第1話 信じられないほど美しい少女が、店のテーブルの上に座っていた。
《永歌骨董店》。それが僕、アンドロイド《ノート》の職場の名前だ。
午前十時〇分。僕の活動が始まる。
体内の時計が十時を示したと同時に僕は起動した。スリープモードが解除され、停止していたサービスが自動的に開始していく。それを思考回路の片隅で認識しながら眼を開ける。
二度、三度瞬けば周囲の明るさに合わせて視界が調節された。それを感じながらベッドの上で半身を起こす。
右手を見下ろした。手を握って、開く。
「うん、良好」
自己診断をかけてもシステムに異常なし。実に良い朝だ。
充電が完了しているのを認識しながら、僕は自分の首の後ろに手を回した。接続されている端子を引っこ抜く。ぽいと端子をベッドの上に投げおいて、ベッドから降りる。
ここまで四分と三十八秒。この三ヶ月の平均処理時間との誤差はプラス二秒。オールグリーンだ。
ぐっと体を伸ばす。指先、足先の感覚を確認する。体を捻る。前屈する。コマンドと実行結果にも齟齬はなし。
僕には一部屋が与えられている。ベッドと、クローゼット、等身大の鏡、それにデスクとチェア。デスクの上には《お父さん》から押しつけられたパソコンと、自力でインターネットに接続して読めるから本当は必要ないんだけど、本を開くという行為が好きで買った本が何冊か。
寝る前と部屋の様子に違いがないことの確認が終わると、僕はクローゼットを開けた。
記憶領域から幾つか既存の服装パターンをピックアップして、適当にチョイスした服をクローゼットから引っ張り出す。着替え終わると、僕は鏡の前に立った。
鏡には、人間で言えば十三、四歳くらいの少年の姿が映っている。
黒い短髪に、黒い瞳。人の手で作られた、人の好みに添うように作られた顔。パーカーとジーンズという面白みのない服装だが、僕の見た目の年齢からすればこんなものだろう。
一つ頷いて、僕は窓に近づいた。一気にカーテンを引き開ければ、朝の光が僕の視覚を刺激する。
今度は一度の瞬きで視覚が最適化された。真っ青な空が僕の視界に映る。晴れだ。
窓からはいつもと変わらない路地が見える。元々人通りの少ない商店街から更に一本曲がったところで、当然ながらほとんど人は通りかからない。街の清掃ロボが、どこからか舞ってきたらしい桜の花びらを掃除している。
僕が生まれたのは、ほんの数年前だ。持っている知識によれば、二、三十年前にはまともなアンドロイドもまだ出来ていなかったらしい。
街中では無人タクシーや自動運転車が走り、AIロボットが当たり前のように道を歩いている。アンドロイドと結婚する人間も最近では珍しいことではない。多少のお金を出せば月に旅行に行くことだってできる。
人間は今も昔も様々な心配をしていて、地球温暖化だ、かと思ったら次は氷河期だと騒いでいるし、食糧不足はちょっとは解決されたらしいけれど資源の枯渇はもう何十年も言われ続けている。
それに人間はAIに支配されていたりなんかしてないし(僕としてはしようとも思わないけれど)、ロボットでも出来るような仕事も半分くらいは人間がやっている。
核戦争が起きる起きると言われているらしいけれど、この数十年ずっと平和なままだし、恐怖のバイオテロも起きたりしていない。
そういえば、課題はまだまだ山積みらしいが最近は空を飛ぶ車も本格的に開発されているそうだ――。
情報へのアクセスを切り上げて、僕は窓から身を離した。
部屋から出て短い廊下を抜け、キッチンスペースに入る。冷蔵庫から小分けされた野菜スープを取り出す。皿に移して電子レンジに放り込む。スイッチを押せば、自動で最適な温度まで温めてくれる。
温め終わるのを待たずに廊下に戻って、僕は先ほど通り過ぎた部屋の扉を勢いよく開けた。
「おはよう、お父さん! 起きて、朝だよ」
「………」
反応なし。三秒待ってから、僕はベッドから容赦なく掛布をはがした。
ベッドに転がって惰眠を貪ってたお父さんが、不機嫌そうに呻き声を上げる――はずだった。
「あれ、いない?」
無人のベッドを見下ろして、ことりと首を傾げる。確かに思えば、今日はいつもよりも掛布の盛り上がりが三十パーセント少なかった。
なんてことだ。僕よりもお父さんの方が早く起きているなんて、珍しい。
冬は過ぎ去ったというのに、明日は雪でも降るんだろうか。インターネットに接続して明日の天気を確かめながら、僕は玄関に向かった。
僕たちの家はビルの三階で、玄関の外に階段がある。ビルの二階がお父さんの営む店だ。部屋にもキッチンスペースにもいないのなら、とりあえず店を探してみるべきだろう。
朝から出かけている可能性を試算しながら階段を降りる。狭い踊り場に、ごく小さな看板が置いてある。
《永歌骨董店》
これはお父さんと出会ってすぐの頃に僕が作ったもので、そこらで買ってきた板にいかにも適当に店名を書いただけの看板を、お父さんは後生大事に使い続けている。
何回か作り直そうかと提案しているけれど、なんでかお父さんは首を縦に振らないのだ。今ならインターネットから情報を仕入れて、それは良いものを仕上げようと思っているのに。
鍵(今どき電子錠じゃないのだ。信じられない)がかかっているのか確認するためにドアノブを捻れば、あっさりと開いた。やはりお父さんは中にいるらしい。
開けながら、僕は店に足を踏み入れた。
「お父さん、起きてるなんて珍しい。どうした、の……」
途中で、言葉が止まった。
信じられないほど美しい少女が、店のテーブルの上に座っていた。
金色の長い髪は緩やかにカールして、瞳は冬の空のような青。真冬の、一番澄んでいて美しい空の色だ。
肌は白く、額はするりとして、鼻から口元までの線が芸術的なほど美しかった。濡れたように瑞々しい唇に、薔薇を散らしたような頬はまろい。
首筋は折れそうなほど細く、体はひらひらしたピンクのドレスで飾られていた。ボリュームのあるスカートからやはり細い足が伸びて、パンプスは品のある白。
呆然としながら、顔に視線を戻した。眼が合う。
幼い、僕の見た目よりも幾つか年下だろう少女が、にこ、と無垢に微笑んだ。
「……だ、れ――」
「あー、アリアってんだ」
無意識の言葉に答えを返されて驚き、僕ははっと我に返った。
僕の問いに答えたのは、すっかり存在すら忘れていたお父さんの声だった。お父さんはいつもと変わらない仏頂面で、がりがりと灰色の髪を掻いている。
「ちょっと前に、持ち主が亡くなったらしくてな。持て余してるってんでうちで引き取った」
そう、少女の肩を叩いて――。
僕の持ち主は、いつも商品を仕入れてきたときと同じ調子でこう言った。
「歌人形《アリア》だ。面倒見てやってくれ」
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