先生への手紙

孔田多紀

鮎井郁介先生

謹白 初めてお手紙をさしあげる失礼をお許しください。恐縮しています。わたしはいつも、先生の作品を非常に面白く、興味深く、拝読しています。

『紅蓮荘事件』が出たばかりの時、読んで驚愕したことをよく覚えています。ちょうど新本格派の作家の方たちが活躍を始められて、少し経った頃です。昭和から平成に代わったばかりの、何かと騒がしい時代に、先生の作品のクラシカルな趣きは一服の清涼剤として堪能しましたが、当時から、他の作家とはちょっと違うな、と思っていました。

 以降、『空穂邸事件』、『樹雨館事件』、『紫光楼事件』、『阿修羅寺事件』と、年一作のペースで刊行されるたび、すぐに買い求めてきました。「梵貝荘事件」も毎月楽しみにしていましたが、解決編も既に終った段階でのご連載中止がつくづく残念です。一年が経ち、今頃は完結に向けた想を練られている折かと思い、お目を汚してしまうのは僭越ですが、一読者としてファンレターをしたためたしだいです。


 実は先生には一度、パーティーでお目にかかったことがあります。『紅蓮荘事件』で登場されてしばらくしてからのことです。その場には何人も新進作家や編集者がいましたから、わたしのことはご記憶にないかと思います(覚えていらっしゃいますかどうか……たしか、そのとき直接ご挨拶されていた方は、まだデビューしたばかりの綾辻さん、法月さん、我孫子さんだった気がします)。わたしはふだん、ある編集プロダクションで仕事をしておりまして、知り合いの伝手をたよってたまたま、謦咳に接する栄に浴したのです。

 ところでその場で、先生が不思議な言葉を述べられていたことを、今でも頭の隅に留めています。たしかこんなふうなことを仰っていたと思います。「すべては実際に起こった出来事、ぼくがこの目で見、この耳で聞き、この体で体験したまぎれもない事実です。ぼくには事実をありのままに書くことしかできません」(大意)。思い返すと、何やら虚を突かれたような周りの面々の顔が、今でも浮かぶようです。『紅蓮荘事件』が優れた本格ミステリであることに疑いはありません(多少、アンフェアに感じられる部分はあるとはいえ)。たぶん刊行時期の関係で「このミステリーがすごい!」や「週刊文春ミステリーベスト10」だとかの回顧企画ではほぼ黙殺されていますが、心ある読者には八九年の収穫として強く刻まれていることでしょう。

 だからこそ、先生のあの言葉は、にわかには信じられないものだったのです。

 仕事柄、わたしはよく国立国会図書館を利用します。そこで以前(パーティーの少し後)、当時の新聞記事を調べてみたことがありました。そしてわかったのは、確かにその頃、あの『紅蓮荘事件』に書かれてあるのと同じような事件があったということです。関係者や舞台となった建物の名前などは微妙に変えられていますが、概要はまったく同じ。

 その時のわたしの興奮を、どう表現したら良いでしょう。しかし無味乾燥な報道記事は、必要最低限の事実を羅列するのみです。世にノンフィクション・ノベルという分野があります。たとえばトルーマン・カポーティの『冷血』だとか。ああいう感じを狙って書かれているのだろうか。謎は深まるばかりでした。

 それ以来、新作を拝読する毎に、新聞記事をめくり返すことが、わたしにとって恒例行事となりました。そして先日、これは小説の読者としては邪道でしょうが、どうしても気になってしまい、「梵貝荘事件」についても調べてみました。やはり、これまでと同じようなことが書かれていました。こういう、事実を基にした小説を発表するのは、なかなかハードルが高いことだと思います。何かトラブルを抱えられたのかもしれません。作中に登場する人々(モデルということだと思いますが)が実際にいらっしゃると知った今では、何より、水城優臣、鮎井郁介両氏が変わらず健やかにお過ごしかどうかも、気がかりです――なにしろ、連載分だけでは、いったいなぜ、「水城優臣最後の事件」という副題がついているのか、さっぱりわかりませんから。

 ご著書は折に触れ、読み返しています。おかしな表現かもしれませんが、こんなふうにたびたび登場人物(たち)に接していると、小説の発表がどうこうというよりも、ただもうお元気でいてくれれば良いな、という気持ちが湧いてきます。……などと申し上げるのは、失礼かとは思います。とはいえ、先生はエッセイやコラムのたぐいも断られているようなので(と、風の噂を耳にしましたが、本当でしょうか)、わたしがお仕事に接する機会は小説しかなく、年一冊のお便りをいただかないと、どうも落ち着かないのです。何はともあれ、ご新作を首を長くしてお待ちしております。まあこのような身勝手な読者も世の中にはおりますとお伝えいたしたく、ご迷惑かとは思いますが、こうして筆を執りました。


 ご迷惑ついでに、もうひとつ気になったことを記します。

 梵貝荘に着いたばかりの水城が煙草を吸おうとする場面で、「ポーチから煙草とマッチを取り出すと」という記述があります。ポーチというと男性の場合、なかなか身だしなみに気を遣う人物が使用する印象があったので、(シガレットケースじゃなくてポーチなんだな)と、ちょっと引っかかりました。もちろん、その直前に水城は「あまり服装に気をつかわない性格らしく、黒いサマーセーターにジーンズというカジュアルないでたちである」と描写されているわけです。そこからわたしはシリーズの既刊五冊における、水城優臣の描写に関する記述を読み返しました。……そして個人的にある結論にいたりました。

 いやー、本格ミステリでは「最後の事件」というとある系譜があるもんですから、どうも気になっちゃうんです。もしわたしの推理が正しいとすると、表題の事件に関する推理はおそらくそのまま活かされるのでしょう。でも読者はビックリするだろうなあ。あの倉多という人物はなかなか興味深いですね。このところ世紀末もいよいよ押し詰まってきたからか、小説の世界でも、作劇上のうまく辻褄の合わない部分が、犯人の「心の闇」だとか「狂気」だとかに都合よく押しつけられている例が多いようで、辟易していたんです。そんななかで、ああいう「動機」は新鮮でした。倉多さんは今頃どうしてらっしゃるんでしょうか。

(いま思いつきましたが、「フェミニスト・サイコスリラー」というものがもしあったら面白いんじゃないでしょうか。どういうジャンルだかさっぱりわかりませんが。誰か書いてくれないかなあ)

 先生は前々作の『紫光楼事件』の頃から、それまでの「記述者・鮎井郁介」が語り手を務める一人称を離れて、別の作中人物の視点から事件を描く手法を採用されています(特に『紫光楼事件』では水城の登場場面がかなり少ないので驚きました。鮎川哲也先生の鬼貫ものを想起します)。こうした手法が先述の「ありのままに書く」から出てきたものなのか、どうか、水城ものが終わるのは寂しいですが、先生に新しい風景が開かれることを願ってやみません。


 これから暑さ本番ですが、おからだお大切にお過ごしください。

 それでは、また。

謹白

  一九九五年七月三十一日

  ✕・✕ 拝

鮎井郁介先生

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