第9話

 お見合い相手と会うのは、一ヵ月後の日曜日となった。なんでも、両家ともに都合の良い日がそこしかなかったらしい。


 久しぶりに、円香ちゃんからお茶に誘われた。それも放課後。

 今回も、円香ちゃんが予約を入れておいてくれた。なんと、個室のカフェ。会議が長引いた委員会とか、文化系部活とか、あるいは教師たちが、たまに会議室として使っている、ちょっと薄暗くって、秘密基地みたいなところ。

 二人だろうが六人だろうが、全員、一人用のソファーに座り、円卓を囲むスタイル。一昔前の映画で、ヨーロッパ貴族が密談とかしてそうな雰囲気の内装。もっというと、俺がこの前円香ちゃんを誘った、個室料亭のカフェ版。

 やってきた俺に、円香ちゃんは真剣な表情で、実に綺麗なお辞儀をしてきた。角度は90度。王室に向かってする、最敬礼だ。

「突然ですみません。お願いが、あるんです」

「……また、誰かに何か言われましたの?」

「いいえ。……まだ」

 奥歯にものが挟まった言い方だ。

 夕食のことも考えて、俺たちはお茶だけ注文をした。俺はダージリンのストレート。円香ちゃんは、ラベンダーティーを頼んだ。どうやら、落ち着いてないことは自覚しているらしい。

 運ばれてきたお茶を一口飲むと、表情が少し和らいだ。そして、ラベンダーティーを見下ろしながら、ぽつぽつと話し出した。

「実は……少し前から、気になっている人がいるんです」

「まあ、そうなの」

 俺は、自分の声が白々しく聞こえた。なんていうか、円香ちゃんが気になる人っていうのが、だいたい想像ができるから。

「ここにきて、いろんな人と出会ったけど、あの人以上に好きになれる人なんて、いないと思うんです。それだけじゃなくって、苦しんでいる時に助けてあげたいって、そう思ったのも、その人が初めてなんです」

「なるほど」

「でも……」

「でも?」

 先ほどの情熱はどこへやら、円香ちゃんは、急にしぼんだように視線を落とした。

「あの人もわたしも、お付き合いをするからには、『釣り合い』が取れていないといけないって」

「……もう、お付き合いをされているの?」

 おそるおそる、俺は訊いた。

 円香ちゃんはうつむいたまま、首を横に振る。

 それを見て、ほっとした。なんだ、まだ片思いなのか。

「お互いの気持ちを確認しただけなんです」

 ほっとした分、ショッキングだった。

 両想いだって判明したら、それはもう、付き合っているんじゃないの!? え、具体的なことをしないとダメなの? ナニそれ!? 伊澄わかんない!!

 心の中で突っ込みを入れ続ける俺に気付かず、円香ちゃんはお茶をまた飲んだ。

「その人に、お見合いが持ち上がっているんです」

 あ、なるほど。

 今度こそ、俺は納得した。

 好きあっている人がいるのに、それを堂々と言えない。家柄とか格式が釣り合ったもの同士じゃないと、たとえ思いは通じてても、両親は「恋人はいない」と判断し、お見合いを持ってくる。

 だから、円香ちゃんとそのお相手は「告白はしたけど、付き合っているとは言えない」状態なのだ。そして、付き合っていると公言するために「釣り合い」が必要なことも。

 認めてもらえないから駆け落ちするような俺の両親は、超・例外なのだ。

「家柄は、問題ないそうなんです」

 円香ちゃんが続けた言葉に、俺は黙ってうなずいた。燕倉家といえば、知らない人がいないほどの名家。殆どの家は、この家より格下だ。同格の家なんて、俺の実家・烏丸と統志郎の実家・鷹司くらいだ。

 ん? 待てよ。

「釣り合わないのは、わたしの、育ちです」

「え?」

「わたしは、幼い頃は普通の、一般家庭で育ちました。でも、その人は、ずっと上流階級の育ち。……いまでこそ、わたしは上流階級の方の考えも理解できますが……」

「もしかして、先方のご親族が、反対なさっているの?」

「はい。……それで『本当にふさわしいか、試験をする』と言われたんです。それに合格すれば、交際を認める、と」

「ねえ、円香さん。よく考えて?」

 普通の家と、俺たちは違うのだ。

 親に隠れて交際する分には、別れても問題はない。だけど、親を巻き込んで交際を認めさせるのは、もう、それは婚約だ。家同士の契約になる。お見合いと違って断れないし、破局なんて、絶対に許されない。

 初めて好きになった人と一緒になるのはいいが、別れることは言語道断なのだ。

 慣れてきたとはいえ、円香ちゃんはまだまだ一般的な感覚を持っている。

「家から正式に交際の許可が下りたら、それはもう、婚約と同じなのよ? 絶対に結婚しなくちゃいけないの。付き合ってみてやっぱり合いません、となっても、一緒にい続けるのよ? いいの?」

「でもわたし、あの人のこと、好きなんです!」

 叫ぶように言って、円香ちゃんは泣き出した。

「誰かと一緒にいてほしくない。楽しいことも悲しいことも、わたしと一緒にいてほしい! わたしと一緒に、泣いたり笑ったりしてほしい。……消えないんです、この気持ち」

 俺の脳裏に、ここ数日過ごした光景がよみがえった。

 途中で前世の記憶が混ざった。でも、どれも全部、楽しかった記憶だ。

「その方と円香さんは、もう、思いが通じ合っているのね」

「……はい!」

 カンパイだ、チクショー。

「今まで以上に厳しくいきますわよ。覚悟なさい」

 そう言って、俺は不敵に笑った。円香ちゃんは、泣き笑いで首を縦に振った。


 結局、俺がしてきたことは、無意味だった。

 前世が捻じ曲げられたような今世で、せめて好きなやつとくらいは。そう思っていたけど、その好きなやつは、俺ではない円香ちゃんを好きになった。

 まあ、いい子だよ。円香ちゃんは。ちょっぴり頑固だけど、頭は悪くないし、基本的に素直だ。顔だってかわいい。俺が男だったら……うん。統志郎と会う前だったら、好きになったかもしれない。

 円香ちゃんが選んだ。統志郎が選んだ。

 かなり悔しい結果だが、俺にできるのは、もう、二人を応援することだけだった。

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