開かずのままの鉄扉
公式学年+2年
++++
「あー……何やってんだろ俺」
「まあ、完全に不審がられてるじゃん?」
「ですよねー」
昼も夜もないスタジオのさらに奥。分厚い鉄の防音扉の向こうの録音スタジオにこもる。その勢いで黒いベンチシートに寝転び、外と遮断された空間で始まる自己嫌悪。俺を見下ろす鵠さんも呆れ顔だ。
「お前、最近あからさまに千葉ちゃんのこと避けてるよな」
「だって」
「だってもへちまもあるか」
「だって」
卒論執筆のために4年生がスタジオに来ることも多々あるし、俺たち3年生も課題や作品制作のためにここに籠もることが多くなっていた。その結果、寝泊まりすることもある。だからゼミ生が鉢合わせるのはごく自然なこと。
少し前から、俺は自分がわからなくなっていた。自分がと言うか、自分の感情が。ただ、それを見つめ直そうにも答えは出ないし、余計イライラして。いっそ作品制作に集中してる体でヘッドホンの中に閉じこもってた方が良かった気がする。
俺の不審な言動を鵠さんは最初から知っていて、あまりに酷すぎると思ったときには釘を刺してくれる。果林先輩絡みのことで俺がそれまでの俺らしくなくなるということを指摘したのも鵠さんだ。
「嫌いじゃないんだろ」
「嫌いとかじゃないんだけど、何か、感情が乱されてワケわかんなくなっちゃって。頭が混乱すると言うか。そんな状態で顔を合わせちゃったらどうなるかわかんなくて怖いっていうのもある」
「今まではそんなことなかったんだよな」
「うん、ホント最近」
鵠さんは溜め息をひとつ吐いて、少しずつ整理すればいいじゃん、と俺を宥めてくれる。こんなとき、同学年の友達でありつつ実年齢に見合う“先輩”っぽさを感じる。いや、俺の人生経験の薄さが原因かもしれないけど。
体を少し起こしてカーテンの隙間からスタジオを見やれば、ちょうど果林先輩が見える。俺の知ってる元気な感じではなくて、ちょっと残念がってるとか、悲しそうな感じの顔。そんな果林先輩を岡山先輩や小田先輩たちが励ましている風にも見える。
「あー……絶対悪いことしてるよなあ」
「まあ、お前が逃げてるっつーのは事実だしな」
「逃げ、かあ」
「いくら経験が薄いっつってもな、薄々思うところはあるんじゃん? 俺はお前の感情を操作する気はないし、お前が自分でたどり着かないと意味はないじゃんな」
「わかってる。でもなー……」
「そうやって閉じこもってても何もならないし、課題も完成しないぞ。作業環境のあるパソコンは表にしかないじゃん?」
「わかってる」
前までの俺はどうやって果林先輩とあんな風に仲睦まじく出来ていたのか不思議で仕方ない。出来ることならああやって普通に話したり、ご飯を食べたいという気持ちは強い。だけど今の俺は果林先輩のことを考えると心がざわざわして、どうしたらいいかわからなくなる。
「嫌いで避けてるワケじゃないんだな」
「うん。嫌なのはむしろ自分自身。先輩には申し訳ないって思ってる」
「高木、時には荒療治も必要じゃん? まずは表に出ろ。そんで挨拶のひとつでもかまして来い。その後はヘッドホンでも何でもしてりゃいい。最初の壁を越えろ」
腕を捕まれ無理矢理起こされたかと思えば、鉄の扉が開いて俺は外の世界に放り出された。それこそ文字通りに、腕の力でポイッと。あんまり急だったから足がもつれてバタバタしてたら、周りから視線を集めてて。
「あ。ど、どうもー……」
「弟ー、いくら康平が体育会系っつっても片手で投げられるのはどうなん」
「高木君ちゃんとご飯食べてる?」
「あ、えっと、今日はポテトを食べました」
小田先輩と平田先輩がケラケラと俺を笑ってくれて少し救われた気持ちがある。あははー、と何となくこの部屋の空気に馴染んでいくように。ただ、この件をやるといつもは聞こえてくる「それは食べたうちに入らないよ」とか「ちゃんとご飯を食べなきゃダメだよ」という声はない。そりゃそうだよね。
「……あの、果林先輩」
「わ、ビックリした。話しかけてくれるんだ」
「……すみません、いろいろ」
これ以上話すことが出来なくて、俺はそのままパソコンに向かってヘッドホンをしてしまった。だけど、果林先輩のどこか寂しそうな表情が頭から離れない。果たしてこれで荒療治になったのだろうか。よくわからないけど、このまま年を跨ぎそうな気がする。
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