第7話 「君が生まれたら、一緒に歌を歌おう」

 以前よりもずっと部屋に引きこもることが多くなった僕に、朝食を食べようとしていたお父さんが話しかけてくる。朝の掃除と店を開けるのは僕の役目だから、朝食の席に着くのはいつもお父さん一人だ。

「そう言えば、ノート。最近何やってるんだ?」

 リビングから出ようとしていた僕は、時間に余裕があるのを確認してからお父さんに向き直った。

「アリアに感情をあげようと思って、作ってるとこだよ」

「感情? そんなことが出来るのか」

「うん、さすがに体を動かすとかは、ハードから差し替えなきゃいけないから難しいけど……感情と、会話能力くらいならソフトでカバー出来ると思う」

 いま組んでいるアプリケーションを思い浮かべながらそう答えると、お父さんは変な顔をした。理解が追いつかなかったのだろう。

 ぽかんとしたままのお父さんに苦笑して、僕はひらひらと手を振った。

「ほら、早く食べちゃって。今日は朝から予約のお客さんが来るんでしょう?」



「ごらん、アリア。今日も良い天気だね」

「おはよう、ノート。今日は何を歌うの?」

 僕がアリアの感情を作り始めてから、既に一ヶ月以上が過ぎていた。

 左腕にアリアを抱いたまま外に連れ出すことは、もう僕の日課になっている。天気が悪いときは図書館に行って、本を読み聞かせてやることもある。

「あのおもちゃ、前に読んであげた本のキャラクターだね。覚えてる?」

「おはよう、ノート。今日は何を歌うの?」

 アリアが来る前から一人で街を出歩くことはあったけれど、アリアと二人で散歩をするようになってからは以前よりもずっと楽しくなった。

 感情のパラメーターが傾く感覚が、『楽しい』ものだと僕は知っている。

「あのドレスはアリアに似合いそうだ。次にお小遣いを貰ったらまた来ようか」

「おはよう、ノート。今日は何を歌うの?」

 店の前を通り過ぎざま、ディスプレイされたマネキンが着ている服を見て囁く。淡い水色のドレスだって、アリアには似合うだろう。

「僕はお小遣いを貰っているけれど、いつまでもアリアには何もないのも可哀想だね。そのうち、お父さんにおねだりしなくちゃ」

「おはよう、ノート。今日は何を歌うの?」

 僕の独り言にも、にこにことしてアリアはそう言った。

 実際には僕が一方的に話しかけているだけなのだけれど、周りから見ればそうは見えないらしい。たまにすれ違う街の人びとは、僕たちに微笑ましげな視線を投げかけてくる。

 立ち止まって一息ついた僕の横を、一組のカップルが通り過ぎていった。若いカップルだ。

 何気なくその背中を視線で追いかけて、僕ははたと瞼を上下に動かした。

「アンドロイド……」

 女性の首の後ろに、端子を接続するためのソケットがあった。正確には、そのソケットの蓋が薄らと肌に浮いていたのだけれど。

 隣にいる男性に視線を向ける。視覚を調節したが、男性の首の後ろには何も見えない。ぱっと見の動きも人体構造に基づいたものだし、こちらは人間だろう。

 アンドロイドと人間のカップルは、仲睦まじげに手を繋いで僕たちから遠ざかっていった。何を話しているのか、ときどき楽しげに囁き合いながら。

「いまの見た、アリア? 素敵だね」

 細い、幼い少女の体をぎゅっと抱きしめる。

「僕たちもあんな風になりたいね」

 アリアに追加するプログラムは、既に八割程度完成している。

 人間が同じものを作ろうとすれば、もっと時間が必要だっただろう。こういうときは最低限の休息さえ取ればパフォーマンスを維持できる自分の構造に感謝したくなる。

 きっと、アリアと街を歩くのは楽しいだろう。アリアにとっては、何もかもが真新しいもののはずだ。

 街も、建物も、空も、雲も、鳥も、通りゆく人びとも。

 一つ一つ、アリアに教えながら歩くのは、きっと楽しいだろう。

 人格はほとんどまっさらな状態から始めるから、人間の赤ん坊と同じようにその後の育て方によっていくらでも変わっていくはずだ。お父さんと僕と一緒に過ごすんだから、優しい子になるに違いない。

 あぁ、でも、けれど。

 『アリア』が生まれたら、何よりもしたいことがある。

「――アリア、」

 一緒に街を歩いて、たくさん話して、笑い合って。

 けれど、それ以上に。


「君が生まれたら、一緒に歌を歌おう」


 君の好きな歌を教えてよ。

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