第10話

 それから数日間、俺は朝早くにジョギングするふりをして、野外ステージに置いてきた漫画やゲームを回収した。

 そろそろ文化祭の準備が始まって、あそこを使い始める時期だ。それに、統志郎とあそこで会う気ももうなかったから。あいつが卒業するまでは、別の場所で息抜きをしよう。

 どこにしようかなぁ……

 候補地を絞り込めないまま連休が近づいた放課後。

 寮の自室に、統志郎がいた。窓辺に寄りかかって、俺を見ている。

「え……」

 妄想かと思った。おいおい、前世での初恋をこじらせすぎだろう、俺よ。好きすぎて、とうとう幻まで見ちゃうなんて……

「おかえり」

「た、ただいま」

 普通に返してしまった。

 ていうか、セリフのわりに、統志郎はむすっとしている。腕も組んで、妙な威圧感を出している。え? なにこれ。俺ってば、なんかミスを叱られる部下みたいじゃね?

 いやいや、それよりも……

「どうやって、ここに」

「そんなことより、訊きたいことがある」

 遮られてしまった。それも結構、強い口調で。表情も硬い。

「秘密の場所に、最近、来なくなったね」

「……っ」

 用意していたセリフを言おうとして、一瞬、息が詰まった。

 統志郎は静かに聞いているというのに、発している空気がひどく張り詰めている。つられて、つい、俺もこわばってしまった。

「僕は前に―――風邪で休む前に、言ったよね? 次の場所は見つけておくって。それなのに」

「……文化祭の、準備が近いからな」

 息を吸い、一気に吐き出す。あらかじめ用意しておいた言い訳も一緒に、勢いよく、バーッと。

「下見とかで誰かに見つかる前に、移しておきたかったんだ。バレるのも面倒くさいし、場合によっては不法侵入した奴が勝手に使っているなんて、誤解されかねないからな」

「でもせめて、俺に言ってくれてもいいんじゃないのか? 学校に来ていることは知っていただろう?」

「でも……ほら、男子部と女子部は基本あんまり会わないし」

「水曜日の放課後だったら、あの場所で確実に会えるじゃないか」

 統志郎は、窓際から一歩も動かない。

 なのに俺は、今、どんどん追い詰められている。威圧感が、すごい。

「放課後には来ていないのに、あの場所からはどんどん物が減っている。……昼休みでは移動時間が足りないから、わざわざ朝の早い時間に持ち運んでいたんだね?」

 俺はいま、断崖絶壁で名探偵に追い詰められている犯人の気持ちだ。別に何も悪いことはしていないのに、統志郎は淡々と責め立ててくる。

 凄みのあるイケメン、こわい。

「僕を避ける理由は、なんだ」

「……好きな人ができたから」

 違っててほしいな、と思った。

 でも、叶わなかった。

 それまで能面みたいだった統志郎は、まさに面食らったように表情を崩したのだ。

「お前のことが嫌いになったとかじゃない。……でもさ、相手に悪いじゃん? 二人っきりで会うの」

「でも……それは……」

「けじめはちゃんと付けたいんだよ」

 俺を見て、別のところを見て。また俺を見る。ははっ。図星を突かれて、かなり慌てているらしい。

 俺はようやく、ドアから一歩離れた。

「とても楽しいひと時を過ごせました。ありがとうございます、鷹司先輩」

 統志郎の前に出て、綺麗にお辞儀をする。

「……君にとって、僕は」

「尊敬すべき先輩であり、気の合う友人ですわ」

 顔を上げれば、目を閉じて息を吐いている統志郎がいた。ゆっくりと目を開け、統志郎は俺へ微笑んだ。俺も微笑み返す。

「ごめんね」

 なぜだか一言、謝罪をして、統志郎は俺に背を向けた。そのまま、窓を開ける。

「僕の部屋付きメイドに頼んで、窓を開けてもらったんだ。……大丈夫、もうしないから」

「ええ、ぜひお願いします。お互いに、誤解されては困るでしょうし」

「……そうだね」

 頷いて、統志郎は少し俯いた。

「僕もね、君と一緒に、あの場所でくだらないことを話したり、面白いものを食べたりするのは、結構、楽しかったよ」

 じゃあね、と微笑んだ顔は、ムカつくくらいかっこよかった。記憶の中でも、今も、こいつ、本当にキザなことが様になるよな。


***


≪連休の某高級ホテル・白百合の間・洋室の中から甲高い女性の声が聞こえる≫

中年女性「今さら断るってどういうことザマス! はあ!? 好きな人がいるぅ? ちょっとアナタから持ち掛けてきておいて心変わりなんて、先方に失礼すぎるにもほどがあるザマショーガ!! どうするザンス!」

同室にいるもの「……」

中年女性「はあ!? 引き受けておいて!? ちょっとアナタ、それは確かなんザマショーネ! それだったら、話が違ってくるザマスよ? むしろこっちから願い下げでガンス!!」


 ふんがー!

 なんて合いの手入れられない。なぜって、一目があるし、両親がいるし、俺ってば、今日は和装だし?

「面と向かって断るなんて、角が立つザマスよ? よろしいザンスか?」

 肝心のお見合いは、どうやら破断確定らしいし? んもー、なんなんだよ、最近。

 用意された部屋―――白百合の間―――の前に着き、百合の大理石細工がはめ込まれた両開きのドアを開けようとした。その途端、部屋の中から先ほどのヒステリックな声が聞こえた。すべてを聞き終えた俺の両親は、固まっている。

「どういうこと? どうして伊澄ちゃんが願い下げなの?」

「ありえん。こんなにいい子なのに……! あちらから持ってきたというのに……!!」

 父さんに至っては、震えていた。怒りで。

「き、きっと何かの誤解よ。伊澄ちゃんの評判と誰かの噂が、伝言ゲームで間違って伝わったのよ」

「だとしても、せめて事前に調査をしておくべきで……」

「はあ!? 見合いを断る相手が誰を懸想しているかなんて、知ってどうするザマスか!?」

 ひときわ甲高い声だった。黒板を思いっきりひっかいたより、いちオクターブくらい高い。

 衝撃を受けた両親は、組み立てに失敗したプラモみたいに、ぎこちない動きで俺の方へ振り向いた。信じられないものを見る目が、俺に向けられる。

「伊澄ちゃん、いまの、本当?」

「す、好きな人が……」

「あー」

 そこか。ていうか、俺からすると、もうフラれたてホヤホヤ、失恋したてホヤホヤ―――つまり、終わった話だ。できれば、もうちょっと時間をおきたかった。

 なんて考えていたら、母さんが涙目になった。

「い、伊澄ちゃんってば、言ってくれてよかったのよ? 結婚は、好きな人とすべきだもの」

「そうだよ、伊澄。何も好きな人がいるなら、そう言ってくれれば……その……で、誰なんだい?」

「もうフラれてしまったので」

「「「え!?」」」

 あれ? 一人多くない?

 音も立てずにドアを開けた留袖の女性が、俺の両親と一緒になって驚いていた。どうやら、さっきからキンキン声で話していたのは、この人らしい。

 唖然としていた三人は、お互いに初顔合わせだと悟ると、さっと表情を引き締めた。にこやかな笑みを浮かべ「失礼いたしました」と、一礼。俺も一緒になって一礼。

 留袖の女性は、ひとまずドアを閉め、俺たちは互いに名乗り合った。彼女は、今回の見合いを持ってきた仲人さんだった。

 俺は、両親より一歩前に出て、仲人さんへ頭を下げた。

「このたびは、もったいないお話をご用意いただき、ありがとうございます。……先ほどの噂ですけど、もう、わたくしの中では終わったことですので、どうぞ、お気になさらないでください」

「では、やっぱり好いたお人が……?」

 頷いて、すぐに俺は「ですが」と口を動かす。

「わたくしの、一方的な片思いでした。もう、終わったことです」

「けじめはついているんザマスね?」

「ええ」

 すると、肩をやさしく抱かれた。振り返ると、若干涙ぐんでいる母さんがいた。

「伊澄ちゃん……どうして、相談してくれなかったの?」

「すみません、お母様。ちょうど、お見合いのお話をいただいた時が、失恋した時期だったので」

「あらあら、まあまあ」

 仲人さんは、眉を寄せ、同情するかのように悲しげな表情になった。

 俺は少しの間、目を伏せた。けじめは着いたけど、まだちょっとは傷心しているのよ、だからあんまり突っ込まないでね。そんな「立ち直りつつある令嬢」っぽく見えるように。

「……伊澄」

 今度は、父さんに声をかけられた。顔を上げれば、気遣わしげに微笑んで、俺を見ていた。

「お見合いは、絶対じゃない。会ってみて、この人とならと思えるなら受けていいし、違うなら、断ってもいい」

「でも」

「さようザマス」

 仲人さんも、頷いた。

「ほかに好いた人いるままでお見合いをするのは、問題ありザンスが、今回の場合は失恋した後! けじめも着いている! それなら、もう、あとは通常のお見合いと一緒ザマス」

 そこ強調しないでほしいんだけど……

 何はともあれ、お見合いは、無事、始まることとなった。

 仲人さんが、金のドアノブに手をかける。大理石の百合が奥へ移動し、ペールグリーンの部屋が見えてきた。

「あっ!」

 驚いた。

 部屋の奥にあるフランス窓、そこから見える庭園、窓のすぐ横の立派な柱時計―――そうした、ドアを開けてすぐに目に入るものではなく。

 むしろ、それら全部、いっさい、目に入らなかった。

 ソファーに腰かける、父親と息子。その息子は、俺がよく知る相手だった。

 鷹司統志郎は、俺を見ると、儀礼的に微笑んだ。


***


 実に気まずい気持ちで、俺たち―――俺と統志郎は、庭園を歩いている。

 両親たちは和やかに歓談し、俺たちも、表面上は問題なく会話をした。そう、問題なく。その様子を見た仲人さんは「進めても大丈夫」と判断し、俺たちを庭園へ送り出したのだ。あとはお若い二人でゆっくりと、て。……くっそう、自分の擬態スキルが憎いぜ!

 和装でも歩きやすい遊歩道を、俺たちは黙々と歩いている。どっちも何も言わない。ていうかそもそも、顔を見ない。統志郎は少し前を歩いてて、俺の方を振り向かない。

 そのくせ、歩調は、俺に合わせてゆっくりしている。

 何考えてんだ、こいつ。

 そう思ったのが伝わったのか、統志郎は立ち止った。大きな噴水の向こうに、さっきまでいた白百合の間が見えた。結構離れたんだな。

「久しぶりだね」

「ああ」

 振り返った統志郎は、さっきと打って変わって、無表情だった。無愛想、といってもいい。

「会う前に、あの仲人さんに断ってもよかったのに」

「……見合い相手だとは、思ってなかったんだよ」

「僕とのお見合いだって知っていたら、断っていた?」

 答えに詰まってしまった。

 ぼんやりと聞き流してしまったけど、ちゃんと聞いていたら、そして、最初から統志郎だと知っていれば―――受けていた。

 でも、それは言えない。

 俺がどうこたえようか思案していると、統志郎はふーっと長い息を吐いた。

「少しだけ、僕の話を聞いてほしい」

 そう言って、統志郎は俺に一歩、近づいた。真剣な目が、じっと俺を見る。

「僕は、君とがよかった。君となら、ずっと一緒にいられると思ったから」

「え」

「完璧な淑女としての君は、パートナーとして申し分ない」

 何を言われているのか、理解できなかった。

「でも、それだけじゃなかった。君は、俺にはできない、人生の楽しみ方を知っている」

 だって、こいつは円香ちゃんが……

「君に助けられたこと、教わったこと、楽しむことを、もっと続けたい。もっと一緒にいたい」

 不思議な感覚だ。前にも、似たようなことを言われた気がする。

「そして、君が悲しんだり、助けを求めたり、弱っているときは、僕が助けたい。他の誰かにさせたくない」

 統志郎は、苦しそうな顔をした。なんだよ、それ。なんでそんな表情するんだよ。

 ぶわっと、噴水の水が上がった。

 俺は大きく深呼吸をした。いつの間にか熱が集まっていた頭を、覚ますために。

 顔を上げると、切ない表情の統志郎がいた。

「僕とずっと一緒にいてほしいんだ、伊澄」

 俺は一歩踏み出し、統志郎へ腕を伸ばした。統志郎は嬉しそうに笑い、両手を広げる。無防備なみぞおちに、俺はこぶしを叩き込んだ。

「思い出すのおっせーんだよ、バァーカ!!」

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