第8話 「アリア、僕に歌を歌って聴かせてよ」

 一緒に街を歩いて、たくさん話して、笑い合って。

 けれど、それ以上に。


 君の好きな歌を教えて欲しい。

 君と一緒に歌を歌ってみたい。


 僕が望んだのは、たったそれだけのことだったのだけれど。



「動かない……?」

 出来上がったアプリケーションをアリアの記憶領域に設置して(容量が足りなかったから一部はパソコンから移植した)、クライアントアプリ経由で機能を実行する。そうすれば、アリアは自分の意志を持ち、動き出す――はず、だった。

 ぴくりとも動かない少女の人形を前に、僕は困惑した。

「アリア、アリア?」

 人形の耳元で話しかける。アリアは反応しない。

「アリア、僕に歌を歌って聴かせてよ」

 少女の耳元で話しかける。アリアは反応しない。

「アリア……?」

 呼びかけても、答えは返らない。

 いつもならばかけられた言葉に反応して、定型の言葉が返ってくるはずだった。追加した機能どころか、システム全体が止まってしまっているようだ。

 基盤となるアプリケーションにはほとんど手を加えていないから、いま追加したアプリケーションを外せば恐らくまた元通りに動くはずだ。けれど、何が原因で動かないかが判らない。

 パソコンの中で仮想環境を構築したときは、うまく動いたのに――。

「アリア、眼を覚まして。動いてよ、アリア」

 何度呼びかけても、歌人形《アリア》は僕の声に応えてくれなかった。



 こういうとき、人間ならば気力を失って動けなくなってしまうのだろうか。

 どんなに人間のように動いて、人間のような感情を持って、外から見れば人間とほとんど見分けがつかない外見をしていても、僕は人間ではなくアンドロイドだ。だから、気力やモチベーションはパフォーマンスに影響しない。

 人間のように嘆いてみても良かったけれど、それよりは解決策を探す方がずっと有意義だ。

 人間は違うのだろう。

 自分の労力が無駄になったことに、どころか元の機能すら失ってしまった歌人形を前に、しばらくの間は自失してしまうのかも知れない。

 とても非効率的で、無駄な働きだった。けれどきっと、そういうのを『人間らしい』というのだ。

 どんなに人間と似ていても、人間のような動きをしても、人間のように感情を持っても、きっとアンドロイドと人間は違うのだ。


 そんなことを考えながら、僕はすぐにアリアとパソコンを接続して原因の究明に乗り出した。

 システム全体の構成に問題はないし、基盤のアプリケーションも不具合は見つからない。機能の追加方法にも間違いはないはずだ。

 一見して問題のなさそうなコードを前に、僕は嘆息した。僕の重さを受け止めた椅子の背がぎしりと鳴る。

 どこから手をつければ良いのかが判断できなくて、僕がアリアに声をかけたのはほとんど無意識だった。

「こういうときに君が直接教えてくれると助かるんだけれどな、アリア」

「おはよう、ノート」

「……、」

 声が、聞こえた。

 この数ヶ月ですっかり聞き慣れた、けれど聞き飽きるはずのない、声だ。

 柔らかくて、甘い。けれどどこか、冬を思わせる声。吹き荒れるようなものではなくて、例えば山奥に佇む小屋を静かに覆う雪のような。

「アリア?」

「おはよう、ノート」

「調子はどう、アリア」

「おはよう、ノート」

「冬の歌は知ってる? どんなものがあるのかな」

「もちろん知ってるわ、ノート。冬の歌を聴きたいの?」

「アリア、今日の日付を教えて」

「―――」

 ふつり、とアリアが押し黙った。

 アリアとパソコンを見比べて、僕は思案した。日付を答えられなかったのは、歌人形の標準機能に存在しないためだ。

 対応できない会話には、定型句で返すようになっている。けれどアリアは、定型句を返してはこなかった。

 恐らく、追加した会話の機能が働いたのだ。

 正確には、働こうとした。働こうとして、途中で止まった。

「――そうか」

 それが意味するところを理解して、僕はそっとアリアを抱き寄せた。

「もう少し待ってて、アリア」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る