第11話 陽との日常

 離婚して半年。

 

 夜寝る前、寂しくなって度々泣いていた陽。

 ここ一カ月ほどで泣くことは無くなった。

 諦めがついたのか、自分に気を使っているのか、ホントのところは分らないのだが。

 見た目には本来の明るさを取り戻したように思う。


 このまま何事もなく成長していってほしいと切に願う要であった。




 引っ越してしばらく経った時のこと。

 この日は土曜で会社は休み。

 朝食を済ませ、やることやって一段落。

 釣りビジョン見ながらボーっとしていると、陽がやってきた。

 横に座り、一緒にテレビを見ているのだが…。

 あからさまに様子がおかしい。

 何かに怯えているような…何かな?

 不審に思い


「陽?どげしたんか?」


 声をかけると、ビクッとなって、


「ん?何もないよ?」


 明らかに何か隠している。


 ま、そのうち分かるやろう。


 そんな気持ちで再びテレビを見ていると。


「誰ね?便所にスリッパ落したの!」


 母親が大きめの声で家中の人間に問いかける。

 この言葉に反応したのは陽。

 一気に顔色が青ざめた。

 なるほど。


「お前か?」


 尋ねると、


「あのね?えっとね?」


 恐れがピークに達する。


「言い訳すんな。落したんならちゃんと言わな。」


 普段の調子で言ったつもりだったけど、究極に申し訳ないと思っていたのだろう。


「ごめんなさい。」


 泣いてしまう。


「いーき。バーチャンに謝ってこい。」


 そう言うと、頷いてトボトボと祖母のところへ歩いて行き、


「ばーちゃん…僕が落した。」


 謝っていた。


「あんたやったんね。落したらすぐ言わな。代わりはあるっちゃき。」


 優しく注意。


「はい…。」


「ほら。もう泣かんと。」


 頭を撫で、慰める。

 泣きながら戻ってくる。

 たまに起こる大事件の記念すべき一回目は無事解決した。


 実家はポットン便所。いわゆる汲み取り式というヤツで、垂直の穴が開いていて、そこにブツが直で落下する方式。含水率が多いとオツリが返ってくるアレだ。

 小さな子供目線だと、和式便所の穴は大きく深く見えるので、とてつもなく怖い。夜ともなると怖さ倍増だ。

 引っ越してすぐ、あまりにも怖がってタレかぶった(=漏らした)ことがあった。急きょ、対策として手すりというか握り棒というか、バイクや自転車のハンドルのように握れる棒を大便所の壁に取り付け、一人でできるようになったのだが。

 焦るか油断して落したのだろう。

 まぁ今回のような大事件は大人でもやらかす。中途半端につっかけて股越したら落としてしまうのだ。やらかした後の罪悪感がハンパない。

 大人でもそうなのだから、子供がやるともぉ!

 この世の終わりかと思うくらいの絶望的な気持ちになってしまう。

 今回の陽みたいに。




 これも引っ越してきてしばらく経って。

 夕飯時、ビールを飲んだ。

 いつものことだ。

 さっさと食べ終え、部屋に戻りテレビを見る。

 そのお供に焼酎なり日本酒を飲むのだが…。


「お父さん?飲み過ぎダメ!」


 陽に注意されてしまう。

 知らず知らずのうちに量が増えてしまっていたみたい。

 間違いなく離婚によるストレスだ。

 飲み過ぎて子供を心配させる親…サイテーだ。

 これから先、こんなことのない様、気をつけようと思った。

 そして。

 陽。気付いてくれてありがとう。




 引っ越して間もない頃。

 陽を連れて夕飯の買い物に行った時のこと。

 一緒にスーパーに行くのは既に日常となっているのだけれど、カゴを持ったオレについて回るばかりで、何も欲しがったりしない。

 欲しがってダダをこねられるのは困るが、全く何も欲しがらないのは子供として不自然だ。

 ホントに何も欲しくないのか、聞いてみることにした。


「陽?何も欲しくないん?」


 すると、


「だって…お父さんお金持っちょーん?」


 思ってもみない答えが返ってきた。

 そう言えば。

 結婚していた間、小遣いは1円たりとも貰ったことが無かった。なので、陽がモノをねだるのは母親だけ。

 オレはお金を持たないものだと認識されていた。

 それに加え、買い物に行く前、親から預かる食材の代金。

 預かる場面を何度となく見ていた陽。

 ご飯の材料を買うとお金は無くなるものと思っていたようだ。


「持っちょーくさ。あんましなんやらかんやら買えんけど、たまにちょっと買うくらいならいいぞ?」


 おしえると


「ホント?なんか買っていいん?」


 子供らしい表情になる。

 考えていたことは正解だったようだ。

 知らず知らずのうち我慢を強いてしまっていた。

 そのことに気付いてあげられなかったことを反省。

 この日を境に、少しだけ欲しいものを買うようになった。




「今日ね。幼稚園でね。」


 こんな感じで陽はその日の出来事をよくおしえてくれる。

 そんなある日。

 一緒に風呂に入っていると、


「夏美ちゃん、もーすぐ名前変わるんっちばい。」


 少なからずドキッとした。

 名前が変わるということはお母さんが再婚するということだ。

 ちょっと(だいぶ?)いーなと思っていただけに、ショックとまではいかないが、まあまあ寂しい気分になる。

 と、ともに一歩踏み出せた彼女を羨ましいと思った。

 そこまではまぁよかった。

 っち、あんましよくはないけどね。


「今、佐々木やけど岩切になるんっち。」


「は?」


 苗字を聞いてビックリ。


「岩切っちカツオイチャンよね?」


「う~ん…多分ね。」


 この町では他に聞かない名前だからほぼ確実に克洋だろう。


 アイツ…そげな大事なコトおしえんでから!先週飲んだとき、全く素振り見せんやったよね?風呂あがったら抗議の電話してやる!


 風呂から上がり早速電話。

 電話を取るなり、開口一番


「カツ!お前、なしそげな大事なこと言わんかね?」


 少し大きめな声になってしまう。

 何のことか既に分かっているらしく、


「ははは。ビックリした?陽から聞いたっちゃろ?」


 平然としてやがる。

 続けて、


「今からそっち行くわ。」


 何分もしないうちに


 来たぞ


 メッセージが入る。

 勝手口を開けると、


「よ!これ。」


 いつもの如く、ビールやツマミをわたされる。


「よ!っじゃねーちゃ。」


「ま、いーやねーか。」


 ニヤケていた。


 部屋に入り、飲み開始。

 馴れ初めを語り出す。

 聞くところによると、自分をあの店に連れて行く前から知っていて、それなりに仲は良かったらしい。


 生乳揉んだし、チューしたし…。雰囲気よかったのにな。


 すごく惜しい気がすると共に、なんか克洋と穴兄妹になった気分。

 ついつい微妙な顔になってしまう。


 克洋が言うには、あの時よくしてくれていたのは、やはり自分に気があったから、とのこと。

 で、そのことを相談しているうちに、克洋のコトを好きになっていったんだとか。

 ベッタベタにも程がある展開。

 っちゆーか。


 今更そげな情報いらんし!

 くっそ~!


 完全に出遅れていた。

 取り残された気分になってしまう。

 気持ちに気付いてないワケではなかった。むしろ「コレ、イケるんじゃね?」的な気配さえあったから、尚更歯痒い。

 行動力のない自分を恨む。

 あの時行動を起こしていれば、或いは…後の祭りである。

 でも、よくよく考えてみれば、陽のクラスメイトが兄妹になるわけで。

 血の繋がらない同い年の女子。

 ラノベでありがちな展開になるのも教育上よくないのかな?とか、出遅れた自分に言い訳。

 素直に諦めることにした。




 このように致命的な事件が起こるわけでもなく、要と陽の日常は今日もダラダラと過ぎてゆくのだ。

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