第3話 今日も、狭い店内にはアリアの歌が響いている。
今日も、狭い店内にはアリアの歌が響いている。
アリアが《永歌骨董店》に引き取られてから、数週間が経った。彼女が来た頃には咲き始めだった桜の花も、もうすっかり散って葉桜に変わっている。
アリアの歌声をBGMに、古い金貨を布で拭いていく。
僕の持ち主である店主もそうだが、僕も古いものは好きだ。古いものには、人の手から手へ伝わってきた想いが宿っている。
親から子へ、子から孫へ、友から友へ。
僕はアンドロイドだから、きっと『古いもの』にはなれない。その前に機能を止めて、廃棄されてしまうだろう。
だからこれは、叶わないものに対する憧れに近いのかも知れなかった。
人から人の手に伝わったという意味では、この商品たちと少しだけ近いのかも知れないけれど。僕は最初から今の持ち主の持ち物だった訳ではなくて、元は今の持ち主の弟のものだった。
「アリアはどう思う?」
問いかけても、答えは返ってこない。当たり前だ、アリアには会話の機能は搭載されていない。
それでも構わなかった。
僕は鼻歌を歌いながら(アリアの歌とコーラスするように)、黙々と金貨を磨き続けた。店主は仕入れに出かけているけれど、もうじき帰ってくるだろう。
「お父さんが帰ってきたら、二人で散歩に行こうか」
いつものように、少女にそう声をかけた。いつの間にか、アリアと散歩に行くことは僕の日常になりつつある。
言いながら、僕はふと思い出した。一番有名な桜が終わってしまっても、その後に咲く桜があるらしい。
店内に張り巡らされている通信に接続して、情報を検索する。視界が半分に割れて、僕の右眼が情報を表示した。
お父さんはあんまり機械には強くなくて、僕をメンテナンスするときはほとんど専門家に頼むか、僕自身が行っている。だから僕が来る前から使っていたらしい通信設備は、最新のものに比べて随分と遅い。
しばらくのんびりと情報の海を漂ってから、僕は一つ頷いた。
「近くの公園の八重桜が満開だって。そんなに本数はないみたいだけど――そっちまで足を伸ばしてみようか」
返事がないことを承知で、声をかける。アリアはいつもと変わらずに歌っている。
美しい声で、美しい顔で。
アリアに感情なんてものはないはずだけれど、彼女が歌っているときの表情はとても楽しそうだ。そう見えるように設計されているのだろう。
お父さんが帰ってきた後の予定が決まれば、それまでにやるべきことを終わらせておかなければいけない。僕が仕事を途中で投げ出して遊びに行ったところでお父さんが怒ることはないだろうけれど、そこは責任というものだ。
人間は責任を重んずる生き物である、というのは、僕の知識の中にあった。人間と一緒に生活する以上、可能な限り隔たりは埋めておくべきなのだ。
そうはいってもここは骨董品のお店で、買い付けは店主がやっている。お金の計算にはまだ早い時間だし、店を開けてから数時間経っているのに訪れた客はいまだ両手の指で足りる。僕にできるのは店の掃除くらいだ。
《永歌骨董店》はお父さんのお父さんが開業して、欲のないお父さんが継いで細々と経営しているだけのお店だ。商売気のなさが災いして、店内ではいつでも閑古鳥が鳴いている。
こんな状態でよくやっていけるものだと、たまに関心してしまう。実際には、大口のお客さんが何人かいるしお父さんの人柄を慕ってよく買いに来てくれるお客さんもいるから、最低限生活できるくらいの収入があるのは知っているけれど。
金貨の最後の一枚を磨き上げて、ふっと息を吹きかける。古びた金貨は、店の安っぽい蛍光灯の下でぴかぴかと光を反射した。
「ノート」
急に声をかけられて、僕は驚いて顔を上げた。
金貨をしげしげと眺めることにリソースを割きすぎて、他が疎かになっていたらしい。店の扉が開いたことにも気づかないとは。
なんとなくバツの悪い思いで扉を見やれば、声から推測した通り、店主が店に入ってくるところだった。
「お帰り、お父さん。良い商品は見つかった?」
「おう、そこそこ」
いかにも適当な返事になんとなく心配になるが、心配したところで何にもならないことは知っていた。むっつりとした顔の通り、なかなか意固地な男なのだ。
「変わったことはあったか?」
「いいや、何も。あぁ、そういえば古い器を探してるってお客さんが来たよ。また来るって。連絡先を訊いといたから」
「あぁ、助かる」
手には抱えるほどの箱を抱えていて、その中身が気になって僕はお父さんに近づいた。
中身を覗き込んで、ぱちりと瞬く。普段の生活では関わりのないものだから、ぱっと見ではそれが何なのか判らなかった。
頭の中で画像検索して、該当しそうな単語を引っ張り出す。
「蓄音機?」
「正解」
ぽんぽん、と褒めるように頭を撫でられる。それがくすぐったくて、僕は思わず笑った。
「今どきそんなの、使うひとがいるの? CDだって廃止されてから何年も経ってるのに」
「お前、CDは知ってるのか。兄さんの趣味か?」
少しだけ表情を崩したお父さんに頷いて見せると、お父さんはふうんと頷いた。
「あのひと、大金はたいて高性能のお前を買うくらい最新技術が好きだった割に、古いもの使うのも同じくらい好きだったからな」
一見すると無口で気難しそうなお父さんは、一度口を開くと実のところそうでもない。何年も前に亡くなった兄(僕の元の持ち主だ)を思い出しているのか、心なしか楽しげにしながら荷物をそのままレジの奥の棚に持って行く。
「あれ、並べないの?」
「これはもう買い手が決まってるんだよ。なんとか今回もお前のメンテナンス代を工面できそうだ」
僕の定期メンテナンス費用がそんなに安くはないことは知っている。勝手の判らないものを兄の遺産として押しつけられたはずのお父さんは、そんなこと何でもないように軽く言った。
「ありがとう、お父さん。――ところで、お父さんが帰ってきたなら僕たち出かけて良い? 散歩に行きたくて」
「お前と、――アリアを連れてか?」
「うん」
「おう、行ってこい」
予想通り、あっさりとお父さんは許可を出した。問いが続いたのは、単なる雑談だろう。
「最近、随分とアリアを気に入ってるな。何だ、惚れたか?」
からかうような声音。冗談じみた言葉に、僕はつい思い切り反応してしまった。
「べっ、別にお父さんには関係ないだろ。――さ、行くよアリア」
歌い続けるアリアに声をかけて、彼女の体を持ち上げる。
僕と同じくらいの背格好をしているし、機器が詰まっている体は人間の肉体よりもずっと重い。けれど僕も人間ではないから、彼女を持ち上げるのには何の支障もなかった。
少女を抱き上げたまま扉を開けて、僕はちらっとお父さんを振り返る。
「じゃあ、行ってくる!」
「……おー、行ってこい」
僕の声に応えてひらひらと手を振ったお父さんは、何故か珍しいほど表情を崩して、驚いたような顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます