第3話
どう頑張っても三行でまとまらなかった回想は、ここでちょっと休憩。
そして、本筋―――つまり、編入生が来た現在に戻る。
寮の扉へと俺が歩み寄ると、ちょうどよいタイミングでドアマン達が近寄った。俺が歩くタイミングに合わせ、彼らは扉を開いていく。そしてその向こう、寮の前には、重い荷物を運ぼうとする女生徒―――燕倉円香と、戸惑った表情のポーターがいた。
俺の姿を見た瞬間、ポーターは姿勢を正すが、円香はぽかんとした表情になる。
ちなみに俺は、にっこりと微笑みを浮かべる。そして、優しい口調で円香へ話しかけた。
「ごきげんよう、燕倉さん。わたくし、烏丸伊澄といいます」
「こ、こんにちは! あの、今日からお世話になります!!」
うむ。実に元気のよい挨拶だが、お辞儀の仕方がかなり甘い。首だけ上下に振っている。まあ、慣れていないから仕方ないだろう。
「こちらこそ、どうぞよろしく。お部屋へご案内しますわ」
「お荷物をお運びします」
俺が目配せをすると、ポーターは円香へ手を差し出した。うむ、ちゃんと笑顔を浮かべていて良い感じだ。
だが、円香はポーターから一歩退いた。
「いえ、大丈夫です。自分で運べます」
「ですが……」
「寮にはエレベーターがありませんから、重い荷物を持ったままだと不便ですわよ」
俺が説得しても、円香は首を縦に振らなかった。頑固である。というか、ここまで拒絶は激しいと、まるでポーターや俺を信用していないみたいだ。
ポーターは笑顔を浮かべているが、いつもと違う空気を漂わせている。円香の拒否っぷりに、ムッとしていうようだ。
「自分のことは自分でします」
「ええ、貴方が今まで暮らしていたところでは、そうなのでしょうね」
円香が驚いた表情になった。
俺はよどみなく言葉を続ける。
「ですが、これからは違います。家のこと、身の回りのことは彼らに任せるのです」
「そんな……! 自分で出来るのに!」
「それは使用人の考えですわ。貴方はもう、他人を使う立場になるのです」
この学校には、政治家や社長といった、社会的地位の高い親を持つ子が通う。俺も含めて。普通の学校とはいろいろ違うけど、一番の違いは「帝王学」を徹底しているところだ。
自分で何をするかではなく、いかに人を使うか―――能力の適性や、働きぶりを見て、仕事の采配を振る、ということを教える。
だから、身の回りのことは使用人にやらせる。自分で出来ても、手は出さない。
「使用人と同じことをしては、かえって彼らの仕事を奪うことになります。貴方がこれからするのは、彼らの働きぶりを見て、彼らを評価することです」
「それは、おかしいと思います」
「ええ、そうでしょうね」
俺が同意したのが意外だったようで、円香は目をまたたいた。
「おかしいと思うのは、貴方がまだ、こちら側にいないからですわ。……ですが、燕倉の姓を名乗る以上、それに相応しい考えを身に付けた方がよくってよ」
「それって、家柄で人に上下関係が出来るってことじゃないですか! 自分にはどうしようもないことで、そんな関係になるの、おかしいです」
円香が反論した。しかし、それはちょっと的外れだ。
「誤解なさらないで。わたしたちと使用人たちの間にあるのは『雇用関係』としての上下のみ。そして雇った以上は、ちゃんと彼らに仕事を任せるのが、わたしたちの仕事ですのよ」
まだ反論しようとする円香を、俺は手で制した。
「長旅でお疲れでしょう? まずは、寮でお茶をごちそういたしますわ。……その間、彼に仕事をさせてあげて?」
円香はぐっと唇を噛み、ようやくポーターに荷物を預けたのだった。
≪高等科・女子生徒会室≫
会計A「聞きまして? 編入生の話」
会計B「ええ、ええ。なんでも初日に、ポーターの仕事を取ったとか!」
副会長「それ以外にも、使用人に仕事を取ってしまうらしいわ。ご自分でベッドメイクをして、お夕飯もご自分で作ろうとして!」
書記「まあ! 世間知らずな人!」
副会長「仕方がありませんわ。ついこの間まで、編入生さんは、自分でそうするのが当たり前だったんですもの」
≪高等科・男子生徒会室≫
副会長「聞いたか? 編入生の話」
書記「聞いた聞いた。社交ダンス部に意地悪されたんだろ」
会計A「わざわざ茶道部まで巻き込んで、マナーがなってないって笑ったんだよな」
会計B「うーわー! ナニソレ、可哀想!! 俺だったら泣いちゃうかも」
書記「編入生、泣かなかったらしいよ? 言い返したって」
会長「へえ。なんて?」
書記「あなた達みたいな人より、わたしの方がよっぽど淑女です! て」
***
俺が夕飯に誘うと、円香ちゃんはガッチガチに緊張しながら頷いてくれた。他人の目があると言いづらいだろうから、予約していた個室で。
学生食堂に個室? という点に、円香ちゃんは驚かなかった。そんな余裕もないようだ。
「なんだか、庭園にいるみたいですね」
初日とは違って、神妙な面持ちで部屋を見回す。この部屋は、東屋から庭を見ているような壁画が特徴的なのだ。
「開放的な気分になれるように、この壁画にしたそうですわ。悩み事や相談事があるときに来ると、落ち着くそうです」
「悩み事……」
復唱して、円香ちゃんは俯いた。唇を軽く噛むと、決心したように顔を上げる。
「わたし、烏丸先輩にお願いがあります」
「マナーを教えて欲しい、でしょう?」
「……そのご様子だと、もう、噂になっているんですね」
「ええ。少しは聞きましたわ」
円香ちゃんが切り出そうとしたところで、給仕がペリエを運んできた。俺たちの様子を察した給仕は、手早く用意を済ませて去っていく。彼がドアを閉めたところで、円香ちゃんは「あの」と口を開いた。
「図々しい事を言っているのは、分かっています。……でも、」
「別に、教えるのが嫌、という訳ではなくってよ」
むしろ好都合である。
「ただ、腑に落ちないだけですわ」
「……」
「馬鹿にされて悔しいから、淑女になろうというのは、貴方らしくない気がしたの」
円香ちゃんの返事を待つ間、俺はペリエに口を付けた。口の中がすっと冷たくなって、身体の奥へ入っていく。息を一つ、身体にこもった熱とともに吐き出した。
一方の円香ちゃんは、膝の上に両手を置いたまま、グッと黙り込んでいる。さっきと違うのは、何かに迷っているかのように、瞬きが多いことだ。
何か一押ししようかな、と考える。だが、俺が結論を出すより早く、円香ちゃんが話し始めた。
「烏丸先輩のことを、言われました。この程度も身に付けられないなんて、烏丸先輩の指導力は大したことないんだって。すごく、楽しそうに」
噂には出てこなかった新事実だ。だが、納得はできる。
マナーを知らなくったって他人の陰口を言わないわたしの方がよっぽど淑女です! という意味合いで放った言葉が、歪んで伝わっているのだろう。
「わたしがマナーを知らないのは、恥ずかしいけど、本当のことです。笑われるのは、仕方ありません。でも、わたしに便乗して、他人を―――烏丸先輩をバカにするなんて、卑怯です!」
「よくってよ、燕倉さん」
敵の敵は味方。
「わたくしも、前からあの方たちは気に食わなかったの。……二人で一緒に、目にもの見せてあげましょう」
「……はい! ありがとうございます!!」
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