第4話 いつの間にか、そんな当たり前のことすら忘れるくらいに。

 季節は春から初夏に移り、街では薔薇祭りやら藤祭りやらの広告を見かけるようになった。

 僕たちのようなアンドロイドを生み出すほど技術を発展させたのは人間だけれど、それとこれとは別問題らしい。相変わらず人間は、中でも日本人は、自然が好きだし季節の移り変わりを全力で楽しもうとする。

 生まれてから数年、そういう人間の感傷は理解しつつもあまり興味を抱いてこなかった僕だけれど、これは実に良い慣習だと思う。理由をつけて、誰かを誘うときには非常に便利だ。

「アリア、今日は薔薇を観に行こうか」

 いつもと変わらず骨董店で店番をしながら、僕はアリアにそう声をかけた。アリアは僕の言葉が聞こえたのか、美しく塗られた唇を開く。

「おはよう、ノート。今日は何を歌う?」

「ライトアップをしているらしいから、夜からでも良いね」

「おはよう、ノート。今日は何を歌う?」

「それとも、今からが良いかな。今日はお父さんが上の部屋で事務仕事をしているから、店番はいつでも押しつけられるよ」

「おはよう、ノート。今日は何を歌う?」

 先日買い付けてきた蓄音機は無事に売れて、僕のメンテナンスも終わったところだった。

「薔薇の歌は知ってる?」

「もちろん知ってるわ、ノート」

「じゃあ、それをお願い」

 僕がお願いすると、アリアは嬉しそうに頷いて歌い出した。

 店内に少女の歌声が響く。透き通った、冬の空のような、けれどどこか暖かい歌声。

 冬の曇り空に一瞬だけ差し込む太陽の光にも似ている。

 この数週間で、聞き慣れた歌声。一応店内にはBGMを流すための音源も置いてあったけれど、ここのところはすっかりお留守になっている。


 アリアの歌声を聴きながら窓を拭いていると、扉が軋んで開いた。古びた扉に慣れたお父さんはもっと静かに扉を開けるから、きっとお客さんだ。

「いらっしゃいませ」

 振り返りざま声をかけると、入ってきた男性客がにっこりと笑って軽く会釈した。

 顔見知りの男だった。店主とも親しくしていることを知っているから、自然と愛想も良いものになる。

「お久しぶりです、お元気でしたか?」

「うん、お陰様でね。ノートくんも、何か変わったことはあった?」

「―――……」

 変わったことなら、あった。アリアとの出会いは、僕にとっては確実に『変わったこと』だろう。

 理由は判らないが彼女を話題に出したくはなくて、僕は適当に受け流した。

「この通り、相変わらず閑古鳥しかいませんよ。悠人なら上にいますけど、呼びますか」

 ゆうと、と僕は店主の名前を呼んだ。

 男は笑ってぱたぱたと手を振る。

「大丈夫、何か頼んでた訳じゃないし。たまたま近くを通っただけだから」

 本当に用がある訳ではないのだろう、雑談を切り上げるとふらふらと店内を見始める。僕は窓拭きに戻りながらも、ちらちらと店内の男の姿を追った。

「これって、歌人形?」

「――え、ぇ」

 わずかなタイムラグのあと、僕はなんとか頷いた。何故そんな反応をしたのか、自分では理解できなかった。

 どこか、なにかが。

 人間ならば、この感情の動きを何と呼ぶのだろう。

 僕は理由が判らないまま、なんとなく胸の上を擦った。自分ではどうにも出来ないものが、胸に凝っている気がした。

 男は、レジの横に座っていたアリアに興味を示したらしい。店内に流れているのがいつものBGMではなくアリアの歌声だと気づくと、感心したように頷く。

「綺麗な歌声だね。一つ前の型だけど良いやつだよ、これ。大事にされてたみたいだし」

 僕は男とアリアに近づいた。

「悠人さんは機械の類は得意じゃないから、こういうのは珍しいね。これ、幾らで――」

 はた、と僕は我に返った。

 気づけば、唖然とした顔で男が僕を見下ろしていた。しばし無意味に見つめ合って、僕は慌てて男の腕から手を離した。

 アリアに触れようとしていた男の手を思わず掴んでしまったのだ、というのは後から理解した。

「……す、みません」

 悪意はなく、ただ単純に驚いたような男の視線が痛い。僕は眼を伏せて、男とアリアの間に体を滑り込ませた。

「――彼女、非売品なんです」

 言ってから、僕は自分の口を押さえた。

 そんなこと、お父さんは一言も言っていない。混乱している思考回路を、僕はいったん強制的に落とした。

 復旧させてクリアになった思考回路でも、どうすれば良いのか判断がつかない。

「あぁ、そっかあ」

 先に動き出したのは、男の方だった。身を引いて、がりがりと頭を掻く。

「ノートくんの彼女さんだった? そりゃあ触られるの嫌だよね、ごめんね」

「かの、」

 『彼女』という言葉の意味を頭の中で検索して、この男性客が何かを勘違いしているのでは、と判断する。

「そういう訳ではないんですが――」

 そもそも、アリアを相手に、どうすれば『彼女』と呼ぶような――恋愛関係が成立するのか。

 僕はアンドロイドだけれど、人間と遜色ない程度には思考能力があるし感情だって備わっている。例えば僕と人間の間であれば、彼の言うような恋愛関係が成立することもあるだろう。

 でも、けれど。

 アリアには、思考能力も感情もない。歌人形《アリア》は、歌うための声と、僅かな会話能力しか持っていないのだ。

 返す言葉を結局見つけられなかった僕は、一人で納得したような男性客が退店するのを言葉少なに見送ることしかできなかった。


 再び客のいなくなった店内で、僕は歌い続けるアリアを見下ろした。

 波打つ金の髪に、碧い瞳。

 花の飾りがあちこちにあしらわれたドレスに身を包んだ少女が、一心に歌っている。

 僕のことなど気にしてもいないように。

 僕のことなど気づいてもいないように。

「――アリア」

 呼びかけると、アリアはそれまで歌っていたのが嘘のようにぴたりと口を閉ざした。

 僕を見上げて、にっこりと微笑む。

 完璧な、美しい顔で。

「こんにちは、ノート。次は何を歌うの?」

 歌人形《アリア》に思考能力はないし、そもそも彼女はお父さんが仕入れてきた商品の一つに過ぎない。お父さんが機械に詳しくないからと、たまたま世話係が僕に回ってきただけだ。

 いつかは誰かに買われて、誰かの元で歌うのだろう。

 最初から判っていたことだった。

 そしてその誰かは、きっとアリアを大切にしてくれる。買ったものを大切にしない人間に、お父さんは決して商品を売らない。

 最初から、決まっていたことだった。

 でも、けれど。

 いつの間にか、そんな当たり前のことすら忘れるくらいに。


「――アリア、好きだよ」


 囁くようにそう言って、僕はアリアの額にそっとキスをした。

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