第5話 「今日は何を歌うの、ノート」
街中では無人タクシーや自動運転車が走り、AIロボットが当たり前のように道を歩いている。
アンドロイドと結婚する人間も最近では珍しいことではない。多少のお金を出せば月に旅行に行くことだってできる。
それが、僕の生きている世界だ。
今どき、アンドロイドとの恋なんて疑うようなものでもない。
けれど、思考回路を持たないものとの恋、は――、
どうなのだろう。
三階のリビングに据えられた(それこそ骨董品のような)テレビでは、人間同士の恋愛ドラマが放送されている。
最初は見ていたけれど、途中で飽きてしまった。チャンネルを次々と切り替えているのに気づいたのか、カーペットに座り込んで本を読んでいたお父さんが顔を上げる。
「なんだ、退屈か?」
「うん」
店が休日の、ある日のことだった。
ついにはリモコンを放り出した僕に、お父さんが小さく嘆息する。
「そうだな、車でも出すか? 最近、遠出してなかったろ」
「車――」
僕の中で天秤が揺れた。
ちらりと時計を確認すると、もう十五時を回ったところだ。今から遠出するには、少し遅い。
「いや、いいよ。僕、ちょっと散歩してくるね」
「アリアも連れてか?」
「うん」
「そうか、気を付けて」
そういえば仮にも店の商品を持ち出すことに関して、お父さんは一度も口を出したことがない。
ありがたいのは、確かだけれど。
「ほれ、鍵。閉めるの忘れるなよ」
投げられた店の鍵をキャッチして(アリアはいつも店に置かれているからだ)、僕はひらひらと手を振った。
「行ってきます!」
「おう、行ってこい」
アリアを連れて繰り出した街はしばらく前よりも確実に湿度が上がっていた。
いまは六月の始めだ、というのを僕は思い出した。まだ梅雨入りはしていないけれど、それも時間の問題だろう。
僕はこの程度の湿度はなんでもないけれど、アリアは大丈夫だろうか。
店に戻ったら、除湿器を起動させるべきか。店は他にも湿気に弱いものが多いから、今の時期から動かしていても問題ないだろう。
街を歩いている間、アリアは口を噤んだままだ。さすがに歌っているまま連れて行く訳にもいかないけれど、彼女の歌声に慣れてしまったいまはそれが寂しい。
「そういえば、そろそろ紫陽花の季節だっけ」
もう一、二週間もすれば見頃を迎えるはずだ。
「次は紫陽花を観に行こうか、アリア」
「今日は何を歌うの、ノート」
話しかけられたことを検知したのだろう、アリアがこちらを見てにこりと笑う。僕も自然と微笑み返した。
「今日は天気も良いし、公園まで歩こう」
「今日は何を歌うの、ノート」
「そろそろ梅雨だから、しばらくは行けないかも知れないよ」
「今日は何を歌うの、ノート」
「そもそも、雨のときに連れ出していいのかな。僕がいつもメンテナンスをして貰ってる技師さんに聞いてみようか」
「今日は何を歌うの、ノート」
「っていうか、アリアのこともいい加減メンテナンスして貰わなきゃね。お父さんに訊いてみなくちゃ」
「こんにちは、ノート」
返す言葉が変わったのは単純に、そうプログラムされているからだ。特定のキーワードが含まれた言葉を投げかけない限り、彼女の言葉は時間によって大体決まっている。
アリアに歩く機能はついていないから、散歩のときはずっと僕が彼女を持ち歩くことになる。子どもサイズとはいえ歌人形をずっと持ち歩くなんて人間には難しいことだろうから、そこは自分が人間でなくてラッキーだったと思う。
公園に行って、そこでしばらくアリアに自由に歌わせて、お父さんにお菓子でもお土産に買って帰ろう。のんびり動いても、日が沈むまでには十分帰れるはずだ。
仔犬を連れた女性とすれ違う。ふと視界を動かせば、人が集まっているところがあった。
「なんだろうね? 行ってみようか、アリア」
興味を惹かれて近づけば、着飾った人びとの視線の先に一組の男女がいた。
中心にいる女性が着ているものが、ウエディングドレスと呼ばれるものであることは知っている。結婚式か、と僕は判断した。
「素敵だね。結婚式だよ、アリア」
「こんにちは、ノート」
僕がかけた声に、にこにことアリアが応える。人間が『笑顔』と聞いて思い浮かべるような、完全な笑みを浮かべて。
僕の視線の先では、男女が見つめ合って笑み崩れていた。
男性の方は不器用に崩れた、中途半端な笑みだ。きっと、それを『幸せそうな』と人間は称するのだろう。
腕の中にいるアリアを見下ろして、僕は微笑んだ。
「……行こうか、アリア」
「こんにちは、ノート」
変わらない返答をする少女を、ぎゅっと抱きしめる。
日差しに温められた体の中途半端な温度が、センサーを通じて僕に伝わった。
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