冗談でそうは言わない

 その電話を受けてしばし。みるみるうちに春山さんの表情が曇って行く。それまではニコニコしてて、俺にもお茶を淹れてくれたりしてすごくご機嫌そうだったんだけど、今では右足が主の居ない椅子をガタンガタンと蹴っている。


「なーあリンよォー……冗談にしちゃァー、ちーったぁ性質が悪くねえかァー、なぁー。全然笑えねーんだよなァー」

『冗談でそんなことを言うか』

「で? 用件は何だっけか」

『明日のシフトに代わりに入ってはもらえんだろうか』

「お前、明日が何の日かわかってないワケじゃねーよなー」

『ええ。わかっていて言っていますが何か』

「リンテメー表出ろや! 上等だこの野郎ぶん殴ってやる!」


 ガターンと椅子が蹴り倒され、立ち上がった春山さんは今にも殴り込みに行きそうな雰囲気。怖い! もしかしたら今日の春山さんは今までで一番怖いかもしれない!


「わーっ! 春山さん落ち着いてくださいーっ!」

「私に一体何の恨みがあるって言うんだ!」

『恨みなら山積していますが何か』

「確信犯かこの野郎刺すぞコラァ」

『正当な理由でない非番が自分しかいないことを失念しているのか』

「私のも正当な理由だろうが!」

『とにかく。仮病ではないし診断書ももらった。後でスキャンしてメールに添付しますから。では1週間後までさようなら』


 一方的に終話されてしまったらしく、スマホを手に春山さんは茫然としている。そして今にもそのスマホを握り潰してしまいそうな形相。

 電話の相手は林原さんだ。どうやら今日は体調が優れなかったようで急遽俺が代理で入ったんだけど、どうもその後がよろしくなかった。どんな電話だったのかと言うと、単刀直入に言えばインフルエンザにかかりましたという報告で。


「殺す……リンの野郎絶対ぶっ殺してやる」

「春山さん、怖いです。あと春山さんが殺すとか言うと冗談に聞こえないですー」

「冗談じゃねーんだよ。今日だって本当は1日ローラーやって、明日は5時半に劇場入り、6時半の上映開始までウキウキしてるはずだったんだぞ! それをあの野郎は」

「しょ、しょうがないですよインフルなんですから……って言うか、平日の夕方過ぎなんてピークも過ぎてますし1人いないくらい大丈夫なんじゃ?」

「この時期はよ、今更になって駆け込み卒論やってる連中がバタバタしてやがるんだよなあ。家でコツコツやりゃいいモンを、無駄に「大学じゃないと作業出来ない」とか言いやがって」

「ちなみに、春山さんの卒論は」

「そんなモン今月の月初めに終わってるに決まってんだろ。卒論抱えて映画なんか見れるか」

「す、すごいです…!」


 まあ、春山さんの映画の見方が見方なんだけど。映画1本劇場で見るのに過去作を全部見るそうだ。本命のそれが公開されても字幕の有り無しに、座席や見え方のバージョン違いも全部押さえるから卒論なんかやってる時間がなくなるとか。

 ポコンとスマートフォンから音がして、それを見た春山さんの表情の物騒なこと。怒りからか、齧っていた鉛筆をバキッと折ってしまった。多分、インフルの診断書が添付されてたんだろうなあ。

 そして改めて眺めるシフト表。うん。林原さんは1週間ずーっと入ってたのがなくなって、春山さんが1週間ずーっと入ってなかったのを入るようになるのかなあ。この1週間の休み、絶対映画休暇だったんだなあ。


「川北、覚えとけ。リンは必ず誰かが何か大事な用事を抱えてる時にインフルやりやがるからな! 去年もその前もそうだ!」

「そんなに毎回タイミング悪いんですか」

「去年は最盛期にやらかしやがったからな。しかも4年が抜けて人がいないっつー時によ。その前も酷かったらしいぜ? 私は留学してていなかったけど」

「こ、今シーズンはもう大丈夫ですよね…? 1回やりましたし…!」

「いや、型違いで何遍もやるパターンもあるからな。インフルソムリエの芹サンが言うんだから間違いない」

「インフルソムリエって。それもどうなんですか」


 春山さんが復讐に燃えているのを、俺はただただ怖いなーって眺めるしか出来なかったワケで。どんな仕返しが繰り出されるのか、怖くて仕方ないですよね。俺は巻き込まれないと思うんだけど、一応身構えておこう。

 結局、明日のシフトは春山さんがどうしてもここだけは外せないということで夕方4時半まで入ってくれることになった。それ以降は俺と誰かで頑張ることになるんだなあ。だ、誰が来ても別の恐怖が……。林原さん、早く帰ってこないかなー。

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