第9話 お父さんが僕を大切にしてくれていることを、僕は知っていた。
要するに、処理能力の問題だ。
アリアに感情や会話機能を載せても、処理能力が足りないから動かない。そして、半端に起動しようとした機能に圧されてシステムの全体が動かなくなってしまう。
僕のパソコンで試験をしたときには動いた。それは、僕が自分とパソコンを接続していて、処理のサポートをしていたからだ。
元々仮想環境では負荷が小さい、というのもあるけれど。
アリアとパソコンを繋げたら最低限の機能だけは動くようになったのは、二つのシステムによって少しだけ処理能力が向上したから。けれど、追加した機能を動かすにはまだ足りない。
アリアと一緒に歌うには、まだ足りない。
「――と、いう訳なんだけど」
僕の話を、お父さんは黙したまま聞いていた。元々機械には詳しくないひとだから、実はあんまり理解できていなかったかも知れないけれど。
でも、僕が求めているものだけは判ったはずだ。
「……つまり?」
「処理装置を買って欲しいんだ。感情や、会話の機能が動かせるだけの処理装置を」
僕の言葉を聞いて、お父さんは随分と長い間、腕を組んで悩んでいたようだった。
背筋を伸ばしてその様子を見守っている僕を見て、また視線を落として、嘆息する。
「……すまん、ノート」
続いた言葉は、半分以上予想できたものだった。
「買ってやりたいのは山々なんだが、余裕がない。それに、それだけのモンを作ったらまたメンテナンスが必要になってくるんじゃないのか?」
それはそうだ、と思った。元々大きな収益がある訳でもない個人商店で、不釣り合いなアンドロイドを維持しているだけでも相当な無理をしているのは判っていた。
僕が求めた性能の処理装置は高額で、どうしたって買うのは難しい。それにたとえ環境を整えられたところで、維持が出来なくなるのは目に見えている。
お父さんの判断はとても的確で、反論の余地がなかった。
苦い表情を浮かべた顔に、皺が浮いている。灰色の髪に、乾いた唇。
妻に先立たれて子どももいないお父さんにとって、不意に面倒を見ることになった僕が子どものような存在であることを知っている。
そんな僕の願いを、出来れば叶えてやりたいと思っていることも。
お父さんが、僕に幸せになって欲しいと思っていることも。
「判った。考えてくれてありがとう、お父さん」
一回の呼吸分の沈黙を置いてから、僕はそう言った。
「悪いな、ノート」
「大丈夫だよ」
「いや――」
軽く言った僕に、お父さんが首を振る。
「お前が来てから、随分と助かってるよ。そのうち必ず礼をさせてくれ」
「定期メンテナンスで十分だよ。お小遣いだって貰ってるしね」
真面目すぎるお父さんに苦笑して、僕はお茶を淹れるために席を立った。
自分ではお茶を飲むことはないけれど、淹れ方は知っているし何度も繰り返した操作だ。ルーチンに身を任せながら、お父さんの言葉を脳内で反芻する。
お父さんが、無理だと言った。であれば処理装置を増設することは、どうしたって無理なのだ。
処理能力のリソースは限られている。ならば、その条件の中で自分の望みを叶えるしかないのだろう。
蒸らした急須を傾けて、湯飲みに緑茶を注ぐ。最後の水滴が、ぽつり、ぽつりと落ちる。
薄い緑色の水面に、滴が落ちて、その度に波紋が広がってはすぐに消えていく。それを眺めていると、ふと思いつくことがあった。
「……あ、そうか」
呟いた瞬間、思考に気を取られて手元の操作がぶれる。人間のような表現をするなら、するりと手が滑った。
「あっ、」
がしゃん、と大きな音を立てて床に落ちた急須が砕ける。長年使い込んでいたものだったから劣化もあったのかも知れない。
「おい、どうした」
音を聞きつけたのか、お父さんが顔を出す。僕はお父さんを振り返った。
「ごめん、急須を落としちゃって」
「構わん、怪我はないか? ――俺がやるから湯飲みだけ持って向こうに行ってろ、お前は人間と違って怪我は自然に治らねえからな」
「うん、ありがとう」
自然治癒するから人間なら怪我をしても良い、という訳ではないと思うのだが、これも僕がお父さんの息子だからだろう。
心配、されているのだ。
「……ありがとう」
ぽつり、と僕は口の中で呟いて、お父さんに背を向ける。
お父さんが僕を大切にしてくれていることを、僕は知っていた。
僕は、知っていた。
おとうさんが、僕のしあわせを願ってくれていることを。
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