですよ。慣れが必要です」
「あれに慣れろってか? 馬鹿言えよ。あいつを相手するなら爺婆の面倒見る方がまだ楽だ」
「酷い言われようだ」
「他人事みたいに言ってますけど、玉置くんのことですよ」
「人は誰しも美点と欠点が存在するものだ、青島」
「そうですか」
話が収束しそうだ。部屋の中に飾ってある時計を見ると出かけるにはいい時間帯だった。そろそろ依頼人のところへ行かなくてはいけない。
「そういえば青島」
「あ、はい」
「お前まだ時間に余裕があるんならUSBを探せないか」
「USB……、ですか」
「そう。今日の三時までに提出しなきゃいけない課題をUSBに保存してたんだよ。内容は出来て、後は提出だけってところだったのに、昨日から見当たらねえ」
「紛失か?」
「USBに足が生えてんならの話だけどな」
「と仰ると」
先輩は長い溜息を吐いた。
「昨日、ここで最後のチェックしてたんだよ。で、トイレに行った間に消えた。以上」
「ああ……」
「どういうことだ?」
首を捻る玉置くんに私は顔を上げて、説明をする。
「頻繁に起こるんですよ、この研究室」
「盗難が?」
「オブラートに包めよ……」
「包んだからと言って、どうこうなるものじゃないじゃないか。それに盗難は盗難だ」
「くそ、言い返せねえ」
「USBって、どういうやつなんでしょう」
尋ねると、先輩は備品のホワイトボードに簡易なUSBを描いた。
「で、ここにキーホルダーも付いてる」
「キーホルダー」
「俺がガキの頃に放送していた戦隊もののキーホルダーな。キーホルダー自体の大きさも大きいし、USBもキーホルダーも赤色なんだよ」
「それは目立ちますね」
「だろ? だから床に落ちてた、とかそんなオチはないはずだ」
「……、今日中に見つからないと厳しいですよね」
「そこはな……。一応徹夜漬けで元のを思い出して作っている途中だが、正直がたがただ」
八巻先輩には入学して、ゼミに入ってからお世話になっている人だ。住んでいるアパートの冷蔵庫も先輩から譲り受けたものだし、胡藍を紹介してくれたのも先輩だ。時には、「食え」と一言。ご飯をくれる。
入学当初に起きた盗難事件の際に、唯一信用してくれたのも先輩だ。役に立ちたい気持ちはある。
けれどもそこに兄さんの姿がないかといえばそれは嘘だ。いつもそう。何かを探そうとする時は、首を吊った兄さんが私の脳裏に現れる。そんな兄さんに私は額を擦りつけ謝って許しを聞かないまま、これが最後だからと言い聞かせて探す。
それが今までの私だ。けれども昨日、玉置くんが言っていたように環兄さんの墓を訪れて、手を合わせることで許される機会が出来るのならば、私は今度こそ間違えず探すことで困った人の役に立って行きたい。
「青島」
それは、鶴の一声なのか。それとも、悪魔のささやきなのか。
「探し出せるかは自信がないので、八巻先輩は別のを作っていて貰えますか」
「それはいいけど、この中はだいたい探したぞ」
「一応、です」
「俺も手伝おう」
玉置くんが軽い足取りで隣にやって来る。「ちょっと待って下さい」と私は言って、頭の中に情報を入れ込む。
USBメモリー。赤くて、キーホルダーが付いている。昨日からない。D研にはないのか。
それらの情報が脳内でぐるぐると掻き混ぜられ、答えを探して視線が泳ぐ。私の意識の外で足が動いた。足は吸い寄せられるように、ビーカーが並んだ棚の前に向かう。
目は見る。棚の一番上の段にあるビーカーの群れを。
ぱちり、と瞬きをし、背伸びをしたけど一番上には届かなかった。身長が足りない。
「玉置くん」
手招きすると、彼は隣に立ち、「どれだ?」と短く問う。
「一番上の、ビーカーを全部出して下さい」
「分かった」
玉置くんは指示通りに棚の一番上のビーカーを片っ端から取り出して行く。当然のようにそれらの中身は空っぽだ。が、棚の最奥に行き当たり、「ビンゴだ、青島」と玉置くんが私に一つのビーカーを手渡した。
その中には、ポーズを取った赤いキーホルダーがくっついたUSBが入っていた。
「あった」
「はっ?!」
八巻先輩が丸椅子を倒して、私たちのところに駆け寄る。
「これですか?」
ビーカーからUSBを取り出して、先輩の前にぶら下げる。先輩は何度も目を瞬き、「これだ、これ!」とUSBを取った。
「お手柄だな、青島」
「データが無事だったら、ですけど」
「……いや、たぶん大丈夫だ」
八巻先輩がパソコンの画面を凝視しながら、言う。
「確認はしなきゃいけねぇけど、内容が抜けているようには見えねえし、少なくとも代用品の奴よりはマシだよ」
「本当ですか」
「ああ、助かった。ありがとうな、青島」
ほっと一息をつく。と、視線を感じて、顔を上げると玉置くんがにこにこと笑っている。
「どうしたんですか」
「いや、なに。きみが無事に困った人を助けられて誇らしいんだ」
「……、そんなに喜んで貰えるほどのことじゃ」
「なんだ、見つけてやったからいいもん奢れってか」
八巻先輩の声の後ろで、コピー機がういん、ういんと唸っている。これからチェックするんだろう。
「いえ、そういうことでは」
「いいぞ、別に。ついでに玉置にも奢ってやるよ。何が食いたい。カツ丼か? 焼肉か? それかいっそのことバイキングで好きなもの食べるか?」
八巻くんは優しい、と玉置くんは諸手を叩いて喜んでいる。私も思わず、よだれが出そうなラインナップだ。
「あ、でも今日は依頼人の人のところに行こうと思っていて」
「青島、いっそのことずらしてはどうだろうか」
「馬鹿言わないで下さい」
「分かった、分かった。都合がいい日を教えてくれたら、食いに連れて行ってやるって。玉置が青島に連絡して、で、青島が俺に連絡する。それでいいだろ」
「はい、あの八巻先輩」
私は顔を上げられない。そこに兄さんがぶら下がっているような気がするからだ。どんなに心から嬉しいと思っても人の顔を見て、お礼を言うことが出来ない人間になった。
それが分かっているからこそ、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「どーいたしまして。ほら、お前ら用事があるんだろうが。さっさと行って来い」
蠅を払う動作で八巻先輩は人払いをする。が、それもたぶん照れ隠しだ。玉置くんの言葉を借りるなら、先輩も乙立花夫婦のようにいい人なのだ。
玉置くんを連れて、扉の前に立つ。
「お邪魔しました、先輩」
「八巻くん、世話になった」
「へー、へー」
先輩の返事を聞き、私はD研の扉を閉めた。そうして依頼人の家に向かうべく歩き始めると、玉置くんが扉の前で止まっている。
「どうしました?」
「ん? ああ、面白いなと思って」
「面白い?」
「そう、人は面白い」
玉置くんはその薄紫がゆらゆら揺れる黒い目を輝かせ、にっこり笑って見せた。何と答えるべきなのか、私は迷い、「玉置くんも面白い人だと思いますよ」と返した。
「そうか? それは嬉しいな」
にこにこと玉置くんは微笑み、「さ、行こう。青島」と先を促した。
私は首を縦に振り、依頼人である夫人の家へと急いだ。
・
・
実家の庭には、母が好んでいた椿が植えられていた。色は白一色だけだった。ほんとうは桃色の花弁をもつ椿を頼んだはずが、誤って白色になってしまったらしい。
そのため庭に咲く椿は決まって白色で、それが雪の代わりだと思っていた。
そして何故、この話を私が思い出したかというと、件の夫人の家は不思議の国のアリスに登場する赤の女王の庭園を模したかのように真っ赤な薔薇で溢れていたからだ。
豪奢の二文字を眼前に突き付けられたような錯覚をしばし味わい、准教授から渡された地図にある家と間違いがないかを確認し、目の前にそびえる立派な庭園の家がそうだと分かった。
「すごい家だな」
玉置くんの感想に私は呆然としながらも頷く。
「ええと……、変な話ですけど準備は大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ、ああそうだ青島」
「はい?」
目の前に玉置くんの手が差し出される。
「きちんとお礼をと思ってな。きみには本当に世話になった。ありがとう、青島」
「お礼を言うのは、私もですよ。玉置くん」
「そうか、なら握手をして一時お別れだ」
大きな手と握手を交わし、「チャイムを鳴らしますね」と告げる。玉置くんが頷いたのを見て、私は備え付けのインターホンを押した。間もなく、「どなた様」とか細い女性の声が返って来る。
「あの、××大学で教鞭を取っていらっしゃるナホミ准教授の教え子で青島といいます。准教授にご相談を頂いていた件で、お探しの方と思われる方をお連れしたのでご確認を……」
話の途中で、インターホンが粗っぽく切られた。そして建物からガシャンッとガラスが割れたような音と「奥様!」と悲鳴にも似た叫び声を上げる男性の声が聞こえた。
暴風雨を目の当たりにしたような出来事に吃驚していると、薔薇の庭園の奥から白髪を乱した六十代くらいの女性が真っ白なワンピース姿の服を纏って現れる。
これが夫人だろうか。呆気に取られている私を夫人は目を三角にして見た。瞬間、私は顔を背ける。身長は同じくらいだったから見れないこともないけれど、目が血走っていて怖かった。
「どこ! どこなの、彼は!」
夫人は門越しに私の腕を掴んで、子犬のようにきゃんきゃん叫んだ。
「や、やめてください。落ち付いて」
「落ち着いていられないわ! 彼は!? どこなの、私のかわいいあの子は!」
話がまったく通じないところがまるでお母さんのようだった。夫人から顔を反らして抵抗を続けていると、「ご夫人」と落ち着いた声が後ろからかかった。
振り返った先で、玉置くんが一人だけ涼しい顔をして立っている。
「彼女は俺の友人で、世話になった人です。そのような振る舞いはご遠慮願いたい」
玉置くんが訥々と喋っている。なんてらしくない。私は呆けた。と、だ。彼はいたずらっ気に満ちた顔で自らの顔の前に人差し指を立てた。
静かにしていてほしい、ということなんだろうと思い私は口を閉じた。
「ああ……、ああ……!」
夫人が感極まった声を上げる。
「どうしました、ご夫人」
いいや、彼は問いかける前に分かっている。分かっていて、質問している。女心を弄ぶ悪魔だ、彼は。
「帰って来てくれたのね……。どうして出て行ってしまったの。心配していたのよ、私。寝るにも寝れなくて、心配でたまらなかったの。お分かりになって?」
「申し訳ありませんが、ご夫人。俺は記憶を失くしたようで、残念ながらあなたのことを何も思い出せないのです」
「記憶が! ああ、おかわいそうにね。病院へはもう行かれたの? いいえ、大丈夫ですよ。病院へなんか行かなくても大丈夫。私が一生面倒を見て差し上げますからね」
ここは中世のヨーロッパか。妙に甘ったるい空気にえずきそうになり、大した確認すら行われず、玉置くんが囲われる前に会話に混じった。
「待って下さい。夫人が探していらっしゃったのは彼で間違いがありませんか」
夫人は玉置くんから視線を離さない。それどころか、恋する少女のように頬を染めている。
「間違いなどありませんわ。彼が私の探し人です。よく見つけ出して下さいました。先ほどの無礼は水に流して貰えるかしら。でも分かって下さるでしょう? 彼ほどの人ですもの。失った私の悲しみは海よりも深く、空よりも広かったのです。さ、家へ入りましょう。お腹は空いていらして」
こんなにも簡単でいいのだろうか。私は疑問に思いながらも、深く聞くことも憚られた。そうこうしている間に、夫人は玉置くんと腕を組み、そそくさと薔薇のアーチを越えて、建物の中へ消えて行くところだった。
「青島」
呼ばれ、顔を上げると玉置くんが顔だけをこちらに向け、手をひらひらと振る。
「心配しないでくれ。とりあえず何か思い出せないか探してみるよ。何か分かったら連絡する」
扉がゆっくりと閉まって行く。喜劇みたいに。
「……、連絡って家には電話はないのに」
私は与えられた猶予の間に返事は出来ず、その場に取り残されてただ立ち尽くすばかりだった。
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